マルくんのおことわり

かわせひろし

第1話 マルくんの日常

「いそがしい、いそがしい」

 そうつぶやきながら、小さな少年が、小さな店の中で、ちょこちょことせわしなく働いていた。

 くりんと可愛らしい丸顔。淡い色合いのさらりと素直な髪。その髪の、頭の上のひとふさだけが、なぜだかはね返っていて、体の動きに合わせてふよふよとゆれている。

 世界随一の広さを持つ、超大陸アメイジアの。

 その北西の片隅にある、小国ノーム王国の。

 さらにその一地方にある、小さな町シェフィールドの。

 太い木組みの柱と梁が印象的な街角にたたずむ、小さな店。

 よろず困りごと引き受けますと書かれた看板に、店の名前は『お言環理(ことわり)の店プランクル商会』とあった。

 マルト・プランクル。店と同じ名を持つ幼い少年は、この店の小さな店長。まだあどけない顔の愛らしい頬に汗をしたたらせながら、あくせくまじめに働いているところ。

 あくせく、あくせく。

 ふよふよ、ふよふよ。

 動き回るたびゆれるはね毛が、なんだかリスのしっぽのようで、愛らしさを際立たせている。

 ただそれは、本人にとっては、そんなくせ毛をなでつけるひまもないということ。

 掃除、片付け、整理整頓に食事のしたく。やらなきゃいけないことはたくさんある。なにしろ、みんなのお世話をしなくてはならない。マルトとはちらりと時計を見た。そろそろ帰ってくる時刻だ。

「ただいまー」

 マルトの思いを計ったかのように、玄関からよく知る声がした。若い女性のやわらかい声。マルトはぱっと顔を上げ、小走りに出むかえる。

「ナーナ、おかえり」

「あー、疲れたー。なんであんな体力仕事。ああいうのはマイラの担当じゃないのー?」

 ぶつくさ文句を言いながら、どさっとかばんを床に落とす。淡い色の波打つ長い髪が、そのはずみにふわりとゆれる。

 マルトとよく似たその髪色のせいで、二人は年のはなれた姉弟のように見えなくもない。だが、実際には血のつながりはなかった。ナーナ・グリンベルグ。白い肌、やわらかい面立ちのかなりの美人。

 かばんをマルトに拾わせて、応接間に入ったナーナは、上着の首元のボタンを一つ外すと、そのまま襟をつかんでずぼっと頭の上から脱ぎ、はらりと放った。

 さらに下に着ていたワンピースのボタンにも手をかける。一つ一つ外して胸元の柔肌をさらし、腰をしぼる帯をほどくと、長いスカートに手をかけて、やおらまくり出した。それでは下着姿になるというのに、ちゅうちょなし。やはりずぼっと頭から脱いで、ぽんと投げ捨てる。そのワンピースがマルトの頭にぱさりとおおいかぶさった。

 それらを片付けるマルトはしかめっ面だ。いつも思うのだけれども、なぜ脱ぐのだ。年ごろの乙女にしては、あまりにはしたないと考えないのか。このあいだだって、郵便屋さんが来て、受け取りに出られないとあわててたのに。そもそも脱いだ物は片付けなさいと、小さいころに教わっていないのか。

 そんな渋面のマルトにはお構いなしに、袖なし肌着に下履きというあられもない姿のナーナは、応接間の毛足の長い敷物のもとへと行き、その上に置いてあるクッションに身を投げた。うふうー、と長いため息をつく。そしてうつぶせの状態でマルトに顔だけ向けて、あまえた声で訴えた。

「ああもう体中バッキバキだよお。ねえ店長ぉ。マルくぅん。マッサージしてぇ」

「や……やだよ! いそがしいんだから!」

「えー!」

 マルトのつれない返事に上体を起こすと、ナーナは唇をとがらせ不満顔を見せる。

「そういうコト言ってると……」

 身に着けている、大きな丸い環の形をしたイヤリングに指をふれ、つぶやきはじめた。

「ワトソンとクリックの名においてお言環理します。アデノ神燦々と、その力を高め、その子らを慈しみ給え。渦巻く螺旋の伸びゆく彼方、愛けし未来の現る姿」

 澄んだ声で歌うように紡がれる詞(ことば)。言霊を、言祝ぎ(ことほぎ)の刻まれた環で増幅し、世の理(ことわり)に手を触れる。神の言の葉を借りて、世界を動かす、言環理の力だ。

