泥のようなあたたかさ
泥のようなあたたかさ
街にあるデパートの本館が改装になるということで、館内の要らなくなったガラスやなんやかやのショーケースを片付ける働き口があり、夜未とポーとはそこで働くことにした。夜の九時にデパートの搬送口に集合である。カップルやどこに行くとも判らない宵街をゆく人たちを避けて歩いた。煙草の煙りが燻り、ブランド店の電気が通行者達の影を濃くしている。ハロウィンの今日は、キャラクターが徘徊していた。
搬送口では、タオルを頭に巻いた中年男性から、青年まで、いろいろな人たちがヘルメットの具合を確かめたりしながら誰かの指示を待っている様子った。
「なんか緊張するな。」
「大丈夫だよ。」夜未が現場のリーダーから貰ってきたヘルメットを、ポーのおつむに被せながら呟いた。
「ハイ、こっちこっち。」手をひらひらさせつつ、後ろ歩きをして、リーダーがデパートの中に吸い込まれていく。ぞろぞろと男たちが光の射す屋内に進んでいく。
柱の周りに荷物を置いてこれからの業務内容に耳を傾ける。
「腕に腕章を付けて下さい。」命令されるがままに指示に従うバイトの面々。
労働者の彼らにはカウンターや骨組みという、解体することの出来ない、店の残骸を仕分ける任務が課されている。
「上に乗ったら速く片付くぞおー!」
「ほんとうだあ! スムーズだあー!」
ガラスを台車の上に載せて足の下にガラスを敷いて、運搬していたポー&夜未は物凄いスピードで移動していた。
「お前、台車を足で押していただろう。」夜未が目を上げたとき金髪にタオルを巻いた若い男が仁王立ちしていた。
「はい。」夜未が鈍い声でこたえた。
「上を向け。」金髪は夜未の持つ台車を蹴った。夜未は染みが付いてよれているTシャツを見上げた。その目付きは親の仇をとる小動物のようだった。
「ふざけるなよ。」金髪は言い捨てて、去っていった。
クレームを受け取ったあとでも彼らは黙々と課題をこなした。
休憩が告げられるとアルバイトたちはヘルメットを外し、頭を覆ったタオルを振りほどいて、髪を手でくしゃくしゃっと梳かして、好きな方角へ散っていった。みな、虚ろな目をして疲れ果てていた。
「ひどい目に遭っちゃったな。」
「仕事って骨が折れるもんだな。」しゃがみ込んでいる、職場のなかでは若いその二人の横を彼らの父親程の年齢の男性が通りすがった。ポーが腰を上げた。
「あの人ってば、お父さんと同じくらいの齢の人だよ。生きてたらだけどさ。」
「情報を取り扱うベンチャー企業に勤めていたんだ。それで、何年か前バブルが弾けたろう? そのときにリストラされて今ではこういう仕事をしてるんだ。」と父親ほどの年齢の男が夜未とポーに語りかけている。
「娘がいる。」
「何歳なんですか?」
「中学生だよ。今、受験だ。」
「娘は私と一緒にいるのが好きだって言うんだ。」彼の顔には眼鏡のせいで影がかかっていたが、ほくそ笑んでいることが判る。
「お父さんと同じ洗濯機でブラジャー洗っちゃだめとか言われないですか?」
「あはは。それは全く気にしてないみたいだな。授業参観に行くと、他のお父さん達は、娘が相手してくれないってぼやいてる。うちの娘は俺の誇りなんだ。」
「へえ! いいですね。」一行は自動販売機の近くの灰皿の在るスペースに辿り着いた。ベンチが設置されていて、缶コーヒーを飲んでいる人々が座っている。
「こんにちは。」
「ああ、こんにちは。」灰皿で吸っていた煙草を捻り潰し、顎にもじゃもじゃと顔に髭を蓄えた彼は、口を開いた。
「小僧たちは今日から?」
「はい。」
「そうかあ。」また煙草をじりじり灰皿に擦り付けた。
「こういう仕事は長いんですか?」
「ああ、そうだよ。」素っ気なく返事をして、「長瀬さん。」髭は長瀬という背広を着た男に顔を向けた。
「明日って仕事入ってましたっけ?」密林のような髭の下でパクパクと口が動いた。
「入ってるよ! あ、あとさ、明後日も入ってくれない?」
「いいっすよお。」
「缶コーヒー要る人?」長瀬が腕を上げた。髭は当然のように手を挙げ、「お父さん」も、申し訳無さそうに唇を少し前に突き出しつつ手を挙げた。
「坊やたちは?」長瀬は掴んだコーヒーを、ポーと夜未に差し出した。
「欲しいです!」
「この仕事は初めて?」と髭。
「はい。」
「あっ俺、関。関智。」
「そう、この方、セキトモさん。」長瀬が関の横から口を挟んだ。関智が続ける。
「俺はこんな仕事は沢山やってる。九州まで行ったことあるよ。交通費付きでな! 九州に原発があって。それを見張る仕事。ゲームを持ってって、海をながめたりしながら一日中遊ぶ。」
「いいっすね。」
「気楽っすね。」
「そうだろ。たまに職員がチェックしにくると隠すけど、そんとき以外は気楽だ!」関智は至極美味しそうに二本目の煙草に火を灯して吸った。そして、煙を吐き出した。
「その日のうちに現金払い。その金を掴んで、夜はパチンコで擦っちまう。旅館は手配してくれるから、酒を買っていって呑む。陽がしずんだあとにゃスッカラカンさ。」
「一日で使っちゃうんだ。」ポーは心底驚いていた。休憩所にいる大人たちはおいしそうにコーヒー缶を飲み干したり煙草をふかしたりして、関智に賛同するようだった。
休憩時間がが終了して、仕事が再開され、仕事が片付けの段階になって来る。
「俺、臨死体験したことあるよ。」関智が言って、
「えっ、まじですか。」と夜未が答えた。
「うん。俺柔道やっててさ。対戦相手に脳天から落とされたんだ。ガーンって。」彼はやたらに嬉々として語った。
「それでどうなったんですか?」
「クラクラっとして、星がチカチカして。それでさ、あれって本当なんだな。走馬灯ってやつ。生まれてから今までの記憶が甦るってな。」
「えっ、あれって本当なんだ。」
「うん。しばらくして、病院で目が覚めたけど。」
ポーが「ああっ。」と情けない声を漏らした。関智がポーを片腕で担ぎ、地面に叩きつける寸前で宙吊りにした。
「すごい力だなあ。」
「お前ら終電間に合うんか。」関智が時計に目を遣った。
「駅まで送って行ってやるよ。」
「ほんとですか! ありがとうございます!」
駐車場に停めている車まで走っていって、乗りこんだ。
あまりの寒さに道路が凍結している。
「こっちで合ってるか。」開けた車の窓に腕をおいて関智が言う。車体が揺れている。
「合ってます。セキトモさんはこの後どうするんですか?」夜未は地図と凍ったみちを交互に確認している。
「飲み会かな。地元の奴らと会って酒飲んだりだよ。」
「いいですね。」
「ここまっすぐでいける?」
「はい。このまままっすぐです。」信号で車が停まった。
「この世界も、まともな奴は少ないよ。」関智がシャツのポケットの煙草の本数を確認しながら言った。
「そうなんですか。」
「仕事飛ばす奴は飛ばすしな。俺は真面目にやってきたよ。」煙りを吐きだす。
駅に着くと最後の電車が発車するところだった。「ありがとうございます!」とこどもたちは言って、家路に着いた。関智は仕事場に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます