第五章 目覚め

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 サラはこれから自身の感情と向き合う必要がある。つまりそれは自身の中に存在する心すべてに意識を向けなければならないということだった。その作業は魔法使いにとっては日常的なものであり、魔法使いのごくありふれた修行の一つであるが、多くの人々が初めてそれを行う際には非常につらい精神体験を伴うことが往々にしてある。心に意識を向けるということは、自分の認められない自分と相対することになるからである。

 善良な人々はたくさんいる。イシュマエルは旅をする中でそういう人々とも接してきた。ある町で彼が貧窮に瀕しているとき、町に住む人々の温かい心遣いで難をしのいだことが幾つもあった。また、彼が突然の雨に降られ、その日の夜の寝床も決まっていないときには心優しい人物が自らの自宅に彼を招いて、丁重にもてなしてくれたこともあった。また、キャラバンの馬車に乗っている時には、同乗していた人々と、自分たちが今まで見てきた世界のことを話し合って、時間を忘れるひと時を過ごすことも出来た。彼らの話は、一つとして同じものはなく、とても愉快だった。

 彼らは皆善良な人々だった。けれど、善良なだけの人間はいないこともまた事実なのだ。どんなに善良に見える人々にも、うちに抱える黒い感情が一切ないわけではない。善良なだけでは人間は生きていけないのだ。かつて存在した神様が作った楽園でならば、善良であるだけですべては満たされ、その人個人も幸福になれただろう。なぜなら楽園ではすべてが等しく幸福だからである。木々が喜べばうさぎが喜び、うさぎが喜べば風が喜び、風が喜べば人間が喜ぶのだ。けれど、人類は楽園を追い出された。同時に人類には罰も与えられた。無限に広がる世界の中から、命を賭してでも護りたいと思えるほどの大切な何かを得てしまうという罰である。そしてすべてのものが等しく幸福である世界は終わりを告げた。大切な何かを護ろうとするならば、それには大切なものを脅かす敵を常に警戒していなくてはならない。それは善良なだけの人間は持ちえない感情である。なぜなら敵を置いてしまった瞬間に、その人の行動は他の人々の大切なものにとっての脅威になりえるからである。そうして人々は常に他者を窺い、疑い、時には脅かすのだ。

 それら一切の感情を捨て去り、命を賭してでも守り抜きたい大切なものを危険にさらしてでも善良であろうとする人間は、まさしく自己犠牲の象徴である。そしてその自己犠牲を実行できる人間をイシュマエルは一人として知らなかった。魔法使いですら、その神様から与えられた罰をうち破ることは出来ない。

 善良な人であろうとすればするほど、自身の内に秘められた黒い感情を認めることが出来ず、苦しむのだ。自分はひとを疑ったりなどするような人間ではない、まして誰かを貶めたり蔑んだりするような人間ではない! と。大切なものを護ろうとすればするほど、黒い感情は大きくなっていき、苦しみもさらに大きくなる。

 けれどイシュマエルは黒い感情が悪だとは考えていなかった。黒い感情を持っている人々がすべて悪だというのなら、この世界は悪人だらけということになってしまう。けれど彼が旅の中で接してきた人々は決して悪人と呼ばれるべき人々なのではなかった。黒い感情を持っていることはその人の一部分であり、また一部分にすぎないのだ。大切なのはその人がこれまでの人生をどのように歩んで来たのかということであり、これからの人生をどのように歩んでいくのかということなのだ。

 多くの人々はそのことに気が付かず日々を過ごしている。そしてこの気づきを得ることこそが魔法使いの考え方の、そして魔法使いになるための第一歩なのだ。

 サラは今まさにその第一歩を踏み出そうとしていた。イシュマエルには彼女を導く責任があった。魔法という神秘に触れさせ、魔法使いの考え方を教えようとする者の責任だ。

 その方法をイシュマエルは知っていた。難しいことはない。彼が先生にされたのと同じように、彼女にもしてやればいいのだ。

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