第四章 花が咲く理由

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 イシュマエルは雪の降り積もった切り株の上に腰かけ、瞑想に耽っていた。彼が先生に魔法を教わるにあたって、毎日行うように言われていた修行の一つだった。心を穏やかにさせて、自然と一体になる感覚に身を任せるのだ。そして目では見ることの出来ない世界の多くを感じ取って、世界がそのようにあること――例えば風が吹いていれば、何故風が吹いているのかということ――の理由に思いを馳せるのだ。

「魔法使いは世界を解釈する」

 イシュマエルが魔法というものを教わり出した時、先生はそう言った。

「それは重要なのですか?」

 未熟だったイシュマエルは先生に訊ねた。先生は頷いた。

「とても重要なことだよ。魔法使いはそのために魔法を学んでいると言っても過言ではない」

「魔法とは、神秘を操るためのものではないのですか?」

「神秘もまた、世界の一部に過ぎない。我々は世界を正しく解釈することで、神秘を正しく扱うことが出来るのだ」

 先生は言った。

「しかし魔法使いは未だに世界を正しく解釈しきれてはいない。私の先生やそのまた先生、魔法というものを代々後世に伝えてこられた偉大な先人たちが、長い年月を費やしても成し遂げられてはいないのだ。恐らく私の代でも成し遂げることは出来ないだろう。お前の代でも不可能かもしれない。それでも魔法は歩みを止めてはいけないのだ。歩みを止めなければいずれは世界を真に理解する時がやってくるはずなのだ。我々魔法使いはその瞬間を待ちわびているのだ」

「どうしたら僕もその偉大な作業に加われるのでしょうか?」

 イシュマエルは興奮して訊いた。魔法使いの途方もない目的に心が熱くなっていた。

「世界に目を向け続けることだ。それが第一歩になる。そしてそれを毎日続けることだ。一日でも怠れば、世界は我々を見放すだろう」

 イシュマエルは先生の言葉を胸に刻んだ。そしてその日から毎日、どんなことがあろうと欠かすことなく瞑想に耽っては世界の在りようについて思考を巡らせているのだった。

 瞑想をしている時、イシュマエルは必ず自身の無力さに襲われた。世界の偉大さに圧倒されたからではない。魔法使いのことについて語るときや、魔法使いの考え方を振り返ると、それらはすべて先人が残して行ったものであることに気が付かされるのだ。魔法使いである彼の中に、魔法使いとしての彼の言葉はどこにもないのだ。

 魔法使いは世界を解釈するが、イシュマエルは自身で世界を解釈できたことがなかった。偉大な先人たちは、一体どのようにして世界を解釈したのだろうか。先生もそれについて教えてはくれなかった。僕が脈絡と続いてきた魔法使いの偉大な作業を停滞させるわけにはいかないのに……、と恐れだけが心の中で大きくなっていった。

「だいぶ悩んでいるではないか」

 突然話しかけられ、イシュマエルは瞑想をやめた。眼を開くと、目の前には先生の姿があった。

「せ、先生⁉」

 イシュマエルは驚いて言った。先生は二年前にすでに死んでいた。彼は先生が死んでしまったから世界を巡る旅に出たのだった。

「な、なぜ! 先生は亡くなったはずでは……!」

「修行が足りないないな」

 先生は微笑みながら言った。

「魂とは不滅なものだ。肉体はなくとも、神秘を学べばお前の前に姿を現すこととて可能になるのだ」

 先生は、魂となって自分の前に現れたのだと、イシュマエルは理解した。それは途轍もないことだった。神秘にそのようなことが出来るということを、彼は知らなかった。

「……やはり、先生はいなくなるのが早すぎたのです」

 イシュマエルは言った。

「僕は魔法の全てをまだ学んでいません」

「いいや。必要なことは全て教えた」

「そんなことはありません! 現に僕は今日まで先生に言われた通りに修行を行い、世界を解釈しようと努めてきましたが、偉大な先人たちのように上手くはいきません。その証拠に、僕は魂が不滅であるということを知りませんでした」

「ならば今日はお前が魔法使いとして成長した日である」

 先生は笑みを浮かべながら言った。

「なぜなら己が魔法というものについて未だに知り得ないことがあると知ったからである。魔法の全てを知ったと信じて疑わない者よりも、魔法について知らないことがあると知っているお前の方が、魔法使いとして勝っているのだ。世界も同じだ。世界の全てを知っていると信じている者よりも、世界のなにものをも知らないと知っているお前の方が、はるかに勝っているのだ」

 イシュマエルは先生の言っていることを理解した。けれどそれはどのようにすれば物事がうまくいくのかということを彼に教えてはくれなかった。先生は一本の樹を指さした。幹の根元には、雪に埋もれながらも懸命に咲いている小さな花があった。

