第七話 蟠り
ゴールデンウィークも過ぎて五月もあっという間に半ば。青々と生い茂る木々はついに自分たちの季節がきたと生き生きしだした。暖かく感じた陽ざしは徐々に温度を上げて汗を滲ませる。
「あつーい」
そう叫んでいるのは私の席に座っている花火だ。登校してきたら私の席に座っていたから、私はその前の
三年C組のエアコンは故障して冷房が使えなくなっていた。そのため、窓を全開にしている。たまに風は吹いているものの生温かくて涼しくない。
「あつーいー」
無駄に声を張り上げて暑さを紛らわそうとする花火にうるさいと一言叱責する。
「だって暑いんだからしょうがないだろぉ」
「じゃあ、自分のクラス戻れよ」
三年C組以外の教室はエアコンが使用できるので、この教室みたいに暑いと苦しむことはない。数人ほどしかいないC組の教室内を見渡せば、生徒は登校と同時に他クラスへと避難していったことが明確だ。教室に残っているのは移動が億劫だと感じるもの、他クラスに移動するほど暑くないと思っている生徒などだ。花火みたいにわざわざ他クラスからエアコンが壊れている教室へ来るなんてことはない。
「そしたら、藤と話せないじゃーん」
鬱陶しそうに私は「それだけのためにここにいんのかよ」と悪態をつく。
花火は交友関係が広い。クラスで人気者だ。それはかつて同じクラスだった私も知っている。どのクラスになっても花火は誰からも好かれるのだ。
椎名花火は入学したときから、気さくで空気を和ませるのがうまくて人間ができあがっているようだった。誰に対しても平等に態度を変えない人。八方美人だと思った。誰にでもいい顔をして、誰からも好かれようとする。そんなことをして疲れないのか。別に世界中にいる何十億人と仲良くしないといけないわけではない。そう考えたら、自分が仲良くしたいと感じた人間とだけ関係を築けばいいのだ。無駄に神経を削って気をつかう必要なんてない。無理してまで人に好かれたいなんて理解できない。所詮、他人は他人じゃないか。
椎名花火の周りには自然と他人が集まる。いつも群衆の中心にいて、男子も女子も隔てなく接している。私はそれを遠くから眺めているだけだった。人に囲まれてあんな素直に振舞える人間がいるんだと思っただけだ。大勢に認められて自分をありのままに晒して受けいれられる。否定も拒絶もない彼だけの世界。みんなにとっての特別な存在。私がみたくてもみられなかった、望んでも手に入らなかったものを彼は持っている。所持しすぎて持て余している。そんな感じがした。
私が休み時間にソシャゲーをやっていることを花火は知っていた。あんだけ他人に囲まれてクラスの端っこが見えていたとは考えられない。花火には見えていたのかもしれないけど。たまたまイベント期間中だったソシャゲーのRPGゲームをプレイしていた。
『それ、俺もやってる!』
この言葉をきっかけにゲームという共通の趣味をお互いに知った。花火は頻繁に話しかけてくるようになった。いつもなら変なのに懐かれたと放っておけば、向こうから自然と離れていく。花火は違った。もう友だちになったみたいに、昔から仲良しだったみたいに接してきて誰とも変わらない調子で私の隣にいる。おかげでひとりだった私の時間は他人にも共有されることになる。
花火といることを理由にクラスの何人かが私に関心を持ち始めた。しがらみが増えそう。嫌だ。話したくない。けれど、私の周りから他人がいなくなるのは早かった。花火といるから、花火と話しているから、という理由で近づいてきた人たちは私と話すために〝花火〟という条件が伴わないとダメなのだ。花火がいるときは私とも会話をする。花火がいないときは何か違和感を覚えたように私から離れていった。そうしてみんな決まったように『花火といるからおもしろい人かと思った』と言い捨てていく。おもしろいってなんだよ。勝手に期待してたのはお前らだろう。私はないもしていないし、お前らになにか害を及ぼしたか。落胆されて、責めたような冷たい視線を私に向けてくる。腹が立つ。
みんな花火がすべて。花火がいないと成立しない私とクラスメイトたちの時間。これが存在そのものを受けいれられた
クラスメイトたちが離れても花火は私から離れなかった。趣味が同じと言ってもずっといっしょにいる理由にはならないし、友人になれるわけでもない。話題の一つとしての材料にすぎなかった。それでも、花火は私といることを望んだ。私よりも愛想のいい子はいる。私より話し上手な子もいる。私よりも花火を好いてくれる人がいる。クラスメイトの中で彼はたったひとり私を選んでくれたのだ。
