第二話 再会

 千種のことを思い出すと、どうしても古傷が疼いてしまう。母親に刻まれた傷痕は未だに残っているが、当時よりは目立たなくなった。どんなに年月が経ってもこの傷だけはきっといつまでも消えないだろう。

「花火」

「ん?」

 放課後に染まった静かな教室の中、唐沢と藤、俺の三人で勉強会をしていた。もうすぐ中間考査がある。考査になると課題も多く出されて、それを片付けている最中だった。

「気分悪いの?」

 数学の問題集を広げながら唐沢が訊いてきた。ふと視線が下がって腹部を押さえる俺の手に注がれる。僅かに眉を顰めると、そのまま俺の方を見てくる。

「……まだ痛むのか」

 唐沢は俺が母親から虐待を受けていた過去を知る唯一の友だちだ。あの日、母親が俺にしたことも全部知っている。俺の身体に消えない傷痕があることも知っているからこそ彼は心配そうに俺を見つめていた。

「まぁ、ちょっとな」

「大丈夫なのか、無理そうなら」

「大丈夫だよ」

 にっと笑って見せて、俺は日本史のプリントに向き直る。すると、前の方から寝息が聞こえてきた。

 前の席には藤がいる。紺色のベストに隠れた小さな背中は静かに上下していた。

 藤は英語のノートを写すと言って、開始二十分で爆睡した。一度起こしたが、また寝落ちたようだ。集中力がないわけではなく、単に寝不足である。藤がやり込んでいるゲームのイベント期間なので夜も寝ないでプレイしているのだろう。ご苦労なことだ。

 藤といえば、この前の運動会で気になることがあった。

 藤が泣いたのだ。あの渡辺藤が泣いたのである。実際に泣いたところを目撃したわけではないが、明らかに泣いたとわかる痕があった。

 藤が泣いたときは心の底から驚いた。

 運動会の日、昼食を一緒に食べようと藤を探したが、あいつはどこにもいなかった。結局、藤が現れたのは三年の学年競技が始まるぎりぎりの時間だった。クラスが違うからその時は話せなかったけれど、唐沢によると様子が少しおかしかったらしい。

 競技の後で呼び出したら、目元がほんのり赤く腫れていた。どうしたのかと尋ねたが、なんでもないと藤は答えた。俺は知っている。藤は本当に触れられたくないことは強引に隠そうとする。今までにも何度かあった。きっと誰にも知られたくないことがあるのだ。それは藤に限ったことじゃない。俺も同じだ。だから、無理に詮索するようなことはしないと決めていた。けれど、今回は違う。明らかに藤は泣いた。その痕が残っている。

 藤が泣いたなんて初めてだ。他人に興味がなく、できるだけ面倒を避けてきた、みたいな生き方をしていて、感情なんてものはほとんど表に出さなかった。俺は藤が人よりも感情の制御が上手く、人との関わりを必要最低限にすることでそれを安定させているのだと思っていた。まるで始めからそんなものは存在してないかのように振る舞っていた。それ程にまで俺は渡辺藤という人間が泣いたという事実に実感が持てないでいた。

 今思うと、おかしな話だ。藤だって俺と同じ人間だし、俺に感情があるように藤にだって感情はある。泣くくらい誰だって当然のことだ。

 本人は泣いたことを隠しているつもりらしいが、俺と唐沢にはバレバレだった。どんなに平常心を装っても赤く腫れた目元は隠せていなかった。きっとこれでもかと涙を拭ったのだろう。強く擦ったかもしれない。唐沢はそっとしとけと言っていたけれど、俺はどうしても藤が泣いた理由を知りたかった。大切な友だちが独りで泣いていたかもしれないと思うと、小学生時代の自分を思い出して、重なってみえて、放っておけなくなる。

 後日、それとなく藤に訊いてみたが、運動会のときと同じようになんでもないの一点張りだった。そのまま泣いた理由はわからずじまいで、藤がなにも言わないから俺もそれ以降はなにも訊いていない。

