ミサト

田町はオフィスも多いが学校も多い。

ミサトの働くカフェのすぐ近くには工業大学があり、下手なオフィスビルよりも立派な建物だと思う。

カフェの客層はサラリーマンやOL、大学生、または近隣のタワーマンションに住む地元の人間、様々である。

サラリーマンやOLと思われる人達はノートパソコンを開いて仕事をしている事が多い。

学生もたまにノートパソコンを持ち込んでいるが、ノートで勉強しているタイプも未だ健在だ。

この店ならフリーWi-Fiが使える、というのも大きいのだろうか。

しかしこのカフェ独自のWi-Fiを導入する前からノートパソコンを持ち込む客は多かった。これはもう土地柄なのだろう。そしていつもなんとなく情報の漏洩が気になっている。

この人達は仕事の内容をうっかり隣の見知らぬ人に見られても大丈夫なのだろうか、と。


今日は手帳の忘れ物があった。

中身を見るわけにはいかなかったが、念のために一番後ろのページを確認すると名刺が貼り付けてあった。すぐ近くの会社の営業さんの物と思われる。

忘れ物は一先ず店で預かるが、緊急性が高く処分しづらいものはあとから警察にまとめて届ける事もある。

財布やスマートフォン、パソコンや鍵などだ。大体はすぐに気が付いて当日、またはせいぜい翌日には皆店に取りに来るのだが。

一先ず仕事の邪魔にならない場所に置いて他のアルバイトの子に「お客さんの手帳の忘れ物があるから覚えておいてね」と伝えた。


ゾンビウイルス。

2年前、そのウイルスに感染し弟が亡くなった時の事は今でも覚えている。

独り暮らしだった弟は初期症状での発見が出来ず、ゾンビ化してから川に落ちてあっけなく命を落とした。胃は空っぽで、飢えによる意識混濁の影響だろうと言われた。

研究のために献体を、と頼み込まれ、内臓をほぼ全て奪われ詰め物をされた弟の亡骸を焼いた時、空虚を感じた。

人を食べる事が出来ずに死んで行った優しい弟。

死ぬ前も死んでからもずっと空っぽだった弟の体。

あの悲しみは筆舌に尽くしがたい。


初期症状なら点滴を打てば治るのに、ゾンビ化してしまったら人の肉を食べないと生きられないなんて。

嫌な病気だ。

自分の夫や子供を説得してでも弟と一緒に、せめて近くに住んでいれば良かった。両親を早くに亡くした自分に取って弟は心を許せる数少ない血縁者だったのに。


ミサトは以来、ゾンビウイルスを憎む。


少し潔癖過ぎると家族には呆れられる事はあるが、有効なワクチンが生まれるまでは出来るだけ頑張りたい。

旦那にも娘にも毎日マスクと除菌シートを持たせ、食べ物も生物はほとんど食卓に出さなくなった。火を通した物でないと心配で仕方がないのだ。

私は生きたい。死ぬにしてももっと人間らしい尊厳ある死に方を望む。

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