 その力が環からもれ出して、辺りにふわふわと淡い緑の光の泡がただよう。

 泡が部屋のすみの鉢植えの木にたどり着くと。

 さわさわと梢がゆれだした。

 ゆれているだけではない。やがてにょきにょきと枝が伸び始めた。その一部は下へと伸び、体を支えるように床に着き、残りは横へと伸びていく。そのさまは、まるでマルトに手を差しのべているようだ。

 まさにその通り。枝はマルトにからみつくと、その体をひょいと持ち上げる。

「うわ!」

 そのままマルトはナーナの元へ。うつ伏せになった腰の辺りにそっと降ろされる。

「だめだよー、店員のことを気づかうのは店長の仕事でしょー。はい、マッサージして」

「自分の言環理で何とかできるくせに……」

「人肌が気持ちいいのよう。あ、そこそこ。もっと優しく」

 強引なナーナの行いに抵抗をあきらめたマルトは、きゅっきゅと親指の腹で背中を押し始めた。

 しっとりとうるおうナーナの肌。力仕事をさせられたと文句を言っていたのに、汗のにおいなど全くせず、ほのかにあまいいい香りがする。

 そんなことを考えながら、一生懸命押していると。

「あん。変なとこさわっちゃイヤン」

「さ、さわってないよっ!」

 くすくすと笑いながら、ナーナはマルトに振り向いて、そんなことを言う。

 いつもそうだ。ぺたぺたと過剰なスキンシップを取り、マルトをからかう。

 こんなふうに自分でさわらせておきながら、エッチとからかうこともあるし、逆にナーナの方から抱きついて、マルトを赤ちゃんみたいにあつかうこともある。

 そんなとき、マルトを包むナーナのやわらかく暖かい身体とか、優しくあまい香りとかが、亡くなったお母さんを思い出させて、ふとあまえたくなってしまう。それは、そろそろ一人前の自意識が芽生えているマルトには認めがたいことだった。

 そんなこんなで、マルトはナーナに振り回されてばかり。

「もうやめたっ!」

「えー、もっとー」

 マルトは真っ赤になって立ち上がり、ナーナの背中からはなれた。ナーナは不満げに文句を言ったけれど、これ以上からかわれてばかりではたまらない。

 もう仕事にもどろうとした、その時。

 

 かちゃん。

「た……ただいま……」

 

 玄関の扉が開く音がして、マルトの耳に弱々しい声が届いた。おや? と違和感を覚える。いつもはもっと元気はつらつ、明るい声だからだ。

「おかえ……わっ、マイラ? どうしたの? 大丈夫?」

 出むかえてみると、玄関先に膝をついてうずくまる女性の姿。

 マイラ・レディング。ナーナと同じ年ごろの、ふだんは明るく快活な同居人が、今は力なく、弱々しい様子でうなだれている。

 少し赤味がかった長い黒髪が表情をかくしている。それでも、いつもは血色のいい唇から、血の気が失せているのがわかった。マルトはあわててかけより、抱き起こそうとする。

「マ……マルくん……」

 そんなマルトにすがりついて見上げるマイラの瞳はうるんでいた。

 そして。

「お腹すいた……ご飯作って」

「!?」


 背の低さを補うための踏み台に乗って、マルトはたどたどしく、まな板の上で包丁を振るう。

 マイラは、となりの部屋のいつもみんなでいっしょに食べる大きなダイニングテーブルではなく、台所の小さな机に着いて、フォークとスプーンを構え、マルトの方をじっと見ていた。早く、早くと、催促する気配が全身からにじみ出ている。