「話し相手ならクラスにもいんだろ」
「そうじゃなくてぇ、藤と話したいの」
そのこだわりがなんなのか理解できなかった。話すと言ってもいつもと変わらない雑談をしているだけだ。特別話したいこともないし、用があるわけでもない。花火も同じようでただずっとあつーいあつーいと呻いているだけだ。本当になにしに来たんだろう。
「おー、オレの席ねぇじゃん」
頭上からの声に私と花火は同時に声の方を見上げた。唐沢だ。黒髪をスポーツ刈りにした男の子。ワイシャツを腕まくりしてブレザーを手に抱えている。スクールバッグを机の横にかけると花火を見た。
「お前がそこどけば渡辺は席戻れて、オレも座れるんだけどな」
花火はえーやだーと駄々をこねている。「いーじゃん、適当に座っちゃえば。どうせ人いないし」と花火が言うが、唐沢は「人きたときに別の人座ってたら荷物置きにくくなっちゃうだろ」と反論する。私が唐沢の席に座っていたのに彼は遠慮なく荷物を置いてたな。心中で思いながら私は席を立った。
「ほらぁ~、花火がどかないから渡辺が気をつかってくれただろ」
「なんだよぉ、藤、裏切りかー」
「裏切りもなにも本当にお前がそこからどけばいいんだよ」
ぶーぶーと花火はまた文句を言っている。
「いいよ、渡辺。座ってて」
それならとお言葉に甘えてと再び唐沢の席に腰を落とした。唐沢は隣の机に寄りかかっている。横にはスクールバッグがかかっているところを見ると、席主は既に登校済みだ。寄りかかるのもどうかと思うけど、荷物事情は気にしなくていいようだ。
「人少なくね?」
「エアコンが壊れてるからみんな他クラス行った」
「ひょえー……」
だから暑いのか、と唐沢はスクールバッグからクリアブルーの下敷きを取り出して徐に扇ぎだした。
「今日の体育さぁ、外なんだけど」
花火が机に突っ伏しながら話し出す。
「絶対暑いじゃん」
唐沢に言われ、花火もそーなんだよぉと嘆く。二人の会話を聞きながら私はソシャゲーをプレイする。そういえば、このイベのポイント報酬に花火の推しがいたけどもうとったのかな。
「花火はもうイベ走んなくてもいいの?」
「うん、恒常レアだから余裕でとれたわ」
涼しげに言われてムカついた。お前の推し完凸して覚醒させてフレンド欄のアイコンにしてやるよ。限定クエストでイベントアイテムのドロップ率が上がっていた。たまにあるイベント期間中のサービスタイム。こういうときに稼いでおくと、イベント最後の走り込みが少しだけ楽になる。ランキングボーナスを狙っているのならなおさらだ。
「てか、今日うち放課後練習じゃなかったっけ」
唐沢の言葉に「え」と声を上げる。「え」と唐沢が私を見てお互いに見合った。
六月には運動会がある。あと二週間ちょっとで当日なのだ。今までは運動会実行委員を決めて個人種目の話し合い、授業での練習だけだったが、今週から放課後練習も本格的に始まった。
「んー、そうなん? 藤、今日バイトじゃなかったっけ」
うわー、マジかよ。やらかしたー。
運動会の練習はサボってもいい。だが、前回の放課後練習の際に運動会実行委員が次回は全員リレーの練習すると告げていた。今日の練習は全員リレーなのだ。一人欠けるとそれだけで全体に支障が出る。放課後練習自体にクラス全員が参加しているわけではないけど。
「うーん、たぶん間に合うと思うから練習は出る」
「間に合わなかったらオレのチャリ乗せるよ」
「助かるー、ありがとー」
唐沢マジ神さま。仏さま。こういうときの自転車通学は利点だよな。私も徒歩じゃなくて自転車通学にしようかな。
「実行員会でさ」
「花火、実行委員だっけ」
唐沢が花火の方を向く。
「うん、押しつけられたようなもんだけど」
実行委員など面倒くさいもの誰もやりたがらないのは当然だ。人は誰でも平等に積極的ではない。担任も人望のある花火にやってもらいたかったのだろう。その方がうまくクラスがまとまる。
「委員会に
「ちょーかちゃん?」
頷く花火。
宮原
「宮原と話すの久しぶりでさ、藤はどう?」
「確かに最近話してないや」
進級してクラスが離れてからは会わなくなり、話す機会もなくなった。それぞれ部活も異なるし、C組の教室からA組の教室へは距離が離れているので、会おうと思って会わないと姿すら見ない。
「ちょっと意外だったわ」
「なにが」
