8
「く……。あいつ、ただの子供じゃないな」
「まあ、ワーディング内で助けを呼ぶ位だからねえ」
どこか緊張感を漂わせたリンドの呟きに、司は大きな感情もなく答えて銃口を再度定める。
リンドは何か諦めたのか「そうか……」とだけ答えて残った異形を見据える。
その視線の向こうでは、みあの口が深く息を吸い、その背後で淡い光を灯した頭をゆらりと彼女に向けた異形が、腕を上げた。
「――、――♪」
歌詞と呼べる物はない、シンプルな歌声。それを合図に、霧緒は勢い良く地面を蹴る。
よく透るその声は、耳に心地よい中にどこか心がざわつくような感覚を残して響き渡り――目の前の異形達が動きを止めた。
何かに縛り付けられたかのように動かない異形達。だが、歌の音がひとつふたつと進むにつれ、その身体が少しだけ震えはじめ、ぎこちなく腕を上げたり膝をつきそうになったりしながら倒れていく。
毒薬を飲んだらこんな感じだろうか、と思う程にもがき苦しみ、その身体の力が抜ける頃には、その末端から崩れ消えっていく。そうして歌のワンフレーズにも満たない間に、彼女の目の前に居た異形は大半が倒れた。
歌は続く。それを聞きながら、霧緒は姿勢を低くしてもう一歩踏み込む。
白い異形は目前。
そして、相手を射程範囲内に捉えたら。
ブーツの底で砂を転がし、手にした鎌を大きく薙ぐと、あっけない手応えと共に異形達の首が、手首が。その線上にあった物がぐらりと傾ぎ、重力に引かれた。
そして例に漏れない音を立てて、地面に落ちる前にその姿を消す。
残ったのは、歌い終えたみあと、大鎌を振り抜いた霧緒。
「大丈夫?」
ふう、と安堵の息をつきながら霧緒が声をかけると、みあはにっこりと笑って頷いた。
「うん。ありがとう、お姉さん」
よかった、とつられて笑いかけた霧緒は、彼女の向こうに残っていた異形の頭が揺れたのを見た。
直後。襲う重圧。
その周囲の重力を一気に強めて、縛り付けるような感覚。
「――?!」
詰まる息で声が出ない。そして襲う衝撃。
真正面から衝撃を受けた小さな身体が吹き飛ばされ、霧緒めがけて飛び込んでくる。
彼女を受け止める形となった霧緒は、足下に力を込めるが、それも大して意味を為さず。靴底が地面を見失い――。
一瞬だけ、全ての感覚がぶつりと途切れた。
が、それはすぐさま、背中から伝わる衝撃と詰まった息の苦しさによって取り戻される。
詰まった息を大きく息を吐きだし、走る痛みに顔を顰める。が、右手の鎌、背中には堅い感触と感覚ははっきりしている。身体を少し動かすと、軋むように背中が痛む。まだちゃんと動くまでもうちょっとだけ時間が欲しいな、と思いつつ隣に転がる少女に視線を向けた。
遠目だと分からなかったが、彼女の髪は血で固まっていた。
今の出血にしては乾いている。出血元となりそうな傷口も見あたらないので、傷は既に塞がったのだろう。しかし、今の衝撃で受けた傷からは血が溢れ出しているのか、黒いワンピースの袖がほんのりと赤みを帯びて僅かな光を照り返す。
「大丈夫?」
小さく声をかけると、彼女の長い睫毛が揺れて緑の瞳が覗いた。
それに安堵して小さく息をつくと同時に「お前ら、大丈夫か?」という声も届く。
霧緒が上げた視線の先から、青いシャツの少年がこちらへ向かってきていた。
鞄から引き抜かれた彼の手に銃はない。後ろにも、異形は残っていない。きっと彼が残りを片付けてくれたのだろう。
頭程あるような石をよけつつ、彼は目の前に立つ。
倒れたみあに目を向けた彼が一瞬だけ眉を顰めたが、すぐさまそれを引っ込めて手を差し出す。
「立てるか?」
霧緒がみあの肩をちょっと押してあげると、「なんとか大丈夫だよ、お兄さん」とその手を握り返す。とても軽そうなその身体を引き起こした彼は、「そっちは?」という視線を向けてくる。
「えぇ、大丈夫です」
そう答えながら、握ったままの鎌に力を込めて立ち上がると、背中がずきりと痛んだ。
「うん、二人とも血だらけに傷だらけで大丈夫そうには見えないんだけどな?」
「でも、もうあの変なのは居ないんだよね」
「あー……。少なくともここにはもう居ないだろうな」
周囲を見渡した少年の返事に、それなら大丈夫、と少女はにこっと笑って答えた。
あの大量の異形は、跡形も残さず消え去った。
血が流されたわけでもない戦場に残ったのは、戦闘があった、という痕跡と記憶だけだ。
「まったく……あれは何だったんだ?」
異形達がひしめいていた空間を横目に、リンドは黒服の少女を手を引く司の元へと向かう。大小の瓦礫が転がっていてまっすぐ歩くこともままならないが、それらを軽々と飛び越える。
――。
耳がぴくりと動き、リンドは思わず足を止めた。
「――何だ?」
くるりと振り返ると、瓦礫の上にあった小石が落ちるのが見えた。
同時に、みしり、と音がした。
嫌な、予感がする。
直感でそう感じたリンドは、前の三人へと向き直る。
彼らは気付いていない。
もう一度、不吉な音がリンドの耳に届く。
「……! 皆、急いで外に――!」
叫ぶように声を上げながら一足飛びに駆け寄るも、それは間に合わなかった。
全員が足下の軋む音を認識した時には、既に遅かった。
地面に走る亀裂は大きくなり、彼らの足下を大きく崩す。
もし、ここがまっすぐ歩ける構造ならば道はあったのかもしれない。
しかし、猫ですらまっすぐに歩けない道では人に為す術などなく。
崩れていく地面に巻き込まれ、床を構成していた大小の瓦礫と共に暗闇へと飲まれた。
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