 食事の用意をするマルトをうれしそうにながめる、マイラの熱い視線を背に受けて、マルトはついついぐちをこぼす。

「マイラも言環理使いなんだから、そんなのちょちょいと自分でできるじゃん!」

 言霊の力を借りてこの世の理を操ることができる言環理の力は、使い方によっては日常生活でも、とても便利なものとなる。

 マイラはレベルの高い言環理使いで、例えば、熱を操りお湯を一瞬にしてわかすことができる。マルトのように鍋に水をくんだ後、えっちらおっちらとかまどにかける必要がない。

 さらに、こちらはあまり得意ではないと言っていたが、野菜をポンとたたくとバラバラと切れていく、まるで手品のような技も見せてくれたことがある。マルトのように不器用に、時間をかけて一切れずつ切らなくてもいいのだ。

 それなのに。

「えー、やだー、そんな味気ない。愛情ってスパイスが料理をおいしくするんだよー」

 いつもと同じようにそんなことを言って、マルトに作ることを要求する。そしていつもと同じように、まだかまだかと、マルトの作業をじっと見つめるのである。

 しかもマイラは、その引きしまった体つきからは想像つかない大食漢だった。三度の食事のしたくを要求されているマルトは大変だ。

「料理苦手なのに……」

 ぶつくさ言いながらマルトはマッシュルームを切っていく。小さなキノコを均一の厚さにスライスしていくのは、けっこう難しい。

 となりでことことお湯がわきだした。急がなくては。あせりが、もともとおぼつかない手元をさらにくるわせた。

「いて!」

 包丁の切っ先が指先に走る。

「マルくん?」

 マルトの悲鳴にマイラがあわてて席を立つ。かけよるとマルトの腕をとって、指先を口にふくんだ。流れた血のしずくをなめとる。

 マイラのしっとりと温かい口内の感触。マルトはどきりとした。

 マイラは口をはなし傷口をながめ、小さく言祝ぎを口ずさむ。

「ネーゲリとウィルヒョーの名においてお言環理します。核たる力、染めたる糸、解き、紡ぎ、写し身となりて、新たなその身体を育み給え」

 傷口の周りに、ふわふわと、言環理の力が光の泡となってあふれ出す。じわりと指先が暖かくなり、血は止まり傷口がふさがった。

 マイラは指先にそっと口づけて、ふわりとほほえむ。

「大丈夫、そんなに切れてないよ。よかった」

 そう言って席にもどった。

「マイラ……」

 マイラの優しさに、マルトは少し頬を染める。

 そんなマルトの気持ちを知ってか知らずか、マイラは一言。

「人肉入りの料理食べさせられるんじゃないかと、ヒヤヒヤしちゃった! 早くしてねー」

「鬼!」

 マイラの優しさなんて信じた自分がばかだったとぷりぷりしながら、マルトはたよりない手つきでなんとかマッシュルームを切り終わった。タマネギも少し切ってフライパンでいためると、パスタがゆで上がる時間。

 あわてて麺をすくい上げてお湯を切り、具といっしょにまた少しいためる。

 それを皿に盛るとテーブルに運んでどんと置く。

「はい! スパゲティー特盛!」

「えー! マルくん、いっつもこれじゃん!」

「いやなら食うな!」

 愛が足りないのなんのとぶつぶつ文句を言いながら、マイラはスパゲティをフォークでからめ取る。食べ始めるとまんざらでもない様子。口では言い返したけれど、おいしく食べてくれるかどうか心配していたマルトはほっとした。

 その背後にいつの間にか、すうっと無言で立つ人影が。

「わ! びっくりした!」

 マルトはおどろいて振り向いた。

 青々とした長い黒髪。すらりとした容姿は、眼鏡の奥の切れ長の目つきと相まって、知的な雰囲気をかもしだしている。それは、はおっている白衣によるところも大きい。その瞳は今、マルトをじっと見つめていた。