「宮原って基本大人しいだろ。あんま仕切るタイプでもなかったから実行委員とかやんないと思ってた」
ゲームを終えてスマホをスラックスのポケットにしまうと、私も確かにと頷いた。
二年生のときの宮原鳥夏は比較的おとなしい子であまり目立つような生徒ではなかった。どこかしらのグループに混じって、息を殺して生きてきましたって感じだ。いつも誰かといっしょにいてひとりにはならない。基本的におとなしいけど、群れる女子の典型的なタイプだ。
「ちょーかちゃんて人をまとめるより、まとめられるうちの一人って感じ」
地味だしな、と唐沢。唐沢も去年、同じクラスで宮原鳥夏のことを知っている。宮原鳥夏の話題で去年の懐かしい思い出話になった。
クラス替えをして、夏目をもう避けなくていいと解放された去年。まあ、夏目云々は終わっていなかったんだけど。
クラス替えで変化したのは夏目に関することだけではなかった。クラスメイトのメンバーもほとんどが総入れ替えされたように雰囲気がまったく別のものになっていた。花火が傍にいないときは息苦しさを感じていた教室も色がまだ塗られていない真っ白なキャンバスだった。私に対するクラスメイトの接し方も一年生のときと違って、みんながみんなに同じ対応だった。花火を理由に近づいてきて、期待されて落胆されることもない。ひとりでいる生徒はちらほらいた。他クラスに友人がいる生徒や基本的に一人だけど、たまに群れる生徒。ひとりひとりが自由だった。ひとりでも浮いてない。居心地のいいクラスだった。
去年は一週間に何回かだった昼食も気づけば、花火といっしょに食べることが当たり前になっていた。最初の席替えで隣になり、唐沢とも知り合った。唐沢は花火と同じ中学らしく、花火という共通の友人がいることもあり、花火を含めた三人でつるむようになった。初めは唐沢も花火を理由に近づいてきたのかと思った。でも、唐沢は花火と同じように人当たりがよく、気さくな人間だった。花火とか関係なく私と交友関係を築いてくれた。
花火、唐沢、私という三人が日常になって季節が秋に移ろった頃だった。宮原鳥夏が話しかけてきた。夏休みから地道に準備が進んでいた文化祭についてだった。クラスに演劇部が多かった影響かクラスでは劇をやることになっていた。文化祭という演劇部にとって一年間で最大のイベントなのに部活の方は大丈夫なのかと思っていたら、案の定だった。幸いにも演劇部が担っていたのは脚本と演技指導で一人だけ役者がいた。役者の代役は花火が引き受けることになり、脚本は三十分ほどの短いものだったので早い段階で仕上がっていた。
バタバタした中で衣装班の宮原鳥夏は花火に衣装の採寸を測りにきたのだ。女の子が苦手な花火は採寸のためとはいえ、宮原鳥夏に身体をあちこち触られて我慢するのに苦労していた。唐沢はにまにましながらその様子を眺めている。確かに逃げ出したい気持ちと採寸しないといけないという気持ちで葛藤している花火はおもしろかった。こっそり唐沢が『花火って宮原のこと好きなんだぜ』と教えてくれた。
そうか、花火にも恋愛感情くらいはあるよな。花火が宮原鳥夏を好きだって教えてもらえたことは嬉しかった。それくらいの秘密を共有してもいいと許されたみたいで、唐沢と花火との交友関係を実感できた。同時に心の中に黒みがかった靄がうまれた。靄の正体は不明。大したこともないし、花火が宮原鳥夏へ恋心を抱いていると知った後でも花火とは自然に話せたから特に気にしていなかった。
文化祭の準備が進んでいく中で花火と宮原鳥夏がいっしょにいることが増えていった。どうやら花火の衣装は宮原鳥夏が担当しているようだ。花火の恋を応援するなら、喜んであげたい。でも素直にそうできない自分がいた。花火と宮原鳥夏がいっしょにいるのを見るたびに心の靄は広がっていった。
そんな気持ちを抱えたまま文化祭当日を迎え、劇は大成功を収めた。文化祭をきっかけにクラスの仲は深まり、みんなが現状に満足していた。私の蟠りだけを残して。
今でも黒みがかった靄の感覚は消えていない。特に追究することもしなかった。今のままがよかった。それを知ってしまったら花火と唐沢と私の三人の関係が壊れてしまう。そんな気がした。
ちょうど盛り上がっているところに当の本人、宮原鳥夏がやってきた。失礼しますと軽く挨拶をしてから教室の中へ入ってくる。
「宮原じゃん」
花火が彼女の姿を見つけて声をかけた。