「なあ、唐沢」

「なにー?」

 唐沢はこちらを見ずに返事をした。

「運動会んときに藤が泣いた理由とか、知ってたりする?」

「知らん」

 即答だった。唐沢も聞いてないのか。

「藤が泣くなんて思わんかった」

「渡辺だって泣くことくらいあるだろ」

 そりゃあるかもしれない。俺が思っているより藤は女の子で些細なことで泣いてしまうほど弱い生き物かもしれない。でも俺は、藤が誰かに弱みをみせているところを見たことがなかった。仲良くなった俺や唐沢にだってみせたことがない。藤は他人に弱みをみせるような人間ではないと勝手に思い込んでいた。

「意外だった」

「そうか? 俺は誰かさんと似て渡辺も泣き虫なイメージあったぞ」

 誰かさんとは。あえて口に出さない。

「そうなん?」

「中学んときの花火に似てる」

 ぴんとこない。でも、唐沢が言うのだから似ているのかもしれない。どうでもよさそうにしていてよく人をみている。唐沢とはそういう奴だ。

「どんなところが?」

「誰に対しても壁作って一線引いてるところ、とか。特に女子相手に」

 言われてみるとそうだ。俺が女子を避けるのは苦手だからだけど、藤が避けるのはどうしてなのだろう。謎だ。

「それのどこが、泣き虫なんだよ」

 唐沢は手を止めて俺の方を見た。

「人間関係過剰に意識してる奴はそうなのかと思って」

 にやにやしながら唐沢は俺を見てくる。完全に俺をバカにしている。俺は泣き虫じゃない。そんなに泣いてなかっただろ。



 藤が寝たままで勉強会にならないので、俺たちは早めに帰路についていた。途中でコンビニへ寄り、アイスを買った。店の前に三人並んで食べている。

 みんな無言でアイスを貪っていたときだった。誰かが俺の前に立った。

「久しぶり、花火」

 目が合った相手は夏の学生服を着た青年だった。

「知り合いか?」

 唐沢はバニラ味の棒アイスをちょうど食べ終わったみたいだ。

「……いや、知らないけど」

 きちんと切りそろえられた黒髪に輪郭が細く、整った顔をしている。背丈も俺より高く細身だが、筋肉は人並みについているようだ。モデル体型というやつだろうか。そして、深緑を基調にしたシンプルなデザインの学生服は偏差値の高い私立校を連想させた。全体的に育ちのいい印象を受ける。

 こんな奴は知り合いにいなかったと思う。けれど、青年にはどこか見覚えのある面影があって、懐かしい感覚と何故か胸の奥がざわついた。

「酷いなぁ、俺だよ。忘れちゃったの?」

 青年の眼差しが俺を捉えたままで、瞳の中に吸い込まれそうだった。花火と親しそうに俺の名前を呼ぶ声は意外にすんなりと耳に馴染んでいる。まるで彼にそう呼ばれるのは初めてじゃないみたいだ。ただ表情に少しだけ陰りがあることが気になった。優しい微笑の裏側に隠した深い闇を投影しているような、妙な胡散臭さがある。

「誰なん……」

 言いかけてやめた。

 青年から感じる懐かしさが記憶の鱗片を刺激した。知っている。俺はこの青年と会ったことがある。出会ったのは遠い昔、そう俺はまだ幼い子どもだった。右も左もわからない子どもで、小学校に入学して初めて教室で声をかけられたんだ。


『君、花火っていうの? すげぇいい名前じゃん!』


『オレ? オレは――』


『これからよろしくな! 花火』

 

 不安でどうしようもなかった俺に声をかけてくれた少年だ。それが嬉しくて、俺は彼と友だちになりたかった。彼と仲良くなるのにそう時間はかからなかった。すぐに打ち解けられた。

 けれど、こんなにも胸がざわつくのは何故だろう。記憶の中の俺は幸せそうに笑っている。学校が楽しくてしかたなかった。放課後になって彼と別れる度に早く明日になれと強く願ったものだ。なのに、なんで彼のことが思い出せない? 頭の隅でなにかがそれを拒んでいる。思い出したくないと、思い出してはダメだと訴えている。 