「サキ! おどかさないでよ!」

「あ、サキ。仕事終わったのー?」

 サキ・エリアンブルはマイラの問いに答えることなく、ぐいっと腕をつきだす。

「えっ?」

 おどろくマルトの鼻先にかかげられた手には、フラスコが一瓶。中にうすいピンク色の液体が入っている。

 事情に気づいたマルトがあわてて首を振る。

「ま、また試し飲み? やだよ! サキの薬、いっつも失敗作じゃん! この間の薬だって変なじんましん出て大変だったんだから!」

 そう、サキは言環理の力を使って薬を調合する、薬剤師である。

 腕前自体は確かなのだが、マッドサイエンティストな気質を持っていて、色々とおかしな研究を進めている。その被験者にいつもマルトがかりだされるのである。

 何度も痛い目を見ているマルトの抗議を、サキは表情一つ変えずに、気にもかけていないふう。

「うわ!」

 空いた手でいきなりマルトの鼻をつまむと、上を向かせて、開いた口に薬を注ぎこんだ。

 鼻をふさがれ息ができないので、このままでは窒息の危機。あわててマルトはごくりと飲みこみ、呼吸を確保する。

 胃の中に収まった薬がじわりと温かい。

 何かいやな感じがする。

 温度がどんどん上がっていく気がする。体がぽっぽと熱くなる。めまいがし始めた。

 そしてぐるりと世界が回って。

 マルトは、ばたんと床にたおれた。

「きゃっ!」

 マイラはもちろん、その音に台所をのぞきこんだナーナの顔も青ざめる。みんなあわててマルトの元へかけよった。

「マルくん? 大丈夫?」

「サキ! あんたいったい何飲ませて……」

 そこで二人の言葉もピタリと止まった。

 そばで立ちつくしたまま微動だにしないサキと、同じものを見てしまったからだ。

 上気して赤く染まる頬。

 やわらかく色づく赤い唇。

 かすかにふるえる長いまつげ。

 苦しげな吐息でさえも、そのひびきがあまく耳をくすぐる。

 三人は息をつめて見つめるしかなかった。

 心臓が高鳴る。指先が細かくふるえ始める。自分たちの頬も熱くなっていくのを三人は感じた。

 これはおかしい。尋常の事態ではない。

 かすれる声でナーナはサキにたずねた。

「……何、飲ませたの?」

「……ほれ薬」

「この感じだと『ほれられ薬』だったみたいね……失敗だわ……」

 マイラがごくりと喉を鳴らす。

「……おいしそう」

 口には出さなくとも、他の二人もその気持ちには同意だった。愛くるしさのあまり食べてしまいたい。

 正常な思考を保てていないことには、自覚がある。

だがそれがどうしたというのだ。こんなにかわいいマルトを愛することに、何の問題があるのだろう。

「こ……こういう場合はやっぱり人工呼吸かな……」

 マイラがマルトの口元にそっと自分の唇を寄せていく。

「じ……じゃあ私は心臓マッサージを、直肌で……」

 ナーナはマルトのシャツのボタンを一つ一つ外し始めた。

「何かすごい音したけど、どうしたのー?」

 台所の入り口から、少女がひょこっと顔をのぞかせた。

 メイ・ホワイト。マルトと同じぐらいの年の、お下げ髪のにあう、かわいい女の子。この家の同居人の、最後の一人。

「え?」

 その時、メイの見たものは。

「何? きゃっ!」

 上半身をはだけさせられて、床に横たわるマルト。

 頬を染め、うるんだ瞳でそれを見つめながら、人肌で温めてあげなければと、いそいそと服を脱ぎ、素肌をあらわにしている三人。


「ヒポクラテスとディオスコリデスの名においてお言環理します。その扉を開き、高層の力でもって、そのくびきを断ち切り給え!」


「ありがとう、メイちゃん」

「もーっ! みんな言環理使いなんだから、ちゃんと助けてあげなきゃ!」

 ごほごほとむせるマルトの背をさすりながら、目撃した光景の恥ずかしさに頬を赤らめて、メイは三人に苦言を告げる。

 薬のせいだとわかっていながら、むしろあえてのようにまんまと術中にはまったナーナとマイラは、居心地悪そうに苦笑い。

 しかしサキは「これはこれで売れる」などと不穏なことをつぶやきながら部屋を出ていった。こののち、薬効の微調整を済ませたこの薬は、自らアピールできない、シャイでそれでいて思いつめたこの街の多くの乙女を、救ったとか救わなかったとか。


