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「魔法使いの考え方を教えてあげるよ」というイシュマエルの言葉に、サラは首をかしげた。

「魔法使いの、考え方?」

 イシュマエルは頷いた。

「僕は神様を信じているけれど、それはきみたちの言う神様とは少し違うんだよ」

 イシュマエルは言った。

「きみたちは神様が神の国にいて、そこには天使や今まで神様に仕えてきた人々がいると信じているだろう。それが多くの人々の考え方だからね。ラバ教やヤムニエル教、ヤフト教の三大宗教は特にこの考え方が顕著かな」

 イシュマエルの言葉に、サラは頷いた。彼女と彼女の両親もラバ教だった。

「あなたは違うの?」

 サラが訊ねた。

「あなたは民族的に、ヤムニエル教の人だと思っていたんだけど」

「昔は確かにそうだったよ。ここより東の国で僕は生まれて、その国ではヤムニエル教が広く広まっていたからね」

 イシュマエルは言った。

「けれど魔法使いになった時にそんな考えはどこかへ消えてなくなってしまったよ。僕たち魔法使いは魔法を使い、神秘を扱うたびに神様を身近に感じる。そしてそのたびに実感するのさ。神様は神の国ではなく、世界そのものの中にいるってね。そして、世界は神様の一部に過ぎないということをね。木や、海や、鳥や動物や、空や、石ころや、僕やきみも神様の一部分なんだ。」

「それじゃあ、天国はないの?」

「死んだ人々の魂は天国ではなく神の御心の一部となって世界に還るんだ」

 サラの疑問にイシュマエルは微笑みを湛えた。

「それは天国へ行くのと同じくらい、幸せなことだと思うよ」

「……よく分からないわ」

 サラは湖を眺めながら言った。イシュマエルは笑った。

「とにかく、魔法使いにとって神様は世界そのものなんだよ。そして、人も神様の一部であるのだから、人々の行いだって神様のご意思なんだ」

「それじゃあ、やっぱり私は『穢れた罪人』なのね」

 サラは落ち込んで言った。

「だってそうでしょう。あなたの言うことが本当だったら、町の人たちが私に言っていたことは神様の言葉だっていうことでしょう」

「いいや。そうじゃないよ」

 イシュマエルははっきりと否定した。

「僕は神様が、人々に罰として病を与えるだなんて、そんな心の狭い存在ではないと思うよ」

 イシュマエルは、未だよく話を理解出来ていないサラの瞳を真っ直ぐに見据えた。サラは吸い込まれそうな彼の瞳に見入った。

「人々は神様の一部で、人々の行いは神様のご意思だ。けれど人々の心には常に欲望がある。欲望というのはなにかを成し遂げたいという気持ちや、何かを得ようとする気持ちだけじゃなくて、何か恐ろしいものから逃れたいという恐怖も含まれる。そう言った欲望は人々の心を曇らせる。曇ってしまった心には、神様のご意思だって届かない。欲望に捉われた人々の行動は、決して神様のご意思で取られた行動ではないよ。そして、きみに町から出て行くように叫びたてた人々は、恐怖という欲望に支配されていたんだ。そんな人たちの言葉が神様の意思であるわけがない」

 イシュマエルの言葉をそこまで聞いてようやく、サラは彼が何を言わんとしているのかが分かった。彼はサラが決して神に罰を受けるような『穢れた罪人』などではないということを伝えようとしていたのだった。

「町の人々がきみに町を出て行くように言ったのは、彼らがただきみの病を恐れただけさ。きみは罪人ではないし、魂だって穢れてなんかいない。そして、きみの病は僕が必ず治して見せる。だから、病が治って元気になったら、町に行ってみるといい。きっと世界が違って見えると思うよ。よそ者の僕はどうやってもいい顔はされないけれど、この町で生まれ育ったきみならそんなこともないだろう」

