第二章 魔法使い
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「僕はね、魔法使いなんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、サラは身体をぴくっと硬くした。彼女は魔法使いにあったのは初めてだった。そして魔法使いは人々の魂を堕落させる云われる悪魔と契約して人に身にならざる超常の力を操る者たちであるということを、町のどんな子どもでも知っていた。だから魔法使いは悪者だったし、彼女の持っているお伽噺に出てくる魔法使いも最後は主人公である勇者や英雄に倒されていた。
「そんなに身構えなくてもいいんじゃないかな?」
イシュマエルが言った。
「僕はきみが思っているような悪い魔法使いじゃない。そもそも、魔法使いに悪い人なんていないんだ。だからそんなに警戒する必要もないよ」
「あ、あなたは本当に……魔法使いなの?」
サラは震える声で尋ねた。イシュマエルは頷いた。
「もちろんだよ」
「……魔法使いだなんて、私は一度も見たことがないわ。いいえ、きっとパパとママだって見たことがないと思う」
「そうだろうね。魔法使いはとても少ないから。出遭えることは貴重だと思うよ」
サラは本当にこの人が魔法使いなのだろうかと思った。彼女の知っている魔法使いとは、じめじめとした隠れ家に住んでいて、陰湿な性格をした老婆や老人というイメージだった。本などではそうだった。眼の前の青年が魔法使いだと言われても、とても信じられない。それくらい彼は彼女の持っている魔法使いのイメージとかけ離れていた。
けれどサラは先ほどイシュマエルが風を自在に操り、草花を宙に浮かしていた光景を思い出した。あれはまさしく魔法のような出来事だった。
「……もしかして、僕が魔法使いだっていうことを信じてない?」
イシュマエルは沈黙したサラに言った。
「……いいえ。信じるわ」
サラは頭を振って言った。
「さっきの光景を見たら、信じるしかないわ」
「それならよかった。では家に戻ろうか。もう薬に使う薬草は集まったし、きみはまだ病人だ。あまりこの寒い外にいるのは身体に悪い。詳しい話は温かい家で、温かい飲み物でも飲みながらすることにしよう」
☆
やはりあまり外に出たことのないサラにとって冬の寒さは身に堪えたのだろう。彼女は家の温かさを実感しながら冷え切った身体を温めるためにかぼちゃのスープを両手で抱えながら飲んでいた。イシュマエルが用意してくれたものだった。
サラはベッドの横を見た。本来の位置からずれた机が横にぴったりと添えられていた。イシュマエルはその机の上で取ってきた草花をすり鉢の中に入れて、すり棒でゴリゴリと音を立てながら薬草を潰していた。
「あなたは、魔法使いっぽくないわ」
サラが言った。
「おばあちゃんとかが話すお伽噺とか、本の中の魔法使いはもっと……怖い存在よ」
「確かに。お伽噺や本に登場する魔法使いは、魔法で多くの人々に悪さをしたり、時には疫病なんかをはやらせたりして多くの人間を死に追いやったりしている。ほとんど人間の皮を被った悪魔みたいだからな」
イシュマエルは笑った。
「それと比べられると、僕は随分と拍子抜けして見えてるのかもしれないね」
その仕草を見て、やはり魔法使いらしくないとサラは思った。
「けれど僕は確かに魔法使いだよ」
そう言うイシュマエルの声は、揺るぎない信念の籠った響きをしていた。彼は薬草をすりつぶす手を止めると、サラを見据えた。
「まずはお伽噺や本の中の魔法使いと、僕のような本物の魔法使いの違いを説明しようかな」
「それは、興味あるわ。どう違うの?」
「一番の違いは魔法を使うまでの方法かな」
イシュマエルは言った。サラは首をかしげた。
「えっ? でも魔法は使うんでしょ。実際さっきも使ってたじゃない」
「うん、魔法は使う。魔法使いだからね。でも、同じ結果を起こすときでもお伽噺や本の魔法使いと、僕のような魔法使いでは辿る道順が違うんだよ」
そう言われてもサラにはイシュマエルが何を言いたいのか分からなかった。彼は続けた。
「つまりね。例えば『風を起こす』という魔法を使ったとする。お伽噺や本の魔法使いは悪魔と契約していて、彼らの力を借りて風を起こすだろう。けれど僕は違う。そもそも僕は生まれてからこの方、悪魔を見たことがないからね。だから当然、彼らの力を借りるようなことは出来ないんだ」
イシュマエルは少し間を置いた。サラが彼の言葉をしっかりと整理する時間を取るためだった。
「僕のような魔法使いが『風を起こす』ときは、風と対話をするんだ。風を起こしてほしいとね」
「風と……対話?」
サラはまるで想像がつかなかった。そもそも……
「風は言葉を話せるの?」
「話せるよ」
サラの疑問に、イシュマエルは当たり前のことのように返答した。
「風だけじゃないよ。太陽も月も、森や花も、雲も海も、鳥や虫、動物や魚、この世にあるものすべては言葉を発している。それは世界の言葉であり、その声に耳を傾けて、対話をすることで神秘の力を得る。それが僕のような魔法使いが『魔法』と呼ぶ事柄なんだよ」
「それじゃあ、さっきのあれも?」
サラは四方の森から草花が風に乗って運ばれてくるのを思い出した。
「そうだよ」
とイシュマエルは頷いた。
「きみの病を治すための薬草が欲しいから力を貸してほしいと風にお願いをしたんだ」
「そんな、信じられない」
サラは言った。イシュマエルが魔法使いだということは信じることが出来ても、風と話せるということは信じられなかった。まだ悪魔から力を借りたと言われた方が納得出来るかもしれなかった。