「全くサキには困ったもんだよねー」

 残って皿洗いを手伝ってくれているメイに、マルトはつぶやいた。マイラは気恥ずかしさもあって、残りのスパゲティを食べたあと、そそくさと退散している。それでなくとも、普段からこうしてマルトの仕事を手伝ってくれるのは、メイぐらいだった。

「ぼくが来る前は、メイちゃんが全部仕事をやらされてたの? ご飯はどうしてたの?」

 ふと気になってマルトはメイにたずねてみた。手伝ってもらってもこれだけ大変な仕事を、自分と同い年のメイが一人でやらされていたとしたら、さぞかし苦労も多かっただろう。

 それに、こうしていつも手伝ってくれる優しいメイが、食事当番をマルトに押しつけているとは思えない。すると自分が来る前は、いったいどうしていたのだろう。まあ、あの三人は大人だし、立派な言環理使いなんだから、ご飯ぐらいどうにかしそうだけれど。それでもめんどくさがって、メイがいろいろ押しつけられていたとしたら、かわいそうだ。

 しかし、その問いに対するメイの返事はなかった。

 おやと思って顔を上げ、となりに顔を向けると、メイは困ったような顔で、じっとこちらを見ている。口をヘの字に曲げ、頬がほんのり赤く染まっている。

「どうしたの?」

何かまずいことを聞いたのかなと、マルトがあわてて問い直すと。

「ごめんね……私、まだみんなみたいに言環理うまくないから……きちんと解けてないかも……」

 メイは口元に手をそえて、ぽつりとつぶやいた。

「どうしよう……マルくん……なんかね……体が熱いの……」

 そう言って、ブラウスのボタンに手をかけ、上から一つ、外す。

 襟元の白い肌が、顔をのぞかせる。

 そして、また一つ……。

「わー! わー! ちょっと待って、メイちゃん! 誰か! 誰か来てー!」

 その後、解言されたメイが、今度は自らの行いの恥ずかしさに顔いっぱいを赤く染め、もう一度サキに文句を言ったのは言うまでもない。

 マルトの日常は、いつもこうしてさわがしく過ぎてゆくのだった。


 だがこの日常は、最近できあがったものだ。血のつながらない五人が、家族のように暮らす、そんな日常。

 マルトのもともとの家族は亡くなっている。

 小さいころから母子二人の暮らしだった。記憶もないほど幼いころに、父とは別れた。その父が他界し、時を同じくして母も亡くなって、他に身寄りのないマルトはこの店に引き取られたのだった。

「だいたい何でぼくが店長?」

 一度マルトは疑問に思ってたずねてみた。会ったこともない、小さな子供で、働いた経験もない。当然の疑問だ。それに対するナーナの答えは。

「前の店長……あなたのお父さんが亡くなって、誰が店長になるかもめたのよ。で、名目上息子を」

「あっそ」

 マルトは掃除道具を手に取って仕事にもどった。まったくもって軽い理由だが、そのころには三人の適当さ加減にすっかり慣れてたので、そんなことだろうと納得したのだった。

 それに結局のところ、誰が店長であるかは重要なことではなかった。この店は、看板にある通り「よろず困りごと」を引き受けている、街の便利屋だ。ただ三人それぞれ個性があり、特技もちがう。それを生かしたサービスが店の売りものだった。だから店長が誰でも、やることは変わらない。

 サキは、マルトに対してはおかしな薬の人体実験ばかりしているが、実のところ、言環理を巧みに使える優秀な薬剤師だ。よく効く薬もちゃんと作っており、それを店頭で売っている。

 無愛想だけれど子供好きなのか、おいしいあめ玉をくれるお姉ちゃんとして、街の子供たちに知られている。薬作りの一環で、のどあめも作っていて、それをいつもポケットに忍ばせているのだ。ただし、マルトにくれるあめ玉には、たまに実験中の薬を練りこんだ地雷が仕込まれていて、油断ができない。

 「力仕事はマイラの担当」とナーナが言った通り、マイラは荒事向きの言環理が得意だ。この街は国の外れにあるので、町の外は自然が深く、旅人をおそう害獣が出没したりする。その退治を町から依頼されていて、実入りのいい仕事となっている。獣だけではなく、ならず者や山賊の逮捕も手伝っていて、街の人からたよりにされる存在だ。

