間章 ある商人の話

 リーヨンの町に一人の男がいた。彼はこの町で最も品ぞろえの豊富な店を営んでいた。町に住む多くの人々が彼の店にある品々を求めてやってきた。日々を生き抜くのに必要な食材を買いに来るものや、美しい装飾の施された食器を求めに来るもの、あるいは異国の本などを求めてやってくる者たちだった。彼は彼らの求めるものが店に在り、それを求めて彼らが店にやってくることを誇りに思っていた。商品を受け渡すとき、自分が彼らの生活を支えているのだと感じることが出来るからだった。

 その日、彼の店に一組の夫婦がやってきた。夫婦のことを男はよく知っていた。夫婦には一人娘がいるが、その一人娘がどんな医者にも治せない病にかかっているのだ。そして夫婦はこれまで住んでいた家を捨て、森の中に籠って住んでいるのだった。

 夫婦は町の人々に嫌われていた。何故なら神の罰を受けた娘を庇ったからだった。娘がいるせいで町に住む他の人々にどんな災いがあるのかも分からないというのに。だからリーヨンに店を構えるほかの商人たちは彼らに物を売ったりはしなかった。けれど男は違った。夫婦にも欲しいものを欲しいだけ買わせてやった。そうすることで夫婦は自分に感謝するのだった。

 けれど夫婦に物を買わせていることを責めるものは誰もいなかった。何故なら男は夫婦に罰を与えているからだった。夫婦は一週間分の食料を欲しいと言った。それは肉や魚、野菜などだった。そして男は彼らの望むものを与えた。

「500ユルドだ」

 男が夫婦の買い物の値段を告げた。夫婦が買った品物は、本来なら50ユルドの金額だった。定価の十倍の金額を男は夫婦に言いつけたのだ。そして夫婦は男の店でしか買い物をすることが出来ないので、男の言い値に従うしかないのだった。

 商人とは本来、客よりも下手か、あるいは同等の立場でなくてはならないが、この森にすむ夫婦を相手にする時だけ、男は客よりも優位に立つことが出来たのだった。それは男に全能感にも似たものを与えてくれた。

「この本も頂けるかしら」

 夫婦の女性が言った。彼女が指差していたのは近頃仕入れた本だった。表紙には金色の文字で『異国風土記』と書かれていた。男は大して本に興味はなかったが、こういったものを仕入れている店がこの町には無かったので、どこも揃えていないのならと仕入れたのだ。正直に言えば男に本の価値などは分からなかった。これを仕入れるときに取引をした行商人からは結構な安値で仕入れることが出来たことを彼は思い出した。20ユルドもしなかったはずだ。それは本につく値段としては十分に安い値段だった。

「150ユルドだ」

 男は少し考えていった。ふっかけるとき、あまりに高くしてはいけないということを男は知っていた。食料などの場合は生きるのに必要なため、高い値段でも払うしかなくなるが、本とは生きるのにどうしても必要というものではない。あまりに高くし過ぎては夫婦も買わなくなってしまうだろう。だから夫婦が払ってもいいと思える限界であろう値段を提示する必要がある。それが今回は150ユルドであろうと男は見定めたのだった。

 そして夫婦は男の予想通り、150ユルドを支払った。



    ☆



 老人は男が営む店から夫婦が立ち去っていくのを見守っていた。彼の瞳は鋭く細められていた。

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