 イシュマエルはにっこりとした。その笑顔は暗く沈んでいたサラの心をやさしく包み込んでくれているようだった。

 今までサラにこのような言葉を掛けてくれた人はいなかった。彼女の両親も同じだった。彼らは娘の身の潔白を信じ、病が癒されるように神様に祈っていたけれど、魔法使いではなかったので町の人々が言う『穢れた罪人』という言葉を明確に否定できる強い言葉を持っていなかったのだ。自分は神様から罰をあたえられたわけではなくて、『穢れた罪人』でもないと確かに言ってくれたイシュマエルの言葉は、それだけで彼女の心を満たした。

「ありがとう」

 サラは言った。

「そう言ってくれるだけで、すごくうれしいわ。なんだか、心が軽くなった気がする。もしかしてこれもあなたの魔法なの?」

 問われてイシュマエルはきょとんとした。

「いいや。これは魔法じゃないよ」

 それから微笑を浮かべて頭を振った。

「でも、魔法を使うのに必要な基礎的な考え方ではあるよ。僕は今、それを君に教えたんだ」

「それじゃあ私は少しだけ魔法使いに近づけたの?」

「そうだね。そういう言い方も出来るかもしれない」

「そっか」

 とサラは小さく呟いた。いつの間にか湖はその色のエメラルドグリーンからコバルトブルーに変化させていた。

「ねえ、私に魔法を教えてよ」

 サラの言葉にイシュマエルは驚いた。最初は冗談かと思った。けれど彼女の真剣なまなざしを見てそうではないと分かった。

「……僕は、弟子を見つけるために旅をしているんだ。そしてこの町にやってきた」

「ならちょうどいいわ。私を弟子にしてよ」

 サラは、これは運命だと思った。弟子を探し求めて旅をしていたイシュマエルはこの町にやって来て私に出会ったのだ!

「これって運命じゃない⁉」

「……」

 けれどイシュマエルの表情は浮かばなかった。

「魔法使いは弟子を取るとき、慎重にならなければならない。魔法をきちんと扱うことの出来る素質のある人に教えなければならないからだ。もし、いくら魔法を教えても素質の無い人だったらすべては徒労に終わってしまう」

「私は、素質がない?」

「魔法の素質があるかどうかは、見ただけでは分からない」

 イシュマエルは言った。

「じゃあ一体どうやって、魔法使いは弟子を取るの?」

 サラが訊ねた。

「見ただけで素質があるかどう変わらないんじゃ、魔法使いは一体どうやって弟子を取るかどうか決めるのよ」

「魔法使いは弟子を取るべき時に、夢を見るんだ。その夢は予言であるし、お告げでもある。魔法使いはその夢に従って弟子を取るのさ」

「あなたも夢を見たの?」

「見たよ」

「その夢は、私のことについてじゃなかったの?」

 イシュマエルは夢のことを思い出した。そして頭を振った。

「あの夢がきみのことを語っているのかどうか、今の僕では分からない」

「……どういうこと?」

「僕の見た夢では、僕の弟子となる人物の顔は一切分からなかったんだ。男性なのか、女性なのか。若い人なのか老人なのか。全く分からなかった」

「それじゃあ、ほとんど何も分からないじゃないの」

 サラは呆れて言った。

「それが本当に予言とかお告げなの?」

「だから魔法使いは慎重に弟子を選ばなければならないのさ」

 イシュマエルは言った。

「けれど旅をしていれば魔法使いは必ず自分の弟子を見つけるものだよ」

「どうしてそんなことが言えるの?」

 サラが訊ねた。

「夢が間違っているとかは思わないの?」

「思わないさ。僕の師匠やそのまた師匠も同じように旅をして弟子を見つけたんだからね」

「……ねえ、もっとその夢の内容を教えてちょうだいよ」

 サラはどうにかしてもっとイシュマエルから夢の内容を聞き出したかった。その夢の内容に沿うような振る舞いをすれば、自分が彼の弟子になれるのではないかと思ったのだ。

「どうしてそんなに魔法を使ってみたいんだい?」

 イシュマエルは訊ねた。彼は先生の言葉を思い出した。「魔法使いは、むやみやたらに他人に魔法を見せてはいけないよ」と先生は言った。そしてそれと同じ理由で、魔法はむやみやたらに教えてはいけなかった。それは魔法を使える、使えないに限らなかった。サラにはすでに魔法を見せてしまっているけど、魔法を教えるかどうかは――それがどんなに初歩的なことだったとしても――別問題だ、と彼は思った。