 だが、たよりがいのある表向きの顔とちがって、家の中で一番手がかかるのがマイラだった。あれしてこれしてと、しょっちゅうマルトに要求してくる。ぺたぺたとスキンシップを取りたがるのはナーナと同じだが、マイラの場合はからかってではなく、本当にあまえてのようだった。

 ナーナは、植物の成長を操ったように、繊細な言環理使いをすることができる。三人の中では一番万能で、特に苦手なことがなく、まさによろず困り事を引き受けている。

 よろず困りごとの変わり種としては、恋占いが得意だという評判が立ち、それを目当ての若い女の子がちょくちょくと訪れ、人気のサービスとなっている。だが実は、まるで運命に導かれたかのような想い人との出会いは、ナーナが裏でこっそり手引きしているのだ。本人はそんな恋のキューピッド役が楽しいらしい。

 メイも言環理が使えるが、まだまだ見習いだと本人は謙遜している。主に店番につき、小さな看板娘として近所の大人たちにかわいがられている。

 メイの存在がマルトには一番不思議だった。

 小さな女の子が住み込みで働いている。家族の気配は見えない。何か事情がありそうだったけれど、自分も両親を亡くしているマルトには、そういうことを聞くのはためらわれた。

 そして、その他にもこの店には不思議なことがあると、マルトは思うのだった。

 ある日のこと。

 店に一人の男が訪ねてきた。

「いらっしゃいませー」

 メイといっしょに店番をしていたマルトが出むかえたのは、旅人ふうの男。ただ風来坊というような雰囲気ではなく、身なりはしっかりとしていた。

 特にはおっているマントを止める襟元のかざりボタン。あの紋様はどこかで見たことがあるような。高名な貴族の家紋ではなかったか。

 こんな片田舎の店に立派な貴族が用があるとは思えないので、その血統の者ではないにせよ、そこで働いている人なのかもしれない。ひげをたくわえ威風堂々という言葉がにあう壮年の男性。その第一印象にふさわしい落ち着いた口調でマルトに告げる。

「すまんがご主人はおられるかな?」

「えーと、一応ぼくですけど……」

 もしかしたら父の知り合い? 亡くなったことを知らないのかな? マルトはそう思いながら答えた。案の定そうだったようで、男はびっくりしたように一段大きな声をあげた。

「君? いや、そんなはずは。だってこの店は……」

「あ、えっと……」

メイが説明を引きつごうとした時。

「あー! いらっしゃいませ!」

「おお、ナーナ! どうしたんだね? ムートは?」

「ええ、いろいろありまして。さ、お話しは奥で」

 声を聞きつけて、ナーナが店の奥から顔を出し、男を引き取る。やはり顔見知りのようだった。ただ、マルトに話を聞かせたくない様子なのが気にかかる。

 不思議に思ったマルトは、となりのメイにたずねた。

「今の人……よく来る人?」

「え? う……うん」

「でも、この町の人じゃないよね。すごい立派な身なりをしていたし……それにあの紋章、どっかで……」

「あ、そうだ、お届け物があったんだ。ちょっと行ってくるね」

 メイは急にぽんと手をたたいて、そそくさと店を出ていった。

 マルトはメイの様子にも首をひねった。今のは明らかにおかしい。何かおどおどと目が泳いでいたし、話をむりやり打ち切った。そもそも、お届け物って、今、何か持って出ていったっけ?

 まるで逃げ出したようだ。なんだろう。

 もしかしてぼくに何か、かくしているのでは。そんな疑問が深まった。

 が。

 ドカンと爆発音がひびき、サキの仕事部屋からもうもうと煙がふき出して、その思考は中断された。

「今度は何作ってたの!」

「失敗……掃除は任せた……」

「ねー、晩ごはんマダー?」

「肩もんでー!」

「えーい! 少しは自分たちでやれー!」

 結局いそがしい日常が帰ってきて、疑問はうやむやのままに。

「お母さん、ぼくはもう生活に疲れました……」

 星空を見上げ、亡き母につぶやく日々であった。

 しかしその日常を覆う偽りのカーテンは、突然、はがされることになる。


 ある日のこと。

「わー! かっこいい!」

「にあう、にあう!」

 パリッとしたお仕着せを着せられ、マルトはとまどっていた。

 うむを言わさず三人がかりで、着せ替え人形のように、こっちでもないあっちでもないと、何着も着替えさせられ、あっち向いてとかくるっと回ってとか、いろいろポーズを取らされた。

