7

 大小様々な瓦礫のせいで、辺りは随分と埃っぽくなっていた。

 しかし、地面は外に比べて安定しているし、先程まであんなに気にかけて歩いていた足元も、随分ときれいなものだ。

 気にしなくて良いのはありがたいけど、と司は目で灰色の背中を追う。

 猫は迷いもなく入り口を潜り、わずかに残った階段を上る。何か目的地があるかのように、猫はまっすぐに進んでいく。

 やっぱり猫的な何かでもあるのかね、と考えた所である事を思い出し、口を開く。

「そういえばさ」

「なんだ」

「ユウキって誰?」

 先程この猫が叫んだ名。その名前を口にすると、歩を進めようと浮かせた足がぴたりと止まった。

 声か姿かは分からないけど、きっとその名前の主を追ってたりして、という簡単な推測だったのだが、ビンゴだったらしい。

「……元同居人――飼い主だ」

 それだけ呟くように返して、振り返らずに足を進める。

 カオスガーデン出身だと聞いてはいたが、まさか飼い猫だった時代もあるとは、猫の生き様も人同様に色々あるんだろうな。等と司は素直に感心する。

 それなりに民間の生活をこいつは謳歌していたのかもしれない。

 マグロの赤身が良いとか言う位だし。

「そっか。お前飼い猫だったのか」

「悪いか」

「いや、そんな事言わないよ。……って事は、名前とかあったの?」

 あぁ、と猫が口を開く――と同時に、二人は空気に染み込むような重圧を感じた。

「――! この感覚は!」

「《ワーディング》だな――それになんか妙な音がする」

 中央改札の方かな、と奥へ視線を送る司にリンドは頷き、「行くぞ!」と速度を上げて通路の奥へ駆ける。司も「OK」と軽く答えて瓦礫を飛び越える。

 この猫についていけば、すぐに辿りつくだろう。

 問題は。

 ……猫の通る道が、果たして人間にも通りやすい道かって事だよね。


 駅が元々入り組んだ構造だからか、それとも瓦礫が積みあがった為か。直進できればすぐ近くのはずなのに、塞がれた通路や抜け落ちた階段で回り道を余儀なくされ、距離が詰められない。

 そうやって広い構内を行ったり来たりする内に、二人は何とか音源となっているであろう空間へと辿り着いた。

「よ、っと」

 リンドはそのまま改札の下をくぐり、司は作動しないそれを軽く飛び越えて、猫の隣に着地する。

 そして二人が空間に目を向けると。

 血の海の中で、得体の知れない白い物体と大量の死体に囲まれた女性と少女が立っていた。


 装飾が施された仮面に、体格を隠すローブ。赤く塗れた二口の刀を振るう黒髪の女性と。

 表現しようのない歌声を響かせる、黒いワンピースに赤毛の少女。

 彼女たちを取り囲むのは、白い人型のような何か、としか表現しようのない物体。


「なんだ、あれは」

 状況が飲み込めずに呆然と呟くリンドに、司はひゅぅ、と小さな口笛で答える。

「カオス空間だねぇ。俺達、不思議の国に迷い込んだんじゃない?」

「不思議の国か」

 森じゃなくてコンクリだけどほら。猫も喋るし。目の前には歌う子供。

「やった。俺の立ち位置アリスじゃん」

「待て。俺はチェシャ猫か?」

「そうだな。猫だし」

「じゃぁあの白いのはどう説明するつもりだ」

「えっと……なんか量いるし、トランプ兵?」

「――ちょっとそこの漫才コンビ!」

 目の前の光景を眺めながらのやり取りに横から割り入ってきた幼い声。

 二人が視線を向けると、そこにはワンピース姿の少女。喉元に当てた右手はそのままに、肩に力を込めてこちらに苛立ったような視線を向けている。

「見てないで助けなさいよ!」

「だってさ」

「お前もな」

「じゃあ、いっちょやりますか」

 軽いため息をつくように司はデザートイーグルを抜き、リンドはいつでも飛び出せるように身構え。

 二人の視線が一瞬だけ交差し、それぞれの目標を定める。

「そうそう。俺、河野辺司ね」

「――リンドだ。では行くぞツカサ。片方を頼む!」

「了解!」

 声と同時に響いた銃声を合図に、リンドは異形へ向かって駆け出した。


 □ ■ □


 霧緒が物音を聞きつけて崩れた階段の穴を飛び越えると、白い何かが見えた。

 そして同時に響く銃声。

「あれは――」

 一瞬だが、人のようには見えなかった何かと、銃声。

「誰かが、戦ってる」

 敵が居る可能性が高いと認識をした霧緒は、帽子を押さえ、右手の傘に力を込めた。

 若草色をした傘は彼女の意思通りに柄を伸ばし、形を変え。大きな鎌へと変化する。

 着地と同時に視線だけで形状を確認して、もう1歩大きく跳ぶ。

 そうして飛び出した広い空間には。

 歌を歌う小学生位の女の子。

 それを取り囲む大量の白い異形。

 更に奥には、煙を吐く銃口を向けた少年と、異形のものに飛び掛ろうとしている猫がいた

 

 のっぺりとしていて「人型」としか表現できない白い何かは、異形と言うにふさわしく、霧緒は思わず動きを止めそうになる。

 ――えっと。何あれ。

 人、というにはフォルムが曖昧。どっちを向いているのか分からない頭。宇宙服を思い切りふやかしたようなそれは、一体何なんだろう?

 そんな疑問に答えるようにもう一度銃声が響き、数体の異形が倒れる。空気が抜けるような、蒸発するような音の中、霧緒の一番近く居た異形がゆらりと腕を上げる。

 途端、空気がぐにゃりと歪んだのが見えた。

 粘着質にでもなったのか、その空気の中を飛ぶ銃弾は次第にその速度を落とし、キン、という小さな音と煌めきを地面で弾いて霧緒の足下まで転がってきた。

「うわ、なにあれ!」

 同時にそんな声も聞こえる。

 ちらりと視線を向けると、その台詞をそのまま書いたような表情の少年が居た。

 得体の知れない物が使ってる力だから、やっぱり得体の知れない感じがするのだろうか。

 でも。あれは空気が変容したわけでも、密度が変化したわけでもない。

「あの歪み方は重力とか斥力とか……その辺かな」

 と、霧緒は感じた感覚から状況を把握し、やだなあ、と小さくぼやく。

 きっと自分が持つのと同じ、重力や時間を操作するシンドローム――バロールに分類される能力だが、自身にはまだうまく扱えない力だ。

 どちらかと言えば重力系は苦手分野に近いよ、と心の中で小さくため息をつく

 そうしている間に、猫が軌道を変え、先ほど腕を動かした異形へと飛びかかる。

 周囲の空気から見る間に水の刃を作り出し、その軌道を巧みに操って目の前のグループを次々と切り裂く。

「お前ら、邪魔だ。――消えてなくなれ!」

 その言葉に応えるかのように、異形と水の刃が音を立てて消えていく。

 あっという間に目の前の一団が倒れ、蒸発し、消え失せる。

 すちゃ、と地面に降り立った猫は、すでに消えてしまった異形の集団の跡を一瞥し。

「子供をいじめるヤツは、碌でもないヤツだ」

 そう、呟いた。

 少し離れた所でそれを見ていた少女が、歌を畳んで声を上げる。

「ありがと、漫才コンビの人!」

「!?」

 霧緒には、彼らの間に一体どのような関係があるのか分からない。が、猫がとてもショックを受けたような顔をして少女の方を向いたから、その言葉が心外だったのだけは確かだった。

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