「花は何故咲くと思う?」

「それは、神様のご意思によって咲くのではないのですか?」

 世界のあらゆるものは神様の一部で、現れ方が違うだけだということをイシュマエルは知っている。ならば花が咲くということも神様のご意思の一つであるはずだった。

「では、神のご意思とは何だ?」

「えっ……?」

 先生の質問に、イシュマエルは戸惑った。そのようなことを考えたことは今までに一度もなかった。

「花でなくても構わない。世界が神の一部であり、ただ見え方が異なるだけというのなら、人間を動かす神の意思とは、一体何なのだ?」

 イシュマエルは考えた。それでも先生の質問に答えることは出来なかった。

「……分かりません」

「ではそれについて考えてみるとよい。偉大な先人たちも、そのようにして世界の解釈を行ってきたのだ」

 先生はそう言うと、イシュマエルが瞬きをした次の瞬間には目の前から消えていた。本当に先生の魂が僕の目の前に現れたのだと彼は改めて実感した。そうでなければすべては夢の産物ということになるが、そこにたいした差はなかった。大事なことは先生のアドバイスを真摯に受け止めて、実践することだった。

 イシュマエルは改めて花を見やった。花を咲かせている神のご意思とは、果たしてどんなものなのだろうか。

 無心に、そのことを考えていると背後から誰かが歩み寄ってくる気配がした。振り返ると体が冷え込まないように着込んだサラが立っていた。

「どうしたんだい?」

「窓からイシュマエルの姿が見えたから」

 サラは背後の家の自分の部屋を見やって言った。

「こんな雪の中で、何をしていたの?」

 イシュマエルは正直に答えるべきか迷った。魔法使いになるための修行を付けることは出来ないと言ったばかりのサラに、今まさに魔法使いとしての修行を行っていたというのはとても憚られたのだ。

「……いや、ちょっと考え事をしていただけだよ」

「考え事?」

「魔法使いの考え事さ」

 イシュマエルは言った。そこで、サラが手に抱えている本に気が付いた。彼女の部屋には無かった本だった。

「それは?」

「昨日、パパとママが買って来てくれたの」

 サラは本をイシュマエルに見せた。表紙には『異国風土記』と記されていた。

「へえ。面白そうな本だね」

 イシュマエルはパラパラとページをめくった。書かれているのは様々な国の名前と、その土地の気候や四季、生息している動物や人々の生活風景といったことだった。幾つか彼が以前訪れたことのある地域のことも載っていた。当時のことを思い出し(長くは滞在していなかったけれど)、いいところだったな、とか、あそこの人たちは少し変わっていたな、と口元をほころばせた。

「あなたに見てもらいたいページがあるの」

 サラがそう言ったのとイシュマエルのページをめくる手が止まったのは同時だった。彼の開いたページはある国のことが書かれていた。他のページに描かれた国々と同じように、色々なことが書かれているが、何より目を引くのは国を象徴する柄が描かれている部分だった。これまでの国々の説明では美しい風景画や動物の模写だったが、このページだけは剣と盾を持った人々が、殺し合っている画だった。国を説明する文には『戦争により荒廃した国』と、そう書かれていた。そして戦争は今もまだ続いているそうだった。

「人はどうして争うのかな……」

 それは子どもが親に対して気まぐれにするような質問ではなかった。サラはイシュマエルに魔法使いとしての答えを求めているのだった。彼女の瞳は残酷が描かれているページではなく、彼女自身の過去を見ていた。

「あなたは人間の行動は、神様の意思で決まると言ったわ。なら、人と人が争うことも、人が誰かを攻め立てることも、神様の意思なの?」

 サラの問いにイシュマエルは答えることが出来なかった。サラの問いは、先生の問いかけと同じだった。

 多くの宗教で、時に神は人に争うことを強要した。だがそれが神の意思によるものだということにはならない。何故なら宗教とは神様のご意思の、たった一部分しか理解しようとしていないからである。神様のご意思の理解したい部分だけを切り取り、是としたものが宗教である。イシュマエルはそう考えていた。

 すべての根本にあるのは神様のご意思だ。花がなぜ咲くのかも、人を動かす意思も、人間が争う理由も、多くの人々が信仰している宗教も。

「僕は魔法使いだけれど、なんでも出来るわけじゃない。特にそう言った質問に対して答えることはね」

 イシュマエルは自分の無力さを痛感しながら言った。

「なぜなら、僕もまさに今、きみの求める答えを探しているところだからだよ」

 サラは下を俯いて残念がった。イシュマエルはしばらく考えて再び口を開いた。

「僕はきみに魔法使いの考え方を教えると言ったね。どうだろうか。きみも僕と一緒に考えてみないかい? 答えが見つかるかどうかは分からないけどね」

 サラは最初、驚きに目を広げていた。つまりそれは魔法使いであるイシュマエルと同じ体験をすることが出来るということだったからだ。彼女はすぐに頷き返した。

 そしてそのようにして、イシュマエルとサラの日々は少しの変化を迎えたのだった。

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