「私は今までずっと一人で本を読んで過ごしてきたわ」

 とサラは言った。

「パパとママは私がお願いすれば、町で色々な本を買って来てくれた。それに二人が外に出かけた時に見た面白い話も話してくれたわ。でもパパやママの話や、本に書いてあることはいつも同じことを私に言っているの。それは私が不自由であるということよ。パパやママの話はいつも面白いけれど、その場にいれば私はもっと楽しめたと思うの。本には私の知らない世界がいっぱいに広がっていて、登場人物たちはその世界を自由に行き来していたけれど、本を読むたびに私は部屋の窓から見える景色しか知らないことを思い出すの。でも、あなたに出会って、魔法というものにこうして触れた時に、私は初めて、私を本当の意味で広い世界に連れ出してくれるものに出会った気がしたの。この感覚は、パパやママの話でも、どんな本を読んでも得られなかったものだわ」

 サラは胸に手を添えて、訴えるように言った。

「だから私は魔法を習いたいの。魔法が使えるようになれば、私はあの狭い窓から広い世界に羽ばたける気がするの!」

 イシュマエルは眼を閉じて、サラの言葉を噛み締めた。彼女の想いは十分に伝わった。決して興味本位で魔法を習いたいと言っているわけでもないということも分かった。けれどイシュマエルは魔法使いで、魔法使いには魔法使いの守らなければならない規律があった。そして規律は、イシュマエルに魔法を教えるべきではないと言っていた。

「……残念だけれど、きみに魔法を教えることは出来ない」

 イシュマエルは言った。サラは表情を悲しみに歪めた。

「……どうして、」

「きみは僕の弟子じゃないからだ。もしかしたらいずれ、きみは弟子になるのかもしれない。それは分からない。けれど少なくとも今はまだ僕の弟子じゃないし、僕の心も君を弟子にするべきかどうか迷っている。だから魔法を教えることは出来ない」

 イシュマエルの言葉を聞きながら、サラは俯いた。新しい世界に続く扉は、閉まってしまったのだった。

「でも」

 と涙をこぼしかけたサラに、イシュマエルは言った。

「魔法を教えることは出来ないけれど、魔法に繋がる、魔法使いの世界の考え方なら教えることは出来るよ」

「えっ……?」

 顔を振り上げたサラに、イシュマエルは微笑んで言った。

「それはさっき僕がきみに話したようなことと一緒だよ。あれは魔法使いが考える神様の在り方だ。それと同じように魔法使いが見る世界の在り方をきみに教えてあげることは出来る。魔法が使えるようになるわけではないけれど、それでも、今まできみが窓辺から見ていた狭い世界を広げるには役に立つんじゃないかな」

 本来は、この考え方もあまり教えない方がいいのかもしれないけど、彼女には魔法をすでに見せてしまっているんだから、これくらいは許容範囲内だよね。イシュマエルは内心で先生に謝った。サラを見やると、彼女は驚いて目を見開いていた。

 イシュマエルの言葉は、サラに新しい世界へ続く扉を開かせてくれるものではなかった。けれど、扉へと続く道を付けてくれるものだった。そして、今はそれで十分だと彼女は思った。

「いいの……?」

 確かめるように訊くサラに、イシュマエルは頷いた。

「ありがとう」

 そしてサラは溜めていた涙をいよいよあふれさせて笑ったのだった。

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