「なら実演してみせようか」
イシュマエルは嫌な顔一つせずに言った。ぐるりとサラの部屋を見回して、一か所を指さした。そこには小さな鉢植えがあった。蕾は歩けれど花はまだ咲いていなかった。
「そうだな、あの蕾の花を咲かしてみせるよ」
「あの花の? でもあれはもう少し温かくならないと花が開かない種類の花よ」
「でも咲いたらすごいだろ?」
「それは、そうだけど……本当に出来るの?」
「もちろんだよ」
イシュマエルは頷いた。それじゃあ行くよと花と向き直った。
「聞いていたかい?」
とイシュマエルは蕾に話しかけた。サラには特に変わったことが起きているようには感じられなかった。今の青年は傍から見ればただひとりごとを言っているようにしか見えなかった。けれど彼はまるで返事があったかのように話し続けた。
「実はあなたに花を咲かせてもらいたいんだ」
イシュマエルは話し続けた。彼には聞こえているのかもしれない蕾の声はサラにはさっぱり聞こえなくて、ひたすら独り言を言い続ける青年に彼女は若干の恐怖を覚えた。
「ね、ねえ、今それって蕾と話してるの?」
サラはしばらく迷った後、イシュマエルの話を遮って訊ねた。
「そうだよ」
イシュマエルは頷いた。
「ごめんなさい。私にはなんにも聞こえないから、一体何が起こっているかさっぱりなんだけど」
サラは眉を八の字にして言った。するとイシュマエルは「ああ、それもそうか」と言った。
「今はあの蕾に花を咲かせてもらえないか頼んでいるところなんだ。ただ、今は時期ではないからとなかなか渋られていてね。なかなか気難しい花だね」
「……花に気難しいとかあるの?」
「あるよ。花だってそれぞれ個性があるから」
それからイシュマエルは再び花に話しかけた。蕾の声は聞こえないが、彼の話している内容からなかなか説得が上手くいっていないようにサラは感じた。
「この部屋には花がありません」
ある時イシュマエルが言った。
「あなたはサラに水を貰っているのでしょう。ですがそんな彼女の部屋には今、美しい花がなく、とても殺風景です。彼女は病に伏していて外には出られないのだから、せめてこの部屋の中だけでもあなたの花の美しさで彼女を励ましたいのです。あなたの花が咲けば、彼女はきっと喜ぶことだと思います」
彼が言い終えると、鉢植えを注視していたサラは蕾に起きた確かな変化に気が付いた。蕾は徐々に、けれど確かに羽を広げるように花開いていったのだ。その様は、花が自らの意思で、花を咲かせたように見えた。
そして。
「どうかな?」
イシュマエルがサラに振り返った。鉢植えには綺麗な青い花が咲き誇っていた。
「……驚いた」
サラは心から言った。
「あの花はきみのために咲いたんだよ」
イシュマエルが言った。それは花を咲かせた花を見ていると不思議とそうであるということがサラにも分かった。彼女の口元は自然と笑みを湛えていた。そしてイシュマエルの言っていた魔法というものがどういうものなのかということも、なんとなく分かった気がした。
「そっか。これが魔法なんだ」
すると今度は別の疑問がわいた。
「じゃあお伽噺や本に出てくる悪魔は本当はいないの?」
「僕は見たことがないけれど、どこかにはいるかも知れない。僕は魔法使いで世界の神秘を誰よりも知っているけど、全てを知っているわけじゃないからね。すべてを知っているのはただひとり、神様だけさ」
「イシュマエルは神様を信じているの?」
サラはきょとんとして訊ねた。
「悪魔の時よりも確信めいて聞こえたけど」
「もちろん信じているよ」
イシュマエルは言った。
「この世で最も偉大な神秘は、この世界を作った神様の神秘だと僕は知っているからね。そして魔法使いは常に神様の存在を身近に感じることが出来るんだ」
「……魔法使いなら誰でも?」
「そうだよ。魔法使いにとってそれが最も肝要なことだと言えるかもしれない。僕はさっき、魔法使いには悪い人はいないと言ったよね」
サラは頷いた。
「世界はとても広く果てしなくて偉大だけれど、その中に存在している僕やきみや風や花や森や、あらゆるものは全て神様の一部なんだよ。だから僕が魔法を使うときは、風や花や森を通して神様を感じることが出来るんだ。それが出来なければ魔法は使えない」
「あなたの言っていることは、私には難しいわ」
サラは、これ以上は何を言われても理解できる気がしないと項垂れた。イシュマエルはおかしそうに笑った。
「いきなりすべてを理解できるようなものでもないさ。もしみんなが理解していたら、今頃世界は魔法使いであふれている。そうなっていないということは、それだけ神秘を扱うということは難しいということなんだよ」
確かにそういうものなのかもしれないとサラは思った。誰もが魔法を使えたら、それはもはや神秘でもなんでもないのかもしれかった。
「それじゃあ最後にこれだけ教えて」
サラは言った。
「あなたが魔法使いだということは納得したけど、それじゃあ魔法の箒に乗って空を飛ぶことは出来るの? お伽噺や本だと、魔法使いはみんな箒に乗って空を飛んでいたわ。それともやっぱりそれも創作で本当には飛べないの? もし飛べるならぜひ飛んでみたいの。箒で空を飛ぶのって、魔法の箒の話を知った時からの私の夢なのよ」
「それは――試したことがないな」
イシュマエルは腕組をして言った。それからにやりと笑った。
「でも、多分飛べるさ」
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