 記憶を探れば探るほど、全身に重しを乗せられたように身体が重くなる。指先が震えて、口が渇いた。それでも俺は思い出さないといけない気がした。それはきっと忘れてはいけないことのはずなんだ。だって、それは――。

 暗闇の向こうに泣いている男の子がいる。ひとりぼっちで、蹲ってこれ以上ないくらいの悲しい声だった。

 そこにひとりの女の子がやってきた。その女の子も男の子の隣に座っていっしょに泣いていた。でも、すぐに泣きやんだ。男の子も泣きやんで、暫くの間、ふたりは言葉を交わして、少しずつ笑顔が増えていった。暗闇も明るく照らされていた。

 それから、女の子はいなくなったり現れたりを繰り返した。

 そして、ぱたりといなくなった。男の子はまたひとりになった。ひとりぼっちだ。始めの頃より暗闇はいっそう闇を増して暗くなっていた。そこに今度は男の子が現れた。男の子は笑っている。けれど、蹲った男の子は泣いていた。暗闇は晴れない。暗いままだった。


『自分のしてたことなのに人のせいにするつもり?』


 青年の顔が記憶の中の少年と重なった。

繰斗くると……?」

 青年の顔がぱぁっと明るくなる。

「やっと思い出した?」

 胸の中を突風が吹き抜けた。鋭くチクチクとした痛みが心に残る。やがてそれは大きな痛みへと変わった。動悸が速くなる。千種のときと同じように古傷もまた疼きだした。

「で、でも……、なんでお前がここに」

 だから思い出しちゃいけなかったんだ。繰斗のことだから、忘れてしまいたい記憶だったから、思い出したらきっとまた傷つくから。

「この近くの高校に通ってるんだ。てか、花火の制服って北丘高校でしょ? 俺の高校からも近いよ」

「へぇ……そうなんだ」

 繰斗から俺は目を逸らした。腹部を押さえる手に力が入る。なんだか息も苦しくなってきた。

 首筋を冷や汗が伝った。食べかけのアイスが溶けて地面に垂れる。

「花火に会ったら訊こうと思ってたことがあるんだけどさぁ」

 繰斗が言葉を紡ぐ度に彼の記憶が頭の中を巡った。坂崎さかさき繰斗という男がどういう人間なのか。忘れていた記憶がどんどん蘇ってくる。

「あの時、なんで俺に」

「花火」

 瞬間、アイスの棒を持っている方の手を掴まれた。

「アイス、垂れちゃってるよ」

 藤が食べないの? と無垢な子どものように俺を覗き込んでいた。

「あ、ああ……」

 溶けてどろどろになったアイスを食べようとした途端に最後の塊が地面に落ちた。

「あ」

 漏れた声といっしょに「あーあ……」と隣から残念そうな声がした。藤が勿体ないと落ちたアイスを見つめている。繰斗が話しかけてきたときも気にせず、無言でアイスを食べていた藤は唐沢同様に自分のアイスは完食済みだ。

 汚れた手を拭こうとしたときタイミングよく繰斗がポケットティッシュを差しだしてきた。彼は笑顔だったが、それさえなんだか怖く思えてきた。

 繰斗とは酷い別れ方をしている。さっき繰斗が言いかけたこともきっとそのときのことだ。正直、藤が話を遮ってくれてよかった。あのまま話されていたらどうなっていたことか。それに繰斗に問いつめられでもしたら誤魔化せる自信がない。

 繰斗からのティッシュを受け取れないでいると、藤が代わりに受け取って俺の手を拭いてくれた。

 繰斗はというと案の定、なんでお前が受け取るの? みたいな不機嫌な顔をしていた。だが、俺と目が合うとすぐ笑顔になった。

「えーっと、花火の知り合いでいいんだよな?」

 唐沢が俺に訊いてくる。うんと肯いて、小学校時代のクラスメイトだと伝えた。と言っても、五年生からはクラス替えで違うクラスになったのだが。

「花火に訊きたいことがあるみたいだけど、また今度にして?」

 繰斗の表情が変わった。笑顔が消える。

「は? なんで? というか、そもそも君たちは花火のなんなわけ?」

「俺らは花火の友だちで、こいつ今日は体調悪いみたいだから」

「体調が悪い⁉」

 繰斗が慌てて俺の傍まで駆け寄ってくる。隣にいた藤は押しのけられた。本能でか俺の身体は繰斗から離れようとするが、肩をがっちり掴まれていて無理だった。繰斗が俺の額に自身の額を当ててきて「熱はないみたいだけど」なんて呟いている。距離が近いせいで、身体が強張っている。

