6
その光景を受け入れるのに、少しだけ時間がかかった。
一瞬だけ真っ白になった思考を無理矢理動かして、確認をする。
あの手は。
質問、という声と共にひらりと挙げた、三上さんの。
一番背が高くて、他の人よりも丈夫そうなブーツを履いているあの身体は。瓦礫の下になってもノートPCをしっかりと握ったままのあの腕は。
素人が見ても助かることなど無いと分かる程に、絶対の損傷
口が渇いて声が上手く出せない。
名前を呼ぼうにも、頭が真っ白で、上手く呼べない。
頭を埋めるのは、彼らの名前。
ぱらぱらと降る小石の音の中で、面識のある者が動かなくなるという、恐怖。
「――」
胸につっかえる名前をの代わりに零れたのは、ごめんなさい、という言葉だった。
自分は護衛なのに。と己の役割を反芻する。
彼らが調査や救助に専念できるよう、危険から遠ざけるべき存在。なのに、目の前の現象に気をとられて防御行動に遅れがでた。それが原因で招いた結果だというのは、考えるまでもない。
守らなくてはいけなかったのに。
手から傘が滑り落ちる音が、どこか遠くに聞こえる。
ごめんなさい。
衝撃で涙もでない。
ただただ酷い後悔が、彼女の中に沈む。
そうして目の前の光景から目が離せなくなった彼女の耳に、小さな音が聞こえた。
その声で、はっと我に返る。
姿は見えないが、断片的な音は確かに聞こえる。気のせいではないらしい。
「……?」
さっきの衝撃波の主か。はたまた他の誰かか。
警戒心を少しだけ取り戻した霧緒は、音の出所に耳を澄ます。
「……後ろ?」
その音は、自分の後ろから聞こえた。
後ろにいるのは、ワーディングに倒れている仁藤だけだ。
もしくは外から誰かが来たのだろうか? いや、外では誰も見つけられなかった。と、すぐさまに可能性を否定する。
声の主が誰であれ。これ以上、彼らを傷つけるわけにはいかない。ここで動けるのは私だけなんだから。と、言い聞かせるようにして、転がった傘へと指を伸ばす。
冷えた血液が染み込んだ腕に、もう痛みはない。
ぎゅっと柄を握りしめて、振り返る。
そこにいたのは、やはり仁藤ただ一人。
「――」
「仁藤、さん?」
その音――声は、彼のものだった。
彼の口が、動いている。
とてもゆっくりだけど確かに。断片的だが、言葉のようなものが漏れていた。
聞き取ろうと耳を澄ますが、マスクが邪魔をして、聞こえそうなそれも不明瞭だ。
マスクさえ外せば、きっと聞こえるんだろうけど。と霧緒はしばし考える。
外したら、ワーディングの効果がさらに強く表れたりするのだろうか。だめならもう一度マスクをつけてあげれば大丈夫だろうか。
そんな事をちらりと考え、意を決してマスクに手をかける。
そのままマスクを持ち上げると、彼の頬にぱらりと小さな欠片が降る。
「仁藤さん?」
どうしましたか、と声をかけても彼の反応はとても鈍く、状況を認識できていないまま、茫洋とした眼差しを中に向けている。
だが、マスクを外したことで声は多少ではあるが聞き取りやすくなっていた。
「――たすけ――と……だれ――生き――はず……」
とても小さくて、断片的な声だけど。
早く助けないと。誰かが生きているはず。
彼は倒れても尚、そう言っていた。
「そうだ……ここで、立ち止まってちゃ、だめですよね」
焦点の合わない彼の目に、ぽつりと呟く。
ここで後悔に沈んで、同じ事を繰り返すなど、最もやってはいけないことだ。
一人でも守るべき人がいるならば。
自分はどれだけでも、立ち上がらなければならない。
「――そうですよ。他にもだれか。誰かこの奥に居るはずです!」
だから一緒に、先へと進みますよ! と霧緒は声を上げる。
このワーディングの中。彼に対してかける言葉の全てが届かないのも、それで彼が反応する事が無いという事も、全て覚悟の上だが。
それでも、希望を捨てちゃいけないと、声をかけ続ける。
その覚悟の通り、声をかけても彼の反応は無いに等しいものだった。
傷もなく、生命の危機もなく。極めて当たり前に無力化されている。
「――」
どんなに声をかけてもこれ以上返事はない。
そう悟った霧緒は、そっと彼のマスクを付け直す。
「これから、どうすればいいかな……」
誰にともなく漏らした声を追う様にして、考える。
