カガワ

カガワは田町にある大学に通っていて、夏休みの間にとある製薬会社でインターンをやった。

インターンとしての仕事は事務の雑用と受付の手伝いといったバイトに毛の生えたような仕事だったが、最終的にそこの系列会社に就職することになった。

除菌グッズを作る会社の営業だ。

会社の最寄り駅もやはり田町。

駅の出口が違うだけで、大学の時から余り代わり映えのしない生活が続いている。

大学時代にバイトしていたラーメン屋は潰れたが、サークルの飲み会でよく使った居酒屋も友達と頻繁に通ったファミレスも彼女と喧嘩したファーストフード店もよく利用した美容室も変わらずそこにある。

学生の頃は少し入りづらいなと思っていた個人経営の居酒屋に上司や先輩に連れられて入れるようになったこと。

それが最初の小さな変化だと感じた位に生活基盤が変わらない。

勿論社会人としての自覚はあるが、不思議と新生活に対する不安はなかった。


東南アジア人のアルバイトがお冷やを持って来る。

「あなたのお連れのお兄さん、ちょっと飲み過ぎだよ」と呆れた顔で言いながら。カガワの目の前で先輩がゆらゆらと眠りそうになっている。

「駅出てすぐのところにでっかいビルがあるじゃん、あそこの土地の一部って昔は小学校だったらしいんだよ」

「廃校ですか、周りにこんなにタワマン沢山あるのに」

「いや、移転らしい。俺もよく知らんけど。それで工事の時に骨が沢山出てきたとか不発弾が出てきたとかなんとか」

「それは流石に嘘ですよね」

工事の時に不審物や不発弾が出てくるという話は珍しくないが、流石に随分昔の話だ。眉唾だろう。所詮酔っぱらいの戯れ言。

カガワはお冷やのおかげで少し正気に返った先輩の腕を掴んで「明日もあるし今日はこれくらいにしましょうよ」と優しく言った。先輩は素直に財布を出した。

駅で先輩と別れる。自分は地下鉄、先輩はJRで帰宅するのだ。


翌日、昼過ぎに営業から一旦戻り遅めの昼食を取っていると、先輩が少し遅れて戻ってきた。

「あ、やべえ」

先輩はそう言って慌てて外に出ていく。どうしたのだろうか。


「手帳をカフェに忘れて来たんだよ」


心優しい人のお陰で無事に戻ってきたようだ。


カガワは知っている。

先輩が上司に隠れて少し危ない取引先と接触している事を。

その手帳が外に漏れれば少し面倒なことになるのを知っている。

どこかの闇医者のような男に小銭や新商品のサンプルをこっそり渡してゾンビウイルス患者の情報を得ている。

ここ最近、風俗業者への除菌グッズの販売が伸びているのは先輩の手腕によるものだ。

どこの地域の風俗街でゾンビウイルスの患者が何人出たか。

恐らくどこの同業他社よりも早く情報を得ることが出来ているのは先輩が闇医者と繋がっているからだ。恐らくそこはヤクザの息が掛かっている。

風俗とヤクザは切り離せない。その上で風俗業者がうちの品物を買うのは自由だし止める事が出来ない。

ただ会社の人間とヤクザが個人的に繋がっている事はおおっぴらには出来ない。

馬鹿な新人の自分にもそれくらいわかる。

今はどこの会社も暴力団排除のクリーンな経営が主流だ。

先輩は迂闊だから、酔って寝ている隙にこっそり手帳を見る事が可能なのだ。

これはまだ新人のカガワにはまだうまく扱える案件ではない。

しかし先輩の弱味を握っている事。

巻き込まれる前にこれをうまく処理出来るだろうか。出来れば少しでも自分の利益になるように。


先輩は仕事はそれなりに出来るし一見面倒見が良く見えるが酒癖は悪いし、新卒のカガワに向かって「後輩の女子大生紹介してよ」と本気で言ってくるような30過ぎの独身男だった。どうやら新卒で親会社で働いていた頃、既婚女性に最悪の手段で持って手を出して数年前こちらに出向という形でやってきたそうだ。実際は左遷に近い。そのため上司や他の同僚とも最低限の付き合いしかない上、女性社員には嫌われている。

どこにでもお喋りな人間はいる。新人のカガワにも全て筒抜けだ。

先輩は給料やルックスは良い。それなのに独身な理由がよくわかる。

そんな先輩に義理を立てる理由はカガワにもない。

自分の親も不倫で揉めた。それはカガワの心にずっと傷を残している。

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