第101話 旧友
黄河の渡河を終えた魏延は上党へ進路を定めた。晋軍から攻撃や妨害を受ける事なく上党近郊へ到着した。
「先ず降伏を促してみよう。それが駄目なら別の手立てを考えようと思う。」
魏延は法正の指示で時間を掛けて河北を制圧するので力攻めを極力行わない考えだった。
「魏時代から仕えている者なら晋のやり方に辟易している事も考えられますので勝算は十分にあります。」
馬謖は法正の方針を合流直後に聞いていた事もあり、阿吽の呼吸で魏延の意見に賛成した。馬謖自身も袁一族滅亡後は戦と無縁だった河北で無闇に戦をすれば人心を掌握する事が難しいと思っていた。
「使者は呉班に務めてもらう。」
「承知致しました。」
呉班は劉備陣営に加わる前は劉璋の下で文官職を務めていたので交渉の席にも着いた事もある。また先日まで漢中軍において張飛の補佐役を務めていたので腹も座っている。魏延と同じ様な境遇を辿っている呉班なら無事に務め上げるに違いないという魏延の判断であった。
◇◇◇◇◇
「上党は蜀漢軍に降伏するとの事です。」
「よくやってくれた。」
魏延は呉班麾下の兵士から交渉結果を聞いて喜んだ。その後で呉班からの書簡を受け取りそれを一読した魏延は急いで別の書簡を作成して成都に送った。
「どうかされましたか?」
馬謖は魏延が慌ただしく動いていたのが気になったので質問した。
「降伏した上党の太守が我が君と旧知の人物らしい。」
特に他言無用の内容でもないので魏延は正直に答えた。
「その確認ですか?」
「それもあるが、その御仁が太守を辞して成都で仕えたいと申し出ているようだ。なので代わりの者を至急派遣するよう要請した。」
魏延に太守辞任と成都転属を願い出たのは田豫である。田豫は黄巾の乱の際に劉備と共に義勇軍を立ち上げ各地を転戦した。黄巾の乱が終結した後は劉備配下となり公孫瓚の軍に身を置いた。劉備が陶謙に招かれ予州に向かう際に親族を残して行けない理由で袂を分かった。その時の劉備は涙を流して別れを惜しんだという。
◇◇◇◇◇
「蜀漢の左将軍、魏文長と申す。」
「上党太守、田国讓と申します。」
「此度の英断、我が君に成り代わり感謝致します。」
「回り道をしましたが再び劉備様の下で働く事が出来ます。」
田豫は劉備と別れた後、公孫瓚の客分として動いていた。しかし袁紹との争いに敗れて公孫瓚が敗死した為、献帝を擁していた曹操に従った。曹操に厚遇された田豫は要職を歴任した後、曹彰の後見役を任され期待に違わぬ働きをした。曹丕の代になっても鮮卑の監視役に就くなど引き続き重用されていたが、司馬一族による叛乱後は目障りな存在として上党太守に左遷されていた。
「某は司馬一族から手を貸して欲しいと要請されましたが良い返事をしませんでした。」
「司馬一族のやり方に疑念を抱いたと?」
「その通りです。」
田豫は叛乱という悪手で国を奪った司馬一族に対して嫌悪感を抱いた。曹丕も献帝から国を奪っているが形式的だが禅譲させている。司馬一族は他にやり方があった筈だと田豫は考えていたので再三の要請を受けたものの協力する事が出来なかった。
「将軍はこの後晋陽ですか?」
「はい。一部の兵力を残して晋陽に向かいます。」
魏延は田豫を信用して次の攻撃目標が晋陽である事を伝えた。
「ご存知かと思われますが晋陽には張郃殿が居ります。張郃殿の動きを警戒する為、司馬師が太守となり赴任しております。」
「貴重な情報を頂き感謝致します。」
魏延の脳裏に前世で命を落とした場面が鮮明に甦った。司馬懿をあと一歩まで追い詰めた魏延の前に立ちはだかり全てを打ち砕いた男の顔もまた鮮明に甦った。言いようの無い怒りが込み上げてきたが魏延はおくびにも出さず冷静に対応した。
◇◇◇◇◇
魏延からの要請に対する返答は予想に反して早々にもたらされた。劉備が北伐の督戦を行う為に北上しており長安まで進出していた。劉備は魏延の書簡を一読すると田豫を長安太守として自身の近くに置く事を決めた。上党には厳顔を向かわせるのでしばらく太守を代行するようにと記されていた。
「馬謖、傅士仁。厳顔殿が来るまで上党の一切を任せる。」
「お任せ下さい。」
「私は晋陽に向かい周辺の状況把握に努めておく。攻撃は君たちの到着を待ってから行うつもりだ。」
晋陽には司馬師が居る為、計略に明るい者が必要になってくる。今の姜維は年が若く駆け引きに長けていない。頼りになるのはやはり馬謖である。前世とは異なり謙虚であり軍略にも明るいので魏延は全幅の信頼を置いている。晋陽では張郃との接触を優先した上で馬謖らの到着後に攻撃を行う方針に決まった。
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