 繰斗から逃れたいという拒絶とでも、こいつには抗えないという絶対的な恐怖がせめぎ合ってより俺を追いつめた。

 他に異常はないか念入りに訊くと、繰斗は俺の腕を掴んで言ってきた。

「俺んちの方に病院あるから一応診てもらお?」

「えっ」

 抵抗もできず、されるがままで連れていかれそうになったとき、急に肩を掴まれたと思ったら、そのまま後ろに引っ張られた。

 俺を受け止めたのは唐沢だった。

 唐沢は俺の腕を掴んでいる繰斗の腕を掴んで、彼を睨みつけていた。

「もう家に帰るから大丈夫だよ」

 だからその手を放せと言わんばかりである。それに今まで聞いたことのないくらい唐沢の声は低かった。

「家に帰ってもその後で悪化するかもしれないでしょ」

 繰斗も負けじと唐沢を睨みつけている。

 どちらも引く気がないみたいで、空気はどんどん険悪になっていく。

 なんで、こんなことになるんだ。

「病院行くかどうかは花火が決めれば?」

 この空気に耐えかねてか、藤が口を開いた。どっちにしても、みんなで行けばいいじゃんとつけ加えた。

 少しして先に唐沢がそうだよなと繰斗の腕を放した。続けて繰斗も渋々、俺の腕を放す。二人とも俺の方を見て答えを待っていた。

「花火はどうする?」

 藤に問われて俺は繰斗と唐沢を交互にみる。

 正直なところ、別に体調は悪くない。唐沢が言っていたのは古傷のことだろう。これは俺の精神的な問題でもあるし、病院で診てもらってどうにかなるものでもない。それに、あれこれ繰斗に知られるのは嫌だった。

 繰斗の方を向くと俺は告げた。

「今日は家に帰るよ。ごめん、繰斗……」

 ため息を吐いてから繰斗は「あっそ、いいよ。勝手にすれば」と言い放った。

「あ、あの」

「じゃあ、俺は行くから」

 俺の言葉を遮って繰斗はその場を後にした。去り際に藤が「一緒に行かなくていいの?」と尋ねたが、「これ以上は時間の無駄だから」と拗ねた子どもみたいに言い捨てて行ってしまった。

 繰斗の姿が完全に見えなくなると、俺は一気に脱力した。その場にしゃがみこんで、頭を伏せる。

「花火、大丈夫かよ?」

「え? 本当に具合悪かったの?」

 心配そうな唐沢の声と驚く藤の声が頭上でした。でも、すぐには反応できなかった。

 あんな別れ方をして、繰斗には恨まれているものだと思っていた。想像していたよりも繰斗は友好的で強引なところは相変わらずだったけれど、それでも少なくとも俺をまたわけではなさそうだった。だからこそ、もう大丈夫だと思い込んでいたのかもしれない。繰斗がいなくなった途端に身体から一気に力が抜けた。張りつめていた糸が緩んだように、どっと疲れがのしかかった。本当はすぐにでもこの場から逃げ出したかったのだ。またあの地獄のような日々が始まるんじゃないかって怖くて堪らなかった。

 もし、ひとりで繰斗と再会していたらきっと夜も眠れなくなっていただろう。あのときのことを訊かれなくて済んだし、唐沢や藤がいてくれて本当によかった。

「花火、だいじょうぶー?」

 伏せていた頭を上げて横を見れば、藤も同じようにしゃがんで俺の顔を覗き込んでいる。

「ごめん。私、余計なことした?」

 今度は少し悲しそうな顔をしている。さっきはあんなに頼もしかったのに。

 近頃の藤は冷たくつきはなしたり素直だったりなんだか不思議だ。それでも前より仲良くなれたみたいで嬉しい。泣いた理由だって教えてくれないだけで泣いたことについては一度も否定していない。今思えば、泣いたことは認めるっていう藤なりの意思表示だったのかもしれない。

