第133話【奈落からの洗礼と復讐せし者その9】


(おっと失礼。得意の右ストレートが出てしまった。何故だか知らないが、体が勝手にだな……)


 と、口には出さずに言い訳をするが、単純に安い挑発に乗ってしまったノーメン。


 まるで糸の切れた傀儡かいらいの様に、だらしなく両手足が宙ぶらりんとなるバルクス。


 生が感じられない程に白目を剥き、口から溢れでる泡を垂らしながら空を見上げるバルクス。


 むさ苦しく互いの胸筋を密着させているお陰で、一定のリズムを刻む心音が手に取るように分かる。


(ふむ……心拍数は30秒で40弱か。良し、


 ノーメンは再起不能のバルクスを、心配したが、日々の鍛練のお陰か気絶程度で済んでいた。


 常人がノーメンの右ストレートを腹部に直撃した場合、内部の骨が数本逝く恐れがあり――――


 とても運が悪ければ死亡の可能性がある。


 この場では、足手まといのバルクスを一撃で沈めたノーメンは、何れセリエとギケが起こすであろう不測の事態に備える。


 自身の戦闘準備は万端であり、単独で動くギケが厄介と言えど、2対1ならば勝率は格段に上がる。


 だが、迂闊に加戦出来ないのも事実――――


 身動きが取れないニッシャを、奪われる訳にはいけないノーメンは、アイナ救出をセリエに任せる他ないのだ。


 それは、セリエとの夫婦程の長い付き合いも然ることながら、互いへの絶大な信頼関係が成せる事――――


 ノーメンの耳には、〝ここは俺に任せろ〟と風に乗って聞こえた気がした。


(あぁ、セリエよ……必ずアイナを取り戻してくれ)


 互いに緊迫した硬直状態が続く中、セリエの間合いにいるギケは、変わらず涼しい顔でアイナを抱え、巨蛇上であくびやストレッチをしている。


 しばらくして、ひとしきりの準備運動が終わったのか、四肢の関節を鳴らしながらギケは独り言を呟く。


『ん~。何気にこのさぁ……かなり重いんだわ。そろそろ腕が疲れてきたし、捨てようかな。アイナこれ


『てめぇさっきからムカつく事、言いやがって……』と、セリエは静かに怒りを燃やすが、いくら挑発を受けても先手は取らない。


 否――――


 ギケは、とても流暢りゅうちょうに話を進める。


 それは単なる世間話や思い出に花を咲かせているだけではなく、幾重にも罠を張るための


 対峙したその時から、ギケは肉眼では視認不可能な糸を岩壁へと張り巡らせ、セリエを四方八方から追い詰めていた。


(題して〝神の見えざる糸〟……なんてなぁ。セリエ、お前が血気盛んなニッシャと違って、甘ちゃんで助かったよ)


 セリエが何かしらの動きを見せれば、ギケの指へと繋がる糸で、行動がバレる可能性があり、最悪の場合はアイナが危険だと判断した。


(こりゃあ、第三者がをしてくれるのを期待するしかないな……)


 個人戦や足場の悪い餓鬼の断壁との相性最悪なノーメンに、この場を任せる訳にもいかない。


 セリエはこのピンチを突破する方法を会話の中で模索していた。


『どうしたぁセリエ。お得意のは、使わないのか?ほら、さっさと来いよ!?』


『ハンッ。下手な挑発は止めとけよ?おっさんよぉ。俺があんた〝秒〟も持たないぜ?』


 挑発に乗らないセリエに対し痺れを切らしたギケは、片手でアイナの首根っこを無造作に掴む。


 今にでも放り出しそうな勢いで奈落の底に向かって吊るす。


『ほぉ……では、とやらを見せてもらおうか?アイナこの子がどうなってもいいならなぁ』









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