何用かと思えば、宮原鳥夏は真っすぐにこちらに向かってくる。濃厚な粟色の髪を揺らしながら、彼女は花火の前で立ち止まった。
「椎名くん、B組の種目エントリー表っていつ頃出せる?」
宮原鳥夏の話によると、そろそろ種目ごとに選手登録をしたいのだそうだ。
というか、放課後練習も始まるのに個人種目がまだなんて大丈夫なのだろうか。C組なんてあっという間に決まってしまった。
「あぁ、今日のホームルームで決める」
「まだ決めてないの?」
「やりたい奴らとやりたくない奴らで揉めててなかなか決まんないんだよ」
そっかと一言こぼして、宮原鳥夏は手に持っていたプリントを花火に渡した。それに目を落とす花火。同じように唐沢と私もプリントを覗き込んだ。
プリントには実行委員の当日までのスケジュールとクラスごとの放課後練習予定が記されていた。曜日で割り振りされて表にまとめられている。
「えっと、ここなんだけど……」
宮原鳥夏の顔がぐっと近づいて肩にかかった髪が流れる。それを耳にかき上げながら宮原鳥夏はプリントの説明を始めた。ほのかに漂う甘い匂いが私の鼻まで届く。
花火はというと、身体を強ばらせて頬を薄く染めていた。男女ともに交友関係があっても花火は変わらず女子が苦手だった。でも、きっと今は女子が苦手だからじゃなくて、宮原鳥夏という好きな女の子が近くにいるから緊張している。
忘れていた靄が心の中に姿を現した。色が濃くなっていた。知らないうちに蟠りが強くなっているのかもしれない。
宮原鳥夏の声がすぐ傍で聴こえ、吐息が耳もとにかかる。
「で、それでB組に金曜だけ時間ずらしてもらえないかなって」
「え、あ、うん、クラスの奴らに言っとく」
にこりと微笑んで宮原鳥夏は礼を言った。
「ちょーかちゃん、シャンプー変えた?」
私は横から宮原鳥夏に尋ねる。
彼女は少し驚いていたが、すぐ嬉しそうにそうなのと笑んだ。たれ目で色素の薄い肌色。なんだか雰囲気が夏目に似ていた。
「よく気づいたね」
「去年となんか違うなぁと思って。香水はつけないって言ってたから」
女の子の匂いを間近で嗅ぐことがあるせいか、匂いに敏感になっていた。女の子によって香る甘い匂いは違う。匂いだけでなく化粧の仕方や髪型、制服の着崩し方、その他もろもろがどこかひとつでも変化していたら、その子にとって何かが変わったことを表している。小さなことでも大きなことでも。女の子はそういう生き物だ。
「椎名くんとは委員会で会ったけど藤と唐沢くんは久しぶりだね」
「クラス変わっちゃったし無理ないでしょ」
唐沢は通常運転で変わりなく返答する。きっと彼は花火の恋を応援している。花火が宮原鳥夏を目で追っていたり、話しているところを見ては「はやく告っちゃえばいいのに」と呟いていた。
「宮原はなんで実行委員になったの」
唐突に唐沢が尋ねた。「花火が意外だって言ってたから」とすべての責任を花火に押しつける。悪い意味に捉えられたらどうしようと、焦った花火は必死にいい訳を始めた。
宮原鳥夏はそんな二人を見て微笑んでいた。おとなしい普通の女の子。花火はこんな女の子を好きになるのか。宮原鳥夏のどこが好きなの。どこに惹かれたの。女子は苦手と言っていたくせにどうして女の子なんか好きになったの。
「誰もやりたがらなくて班ごとにじゃんけんして最後まで残って負けちゃったんだ」
仕方なさそうにする彼女の笑顔はどこかつくりものめいていた。この子はなんでもかんでも自分に降りそそぐ災難を仕方がないという一言で片付けそうだ。
去年からそうだった。文化祭をきっかけに花火経由で話しかけてくるようになった宮原鳥夏は私ともっと仲良くなりたいと言った。仲良くしているつもりだった。気軽に名前で呼び合う仲にまでなった。
ある日、宮原鳥夏は告げた。
『藤って私のこと嫌い?』
知らない。少なくとも好きではない。だって花火が彼女を好きだから。私にとって同性は恋愛対象になってしまう。友人関係で終われなくなったら嫌だ。
なにより花火が宮原鳥夏を好きだということが気にいらない。恋愛対象が女の子なのに花火が宮原鳥夏を好きで、私は嫉妬している。花火に選ばれていることを羨ましがっている。花火に好きになってもらいたいわけじゃない。もっと違う、恋愛とか友人とか関係なく、なんていったらいいのかわからないけど、私が知っている特別とは違う唯一無二のなにかになりたいのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます