八章 陽炎 3—4


「会話の内容が、みんなに聞こえるように、ボリュームを最大にしとく」


 前置きして、猛は電話をかけた。

 数回のコール。

 川西さん、どうか出てくれますように。願いが届いたのか、電話はつながった。


「あ、川西。おれだけど」


 兄よォ……いつも言ってるだろ。


 名乗らないと、相手にはわからないよ。


 ところが、川西さんには伝わった。なぜか、猛の知り合いには、「おれだけど」で通じてしまう。


「どない? そっち。岸先生に会えたん?」

「それについては、あとで報告するよ。いきなりで悪いんだが、聞きたいことがあって」


「なんやろ」

「おまえ、中学、どこだっけ?」

「洛北清心だけど」


 京都のお金持ちが行く私立中学だ。高校までエスカレーターで、京大や同志社の進学率が高い。


 その校名を聞いた瞬間、蘭さんの肩が少し、ふるえた。


 あれ? まさか——?


「クラスメイトに、九重蘭っていたよな?」


 あ、やっぱり。


「いたよ! ものすごい美少年でねえ。学校中の人気者。キレイやったなあ。よく、こっそりスケッチしとったんや。あ、変な意味と、ちゃうけどね。なにしろ、人物デッサンに最適やったし。向こうは僕のことなん、おぼえてへんやろね」


 ちらりと猛が視線を送ると、蘭さんは首をふった。おぼえてないようだ。


「それでな。そのころ、更科優衣って子もクラスにいただろ?」


 なぜか、間があった。


「……なんで?」

「どんな子だったか、知りたい」

「……結婚相談所の依頼でも受けたん?」

 川西さんの声は暗い。


「いや、個人的に。おまえの知ってること、包み隠しなく知りたい」

 また、間があった。


「東堂が言うんなら、なんか、わけがあるんやろね。話さんこともないけど……イヤやなぁ。こういうん、人に言いたないよねえ」


 ものすごく、渋るなあ……。


「悪いな。でも、大事なことなんだ」


「うん。東堂は昔から、まがったこと嫌いやった。


 めっちゃ頭ええ王様やったね。


 東堂おるときは、かならず、いつのまにか、みんなの中心になっとった。


 僕のことなんかも、うまくクラスに、なじませてくれた」


「買いかぶりすぎだって」


「いや、ほんま。東堂は横暴そうに見えて、じつは、ええ感じにクラスの調和、コントロールしとったよ。


 おかげで、クラスおるだけで楽しかった」


 かるい笑い声が電話の向こうから聞こえる。


 でも、そのすぐあとに、川西さんの声は、また暗くなった。


「……さっきの九重くんやけど、中二のとき、ちょっと事件、起こしてん。言うても本人は悪うなかったんやけど。


 あんまり浮世離れして、美少年すぎたんやね。


 九重くんが一人の子と、つきおうたら、ほかの子がみんなヤキモチ妬いたんや」


「なんか、イヤな事件があったらしいな」


 川西さんは、ちょっと、くちごもる。


「うん……イジメや。その子、クラスの女の子たちに、イジメられて……」


 歯切れが悪い。最悪の事態が起きたのだとわかった。


「自殺したのか?」


「うん。直接、手ェだした子は、みんな停学。でも、僕、見とったから。ほんまに女の子、動かしとったん、誰やったんか……」


 無言が痛いほどの静寂を生んだ。


 やがて、猛が、たずねる。


「それが、更科か?」


 川西さんは深々と、ため息をついた。


「ちょうど、東堂の反対や。命令とか、しとったんと、ちゃうんやけど。あの事件のとき、みんなが過激になるよう、クラスをコントロールしとったんや。更科さん。誰もコントロールされとるとすら、思うてへんかったと思う。気づいとったん、僕だけや。

 そしたら、ある日、あの子、下校中に僕のあと、つけてきたんや。ずっと、ずっと、家につくまで……ほんま、殺される、思うた。言うたら、殺されるんやって。あんときの、あの子の目、異常やった」


 川西さんの声は、かすかに、ふるえている。


「ありがとう。参考になった」

 猛は受話器をおいた。


 速水くんが怒りを押し殺した声で講義する。

「川西の勘違いだ。優衣は、そんな女じゃない!」


 でも——と言ったのは、三村くんだ。


「さっちん、自分じゃ隠しとったけど、家で、おかんや、おかんの男に、なぐられとるみたいやった。小学高学年になると、だんだん、うつろな目するようんなって。心配やった。笑った顔がムリしとるみたいで。みんなの前では、自分作っとったなあ」


「なんで、そんなこと言うんだ。おまえ、幼なじみだったんだろ。優衣のこと好きだったんだろ」


 速水くんに責められて、三村くんは顔をくもらせる。


「おれかて、こんなん、言いたないわ。ええ家ちゃうかったのに、がんばっとった。ええ子やった。でも、ほんまはボロボロやったんかもしれへん。あのうつろな目しとったころ。あいつのオカンが、つれてくる男、みんな最低やったし、もしかしたら……」


 ただの暴力より、もっとヒドイまねをされていたのかもしれない。それは女の子の身には、安易に起こりうる残酷な現実だ。


 心当たりがあったのだろうか。

 速水くんは、だまりこんだ。


 調停するように、猛は話しだす。


「とにかく、これで一つ、わかったろ?


 更科は蘭に、あこがれてた。あこがれ以上の強い執着を持っていた。


 そこで思いだしてくれ。


 更科が自殺したのは、三年前だ。


 その一年前、蘭とは再会してたよな。


 なのに、クラスメートを殺してまで、誰かの手に渡ることをさまたげた蘭に、なんの接触も持たない——そんなことがあるだろうか?


 かつての自分の罪を悔いていたからか? 更科は、そんなタイプの女か?


 違うだろ? おれが今まで、みんなから聞いてイメージしたのは、もっと激しい女だ。


 女優という華やかな職業に、あこがれたのも、彼女の心に巣食う渇望のあらわれ。


 あこがれた世界。あこがれた人。


 彼女は欲しいものは、どんな手段を使っても、手に入れようとする女。


 そうだよな? 速水」


 速水くんは歯を食いしばって、目をそらす。


 猛は蘭さんをかえりみた。

「蘭。更科が自殺した三年前、おまえの身に起こったことは?」


 蘭さんは、蒼白になった。

「……さん——硫酸……」


「そうだよ。おまえが硫酸女におそわれた年だ。


 おまえに再会した更科は、かつて、あこがれた理想の男を見て、今でも気持ちが変わらないことを悟った。


 彼女は、おまえを追いまわし、陰から見守り続けた。


 硫酸を手に入れたのも、そのころだろう。


 更科は今度こそ蘭を手に入れ、誰にも渡さないつもりだった」


 蘭さんは小さく息をしぼりだし、僕のほうに、よろめいてくる。


「そして、よりによって、クリスマスの夜、親父と帰ってきた蘭を見て、更科は勘違いした。それを、蘭の『男』だと。あとは——もう、わかるだろ?」


 猛は僕らに、爆弾みたいな言葉をなげた。

「更科こそ、蘭をおそった硫酸女だったんだ」

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