マサチカと病室

大学で倒れたのは覚えている。

SF研究会の部長のヨシダと同じ授業を取っていて、チャイムが鳴って立ち上がった瞬間に目眩がした。

ヨシダに何度も名前を呼ばれたのは聞こえていた。

しかし重力に任せて床に倒れる以外何も出来なかった。



目を覚ますとそこは病室だった。

一瞬ゾンビウイルスの感染者として隔離されたのかと思ったが、あれは確か大半の病院では同時期に感染した患者と大部屋にまとめて入れられる上に点滴を打たれるはずだ。

そんなゴシップ記事を読んだ記憶がある。

今マサチカが寝ているのは明らかに個室で、点滴さえも見当たらない。

枕元のナースコールを試しに押してみる。

すると本当に看護師が現れた。

人生初めての入院だからこんな事にさえ感動を覚えてしまう。

「お目覚めですか?自分のお名前は言えますか?」

熟女と言っても差し支えない、ベテラン風の女性看護師だった。



「………イガラシマサチカです、来月21歳になります。××工業大の3年です」



余り大きな声は出せなかったが、看護師に伝わる程度にきちんと言えたようだ。

「ここはどこですか?」

「X病院ですよ」

………その名前はわかる。確か大学から………田町駅からそれなりに近い大きな病院のはずだ。

看護師はマサチカの瞳孔と口の中のチェックをして「少しお待ちください」と言って病室を出ていった。

………窓の外は晴れている。

マサチカはゆっくり上半身だけを起こすと枕元に置かれていたメガネを掛ける。



ふと、今日は一体西暦何年何月何日なのだろうかと思う。

窓の外を歩く人が見える。

その姿を見る限りで言えば真夏でもなければ真冬でもない。

そしてここは恐らく7階か8階辺り、と予測をつける。



5分程してドアがコツコツと叩く音が聞こえた。

「どうぞ」

少し声を張り上げてみる。

先程の看護師と共に病室に入って来たのはキリヤマだった。

看護師は「喉乾いてるでしょう」と言って水を持ってきてくれた。そして何かあればまたナースコールを押すようにとだけ言ってキリヤマと2人だけにしてくれた。

看護師が部屋を出る前にその白衣の背中に向かって「今日は何年何月何日ですか?」と聞く。

彼女は振り返って「2025年5月17日ですよ」と答えてくれた。笑顔だった。

敢えて看護師に聞いたのはキリヤマが信用ならない男だからである。



「こういう時はてっきり最初に家族が来るものだと思ってました」

マサチカは少しだけ嫌みを籠めて先に口を開いた。そんな先制パンチをものともせず、キリヤマはニヒルに笑うとベッドサイドの椅子に座る。

「連絡は今看護師さんがしてくれたよ。津田沼からなら車にせよ電車にせよ直ぐには着かないだろうからそれまで俺と少し話をしようか」

やっぱりこの男と関わらなければ良かったのだろうか。

マサチカは改めてキリヤマの顔を見る。

ネクタイの色味まで含めて本人に似合ってはいるが少しよれているスーツ、首から下げた面会証、使い込まれた鞄は恐らくポールスミス、綺麗にセットされた短めの黒髪、少し日焼けした肌。

一見彼は一般的な「ちょっとだけチャラそうなスポーツマンタイプのサラリーマン」でしかない。



「なんで倒れたかイガラシ君わかる?」

キリヤマは口角を片側だけ上げて聞いてくる。こうやって笑うのはこの男の癖だ。

「正直治験から帰ってきてから余り体調が良くなかったなと思います。でも今までもバイトなり勉強なりで多少無理する事はあったのでそんな気にしてはいなかったんですけどね」

敢えてそこは正直に話した。

何故なら死にたくないからだ。



「………あれは本当にゾンビワクチンの治験だったんですか?」



キリヤマは笑みを浮かべながらも目を伏せる。いや、目を逸らしたのだ。



「俺もそう聞いてた」







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