第179話【勝利の美酒と敗北の苦汁その2】

 ドーマの他愛のない冗談のせいか、場が一瞬だけ凍る。


 しかし、軽い冗談話にも怒り心頭の状態で、ゆっくりと席を立つニッシャ。


『そうかいそうかい。要は〝ご挨拶〟って奴をしたらいいんだろ?』

 

 腰にしがみつくレミリシャルをはね除け、酒盛りをする客達の喧騒が充満する店内。


 切れ長の眉はおろか、一切の表情を変えることなく客席の間を闊歩した。


 『ありゃぁ、問題を起こしかねないな』と呟き、見かねたドーマは頭を抱えつつも、一際大きな声を出す。


『おい、ニッシャ待て!!何処へ行くんだ!?』


 口ではそう言いつつも、ニッシャの性格を解った上で無理矢理止めずにいた。


(言うこと聞かないのはいつも通りだが……今回ばかりは大人しくしてくんないかねぇ)


 しかし、心配するドーマの意図はニッシャに通じない。


『あ?。取り敢えずレミリシャルこいつの親、見つけ出して!?』


 出会った時から幾度も覗いた特徴的な瞳は、朱く澄んでいた中で明らかに血走っていた上に――


 今なら人一人を〝〟程の熱量を、その心に宿しているようで……


(あれは……本気で怒ってる顔だな。被害受ける前にそっとしておこう――)


 手元の酒へと視線を落としたドーマは、説得も引き留めるのも諦めた。


 意気消沈するドーマを尻目に、間髪いれず馬鹿笑いするギケが茶々を入れる。


『おっ?。新人さんよぉ。ついに観念して身を固める気になったのか?』


 ギケの〝挑発〟とも取れる一言に、ニッシャは――――


 が、右腕を天井に向けて上げ、〝殺意〟を込めて中指を立てると


『は?先に言っとくが私は断じて結婚しない……が、宣言通り〝責任は取る〟――止めても無駄だよ。もう出るから』


 誰の制止を気にも止めず歩を進めるニッシャは、軽妙な足取りで颯爽と店の扉の前へと立つ。


 眼を見開き右手に力を込めて、やや冷たい金属製のドアノブを持った。


『っしゃぁあ行くぞっ!!』


 ニッシャの気合いの雄叫びが、酒飲み達が蔓延る店内へと響き渡る。


 内装に合わせた特注品の木製扉は、悲鳴にも似た音を放つ。


 勢い任せに開けられたせいで、哀愁漂う壁には亀裂が枝分かれに入るほどだった。


 扉と建物に取り付けられた固定用のネジは、店内外のあちらこちらへと吹き飛び、屈強な男達のグラスへとカップイン。


 ニッシャが笑顔で握り締めたドアノブには、しっかりと五指の形が印象的な伝統工芸品の様になった。


 静まり返る店内に〝次は何をしでかすか楽しみだ〟と――――


 皆が皆、興味本位で固唾を飲んで見守る中、ドーマ達や客は一歩も動かないニッシャを不思議に思う。


 朱色の瞳の前には、本来見える筈の景色は一ミリも見えなかった。


(んっ?おかしいな……。いつの間に夜に変わったんだ?)


 クレスやレミリシャルの手合わせを計算にいれても、現在の時刻は遅く見積もっても昼過な筈。


 しかし、開けられた扉の奥には陽の光が差さない上に、


 眼前にあるそれは〝壁〟と言う表現が正しいのか定かではない。


 それでも、歩みを立ち塞がるならば邪魔な物は邪魔だ。


 刹那――――ニッシャの拳を誰も視認できなかった。


 意識していても目で追えないとは、正にこの事かもしれない。


 通常なら地を揺らすほどの一撃でさえ、直撃した〝それは〟反応もない処か微動だにしない。


 結果――――壊れたのはニッシャの方だった。


 自らの力が全身を駆け抜ける前に、左手に留め衝撃を受け流す。


 だが、肩から下が無惨に折れ曲がり、加えて〝流血〟〝骨折〟〝断裂〟と諸々の負傷が加わる。


 しかし、原型のない腕を気にも止めず、利き手である右手で再度構えるニッシャが言った。


『っ……んだよこれ!?。言っとくが次は容赦しねぇかんな?』


 そう呟いたニッシャは機転を利かせて、直ぐ様に拳を強く握り固め。


 姿勢は基本の型を忠実に取り、〝足〟〝腰〟〝拳〟と三位一体となった体を使いで殴り付ける。


 先程の〝拳速けんそく〟よりも数倍の勢いとは裏腹に、黒い物体へ正確には当たる事なく、寸前の所で止まっていた。


 一体、それはどうしてか?


 力を込めても押し返される感覚と、嫌な奴の匂いが鼻腔に刺さる。


 ようやく異変に気づいたニッシャは、店内に轟くほど吠える。


 それは辺りを僅かばかり揺らし、グラスと共鳴して連鎖的に割れ始めた。


『懐かしのウザったい〝〟か。おい、性格の悪さが滲み出てるぞ……セリエェ!!?』



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