第八話 先輩

 運動会の放課後練習は思っていたとおりクラス対抗の全員リレーだった。春の体力テストで計測した五〇メートル走のタイムで実行委員が走る順番を決めている。練習を重ねて微調整をしていくという感じだ。

 私は後ろから五番目に走る。後半メンバーは大体、足の速い人で固められていた。走順を始めに聞いたときは前半組だった。足が遅い人と交互に走って順位を保つという役割だ。情報の漏れどころは夏目だと思うが、中学時代に陸上部だったことで後半組に入れられていた。

 グラウンドの使用時間が制限されていることもあり、実行委員が時間を気にしながらクラスメイトたちを並ばせる。

「偶数の人はこっちー!」

 少し苛ついた実行委員の声が響いているのにもかかわらず、クラスメイトたちはのんびりと歩いていた。せっかく列になって並んでいたのにそれも崩れてしまっている。

 全員リレーの整列だけに十分もかかり、実行委員の苛立ちは限界を超えそうだった。そこまで怒らなくてもいいのではと思っていたが、その原因を作っているのは自分たちなので何も言わないでおいた。

 第一走者がスタートすると、一気にクラスの空気は変わる。誰もが始まったのだと走者を見つめる。リレーは足の速さだけでなく、バトンパスも重要だ。タイムを縮めるにはバトンパスをいかにスムーズにするかが決め手となる。

 陸上部時代は毎日のように練習していたから感覚は残っている。特に気にすることでもないと思っていた。だが、クラスメイト全員に必ずしも陸上経験があるとは限らない。私の他に陸上経験のある生徒はいたが、数人だけだ。現陸上部も二人しかいない。三十七人が陸上部の洗練されたバトンパスをできるとは思えなかった。

 私の前後は陸上経験のないサッカー部と野球部だ。ボールを追っかけて、バットを振っている彼らがぶつけ本番で陸上経験者のバトンパスができるわけもなく、タイムロスをしてしまった。

 練習の後でサッカー部が言ってきた。「お前、走り出し早いよ。俺だから追いつけたけど」野球部も。「バトンパスのとき、突っ込んできすぎ。スピード落として」陸上のバトンパスはそんな甘ちょろいものではない。けれど、それが通用するのは陸上部であって、私が所属していた陸上部はもうない。余裕だと甘くとらえていたのは自分の方だった。

 時間ギリギリまでバトンパスの練習を重ねて、慌ててバイトに向かった。

「唐沢はやくはやく」

「これでも急いでっから!」

 唐沢の自転車で坂を下って青葉町を一気に抜ける。いくつもの入りくんだ脇道を通って近道をした。

 開けた道に出ると、そこは双葉町だった。道路に沿って横断歩道に向かって進む。信号の向こう側が商店街で私が働いている店がある。信号は赤で私は自転車から降りた。

「ここでいい、ありがとっ」

「今度なんかおごれ」

 唐沢に手を振ってから信号が青に変わった横断歩道を疾走した。

 出勤時間にはなんとか間に合って、スタッフルームへ急いだ。

 中には山本風斗やまもとふうとがいた。

「藤ちゃんがギリギリなんて珍しいねぇ」

 キザなしゃべり方をするこの男はバイトの先輩だ。大学二年生だったかな。二次元オタクであり、趣味の話でよく盛り上がる。私はゲームで風斗先輩はアニメ専門だから、必ずしも話が合うというわけではない。

 モデル雑誌にあるような、後ろから髪を盛り、段を重ねて毛先を整髪料で遊ばせている。少女漫画に出てくる男キャラみたいな髪型だ。おまけに灰色に染めている。不良だ。そう言ったら『俺が不良なら世界中が不良で溢れてるじゃん』ってムカつくくらいのイケボで言われた。確かにと頷くしかなかった。オタクなのにオタクに見えないザ・大学生って感じの人だ。

 私たちが働いているのは【パンダ書店】という名前の本屋さんだ。自営業で店員は店長と風斗先輩と私しかいない。私は店長が父さんと知り合いで、その紹介で雇ってもらっている。風斗先輩は店長の甥っ子らしい。

 パンダ書店は商店街の中にある小さな店でお客さんもそんなに多くない。駅近くのデパートができてから、めっきりお客さんは減ってしまった。そんな状態で二人もアルバイトを雇って平気なのかすごく気になった。続いているから大丈夫なのかな。

「なんで今日は遅かったの」

 お客さんがいないので、自然と店員同士の雑談が増える。基本、店長は奥にこもって何か作業しているみたいであまり店に出てこない。狭いレジカウンターで新刊表をチェックしていたら、本棚整理に飽きた風斗先輩がこちらへやってきた。

「運動会の練習してたんです」

「運動会とか懐かしい響きだなぁ」

 カウンターに寄りかかって、風斗先輩は記憶に思いを馳せていた。彼のことなので、高校時代もさぞ青春色に輝いていたことだろう。

 運動会って懐かしいものなのか。特別なエピソードがあるわけでもないから今までの運動会を振り返っても特になにも感じなかった。毎年、急に始まって勝手に終わっている。走った記憶はあっても競技に参加することは作業に等しかった。