「ううん、すげぇ助かった。ありがと」

 笑ってみせると、藤も安心したように微笑んだ。

「藤って結構優しいよな」

 俺が言うと、藤は「別にそんなんじゃないし」と仄かに頬を染めながら顔を逸らした。

「……こんなの、花火だけだよ」

 ぼそっと呟かれた言葉は心地よくて、いつのまにか古傷の疼きもなくなっていたことに気づく。

「渡辺、俺は? 俺には優しくしてくれないの?」

「ああ、唐沢も」

「そんなついでみたいに」

 いつもみたいにふざけ合っている二人。その光景が愛しくて、いつまでもこの三人で笑い合えたらいいと、この先もずっと一緒にいたいと願ってしまう。

「俺、二人のこと、すげぇ大好きだわ」

 気持ちを伝えたくなるってこういうことを言うんだろうな。本当に心から言葉が出てきて、相手に聞いてもらいたくなるもんなんだな。

「なんで急にそんな恥ずかしいこと言ってんの」

 はあぁと長いため息を吐いたかと思えば、今度は藤が頭を伏せた。

「えっ」

「なんでそういうのは照れずに言えんだよ」

 唐沢も呆れている。それと少しだけむくれていた。

 というか、そういうのはってどういう意味だ。

「えぇ? なに? どういうこと?」

 訊いても二人とも「「別に」」というだけだった。俺だけわかってないみたいで、疎外感を覚える。

「二人は俺のこと好きじゃないってこと?」

 不安がっている俺を面白がって、唐沢は「あー……」と含みのある言い方をしている。藤もおかしくなってきたようで笑っていた。

「本当に俺のこと好きじゃないの⁉」

 唐沢の態度がマジっぽくて俺は思わず、唐沢にしがみついた。

「からさわー」

 泣きそうだ。

「ふじぃ」

 他人事のように腹を抱えて笑っている藤に助けを求める。

 藤は立ち上がると、目元を拭ってから見たことないくらいの綺麗な笑顔を浮かべた。冬の澄んだ空みたいな、思わず触れたくなるくらい儚い微笑だった。

「花火のことは好きだよ」

 もともと綺麗な顔はしてたんだ。

 藤には秀麗という言葉がよく似合っていた。人は本当に美しいものを目にしたとき、心から魅了されるものだ。刹那のような出来事だった。また見たい、またあんなふうに笑ってほしいと心から思った。

「唐沢も好きだって」

 藤の言葉に本当に? と唐沢の方を向いた。一呼吸おいてから唐沢は肯いた。

「ああ。好きだよ、花火」

 一瞬だけ寂しげな表情をみせたのは気のせいだろうか。笑顔の中にもどこか哀しげな色があったような……。

「俺ら相思相愛だからなー」

「ははっ、なんだそれ」

 さっきからいろんな空気感が入れかわっている。今はいつもの二人だ。いつもの、俺が知っている慣れ親しんだ空気感。この二人について俺がまだ知らないことがいっぱいあるのだろう。だから、感じたことのない二人に戸惑ってしまう。知らないことは寂しいけれど、それもこれから知っていけたらいい。話せないことがあってもいつか笑って話せればそれでいい。今、無理をして探り合わなくても、お互いのことをみんなで分けあえる日がきっと訪れるはずだ。


 その後は結局まっすぐ家に帰らず、ゲーセンやファミレスへ寄り道をして夜遅くに帰宅した。二人は俺になにも訊かなかった。繰斗のことには触れずに普段どおりに接してくれた。その対応に救われたし、俺も気にしないでいられた。

 ただ、繰斗は北丘高校の近くの学校に通っていると言っていた。今回はたまたま再会しただけかもしれないが、これからは警戒する必要がある。外出はなるべく控えて、ひとりでは出歩かないようにしよう。

 あいつはなにを考えているかわからない。今度こそ捕まったらどうなるか、想像するだけで恐ろしい。

 坂崎繰斗は本当に危ない奴なのだ。

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