 マルトはこんな服を持ってはいなかった。田舎から連れてこられた時の荷物には、入ってなかったはずだ。いったい、いつの間に作ったのだろう。くわしいことはよくわからないけれど、仕立てのよい、お値段もそれに見合った高い物のように思えた。

 三人は何度も何度も試着をくり返させ、ようやく満足いったようだ。ナーナやマイラだけではなく、ふだんリアクションの薄いサキまでもが、うんうんとうなずいている。

 そもそもの疑問をマルトは口にした。

「なぜこんな格好を?」

 ナーナがマルトの襟を直しながら答える。

「ちゃんと店長らしく見えるようにね」

「はい、これ」

 マイラが差し出したのは鞄が一つ。皮のアタッシュケース。しっかり鍵がつくやつだ。

「これ持って、町外れの教会あとまで行ってほしいの。依頼主からたのまれた物なんだけど。大口の仕事だからていねいにあつかってね」

 どうやら仕事の手伝いらしい。マルトが着替えさせられたのもそのためか。

 だがそれでも疑問は残る。

「そんな大事なものだったら、いつも自分たちで行くのに?」

「今晩ちょっと用事が……」

「めんどうなんだもん」

 ナーナ、マイラと続いて、これまたサキも、うんうんとうなずいている。

「もう。いいかげんなんだから」

 結局はいつもどおりのゆるさだった。

 マルトは仕方なく店を出た。「教会あと」とは、マイラの言葉のとおり、町外れにある、今は使われていない建物だ。昔この町がもっとずっと小さかった時に作られ、街が逆側に向かって発展していったので不便になって、教会が新しく立て直され、古い方はそのままになったのだそうだ。

 辺りはもう暗くなっている。教会あとの方は昔の古い町並みで、引っ越した空き家も多く、そこら中に空き地もあって、とてもさびれた雰囲気だ。正直暗くなってから行くと、ちょっとこわい。

 マルトはぶるりと身ぶるいして、それでも町外れへ向かって歩き出した。

 それを、店の窓から見送る三人。

「行ったわね」

「うん」

「あーあ、マルくん巻き込みたくなかったなー」

「仕方ないよ。人手が足りないし」

 そう話しながら、着替え始める。

 ブラウスの上にベスト。さらに丈は短く肩のふくらんだ、紺色に金の刺繍の上着。マイラは動きやすいパンツルック。ナーナとサキは長いスカート。がっちりした丈夫なベルトで腰を締め、足元もしっかりしたブーツ。胸元にある紋章は先日来た男のものと同じ。三人おそろいの印象になる、制服のような、もっと言えば軍服のようないでたち。

「じゃあメイ。あとはよろしくね!」

「行ってらっしゃい」

「さってと」

 店を出た三人は、マルトが向かった教会あとの方を見すえる。きりりと引きしまった表情。瞳に強い意志を宿す。

「これからが本番よ!」


(ち……ちょっと!)

 一方、教会あとに着いたマルトは、出むかえた相手の様子におどろいていた。

(明らかにカタギの人たちじゃないんですけど!)

 頬に傷あとを持つような、いかつい顔の不逞の輩が大勢いた。その顔だけでも十分威圧感があるのに、おのおのが剣やナイフ、さらには短銃といった獲物を、すでに鞘からぬいて抜き身で持っている。ただ単にマルトを威嚇しているだけではない、ピリピリとした緊張感をただよわせながら、辺りを警戒している。

 建物が見えたところで、扉の前のあやしげな見張りの姿に二の足をふんでいたマルトは、外を巡回していた別の見張りにつかまり、教会の中に引き込まれた。その尋常ならざる雰囲気に、焦りの汗が頬を伝う。

「いったい……何事なの?」

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