「藤ちゃんは三年だから最後だね。あ、大学に運動会ないし人生最後じゃん」

「そうですね」

 風斗先輩がこちらを見る。

「もう大学決めた?」

 突然の話題変更も慣れた。

「光明大学かな。家から近いし」

「えっ、俺といっしょじゃん!」

 嬉々とする風斗先輩。

「間違えました、隣駅の秀徳大学でした」

「間違えてないでしょ、俺がいるから今変えたでしょ」

 バイト先も大学もいっしょはさすがにないわ。学部違えばいいかなとか考えたけど、自分の志望先をこの人に左右されることも嫌だった。

「光明でよくない? シフトもあんま被んないから、ちょっと寂しかったんだよね」

 せっかく同じ店で働くんだから仲良くしようよというのが彼との出会いだった。

大変めんどうくさい。うるさい。どうせやめたらそれっきりなのだから仲良くなる必要はないだろ。

 適当にあしらっても風斗先輩はかまってきた。そんなこともあったが、なんだかんだ言いつつ今年で三年目の付き合いだし、連絡先を交換するくらいには親しくなった。オタクだし。

「なんか仲良しみたいで嫌だ」

「嫌だってどういうことよ、仲良しでしょ~?」

 いつものノリで絡んでくる風斗先輩は面白かった。

 ここにいると、学校とは違う空気感があって楽しい。私は北丘高校の渡辺藤ではなくてパンダ書店の渡辺藤だ。

 関わりたくなくて遠巻きにしていた風斗先輩も話してみたらいい人で、いっしょにいて楽しかった。必要以上に絡んでくるのはうざかったけど。

 店長曰く、風斗先輩は男兄弟に囲まれた末っ子で昔から妹を欲しがっていたらしい。一人っ子の私には不思議な感覚だったが、そう言われたら風斗先輩とは兄妹みたいなものなのかもしれない。この環境も関係もずっと続けばいいと、続いてほしいと思った。

「まあ、さすがに大学となると、進路が関わってくるわけだし無理強いはできないけどさ」

 いつもみたいに優しい微笑を浮かべて風斗先輩は言った。

「高校卒業してバイトもやめちゃって、俺との関係もこれで終わりとか寂しいことはしないでくれよ?」

 顔は笑っていたけど、風斗先輩の目はほんの少しだけ、本当に哀しそうだった。 ふと店長の話を思い出した。

 幼い頃から漫画やアニメが大好きでよくパンダ書店へ入り浸っていた。同年代の子たちとも遊んでいるみたいだったが、同じ趣味の友だちがなかなかできなかった。人と関わることが好きなはずの風斗先輩は学校へ行ってもつまらなそうにしていた時期があったらしい。そんなこともあって、やっと同年代で同じ趣味の私と出会って本当に毎日が楽しそうだったと店長が教えてくれた。

「……安心してくださいよ、大学は違ってもバイトはやめませんから」

「ほんと? マジで?」

 食い気味で尋ねてくる風斗先輩。

「マジマジ。それに連絡先交換してるんだからいつでも話せるでしょ」

「あ、そっか」

 風斗先輩ってたまにそういうとこがある。本当に気づいていなかったのか怪しいところだが、今回は大目に見てやろう。柄にもなく風斗先輩が哀しそうな素振りを見せるからこちらの調子が狂う。

「でも、藤ちゃん俺の連絡先とか速攻で消してそうだわ」

 店長からあんたの身の上話とか聞かされなかったらそうしてたけど。あんたもガチで哀しそうにするから、どっちにしろ消そうと思っても消せないよ。

「ブロックとかもやめてよ? 電話もちゃんと出てね?」

「うん」

 どんだけ不安がってんだよ。そんなに私との繋がりは大事かな。大学に行けばオタクなんてそれなりにいそうなのに。やっと同じ趣味の人に出会えたって、私が風斗先輩と知り合ったのは二年前だ。あの頃は風斗先輩もまだ高校生だったけど、本当に誰一人としてオタク友だちはいなかったのかな。

「これで藤ちゃんが高校卒業しても安心だね」

 つまらない心配をして、この人、暇としか思えない。他にすることはないのだろうか。大学生は高校生よりも時間ができるけど、ほとんどが課題や卒論でつぶれるって聞いたことがある。さらに就活で日にちは過ぎるのが早く感じるらしい。大変そうと思いきや風斗先輩を見ていると、大学生も案外暇なのではと勘違いしてしまいそうなる。

「そういえば、あれだね、最近学校やだぁって言わないね」

「あぁ……まぁ、なんか、大丈夫? になった、というか」

 二年生に進級して夏目から解放されたと思いきやより束縛されて心身ともにやつれていた時期のことだ。あの頃は家とバイトだけが心休まる空間だった。余裕がなかった私は取り繕うこともせず、風斗先輩に学校の愚痴をこぼしていた。風斗先輩は嫌な顔せずにきちんと話を聞いてくれた。参考になるようなアドバイスをくれたわけではないけども風斗先輩が話を聞いてくれるだけで少しだけ気が楽になった。

 年が明けて三年生に進級してからは二年生と比べたらまだマシになった。夏目への対応にも慣れて、変わらない学校生活を送るだけ。最上級生になったことで周りへの気づかいが減ったことも平気になった要因かもしれない。

「そっか。ならよかった。また何かあったら何でも話聞くからね~」

 悩み相談にのってくれるのは正直ありがたい。友だちや親になんて話す勇気はない。ことが大事にならずにただ話を聞いてくれるだけの存在。バイトの先輩後輩なんてものではなく、友だち以上家族未満な関係。でも、特別であることには変わりなくて、なんて言えばいいんだろう。どんな言葉を並べればしっくりくるのかな。風斗先輩との関係をどう呼べば、私たちはこの関係を維持できるのだろうか。

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