警戒すべき状況はまだ脱していない。
しかし、あの一撃以降何もない。
あの一撃の主は、自分たちが倒れたからどこか別の場所へ行ってしまったのだろうか。
そうと仮定すれば、今現在、ここはいくらか安全かもしれない。
「でも」
それじゃぁ、きっとだめだ。と霧緒は呟く。
類を見ない強力なワーディングと、無差別と言える広範囲の攻撃。目的も姿も全く見えない。目の前の危機が去ったからと言って、この状況を放っておくのは、助かるべき人達が助からなくなってしまう可能性を増やすだけだ。
奥には人が居るかも知れない。
そして彼らは動けない。
それならば
「私が、この原因を突き止めなくちゃ」
推測でしかないけれど、このワーディングが張られた直後にさっきの一撃が襲ってきた。二つの時間差から、これらは同一のものが原因だと考えて良いだろう。
それに、と通路の先に視線を向ける。
まっすぐに伸びている通路。それは暗闇に飲まれる前に、左側へと折れている。その先がどうなっているのか分からないが、自分がその姿を見ていない以上、ワーディングや衝撃波の主はこの奥に居るはずだ。
「それにしても、ちゃんと通路みたい……」
思わずそんな感想を抱く。
建物というのは、地震や隕石という大きな衝撃で崩れたとして、こんなにうまい崩れ方をするんだろうか?
「……?」
ふと、己の考えに違和感を感じて考え直す。
おかしい。一体何が?
この通路が綺麗なこと?
地震や隕石で、こんな崩れ方をするはずがない事?
いや、そもそもここは――。
「そうだ……。ここは落下地点のはず」
地震ならまだしも、何かが墜落した中心地なのだ。原因となった石が落ちているなら不思議はないが、こうして建物が残っている事自体がおかしい話。
「ワーディングの影響範囲と、この建物。それからあの攻撃――」
これらを突き詰めれば。きっと何かに繋がっているはずだ。
原因を突き止めて、元凶を断つ。そうすればこれ以上の被害が出ることは無いだろう。
「よし」
さっきまでの後悔を奥底に沈め、霧緒は傘を握りしめる。
「まずは……仁藤さんを安全なところへ運ばなくちゃ」
この状況でどこが安全、とも言えないが。
少なくともこの中よりは外の方がいいだろうと判断し、肩で支えるようにして、仁藤を起こす。無力化された青年の身体は自分よりもずっと大きく、重い。その重みを感じながら、霧緒は明るい方へと向かう。
外に出ればきっと、姿が見えなかった二人ががいるはずだ。あの物音にも関わらず二人が姿を見せないのは、このワーディングが外でも効果を発揮しているからかもしれないが、それでもたった一人でここに残していくよりはずっといいはずだ。と彼女は仁藤を連れて外へ出た。
相変わらずの風と風景が広がるそこには、やはり時間に置いていかれたかのように動きを止める二人が居た。
これから入ろうとしたのだろう。二人とも入り口の先を見据えるように立っていた。
霧緒は彼らを通り過ぎ、少しだけ離れた場所に仁藤を寝かせる。
周囲を一度だけ見渡して何も居ないのを確認して、ぱたぱたと通り過ぎた二人の元へと駆け寄った。
「私はこれから、もう少し奥の様子を見てきます。なので、後を――よろしくお願いします」
聞こえてるかどうか分からないけど、お願いしますね、と言い足し、ぺこりと頭を下げる。それから一度だけ駅の方へ足を向け、思い出したように仁藤の元へと駆け戻った。
ずらしてしまっていたらしいマスクの位置を直し、彼の様子を伺う。
さっきの呟き以降、彼が何か話す様子はない。
「辻さんと葉山さんに、私が中へ行くことを伝えてあります……気がついたら救助を呼んで、ここで待っていてくださいね?」
きっと中は、危ないですから。
そう言い残した霧緒は、再び入り口の前へと立つ。
彼らを守るために、その元凶を断たなくちゃ。
「防御に徹してばかりじゃ、だめだもんね」
と彼女はヘッドホンのコードを押さえて一つ頷く。
改めて足を踏み入れると、通路の奥から物音が聞こえた。
何か争うような、複数人の足音。
時折混じる、剣戟の音。
「――急がなきゃ」
気合を入れるように帽子をきつく被り直し、彼女は駆け出した。
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