5
少女が駅構内へと足を踏み入れ、猫が檻から放たれた頃。
霧緒が率いるUGNの救助隊も、中央に位置するこの建物へと辿り着いた。
他の部隊は外側に近いエリアで要救助者を捜索したり、その場で体調を崩して休憩を余儀なくされたりしているという。
そんな状況の中でも、霧緒がいる部隊はみんなまとまって駅であろう場所を目指していた。
車で来たところが駅に近かったのか、そう時間もかけずに小高い建物らしきところへ辿り着いた。
「ここが、駅……でしょうか」
目の前の建物は、瓦礫が積み上がって前衛的な作りになっており、「建物」というよりは「建造物」というイメージを与える。
ビルというより、ストーンヘンジのような、石組みのそれだ。
「本来なら南口付近に当たるはずだ」
建物を見上げて真剣な面持ちの仁藤に並び、GPSを覗きながら素っ気なく答えた青年は、辻といった。
少しだけ日に焼けた髪が、難しい顔をした彼の印象を少しだけ軽く見せる。
辻はGPSから目を離し、「おい」と仁藤に呼びかけた。
「仁藤。気圧されてる場合じゃない」
「……あ、あぁ。うん。ごめん」
そう答えたものの、仁藤の顔色は万全とはいえない。
それは他の隊員達にも言えることだったが、その中でも彼は特に、この状況に対しての思いがあるようだった。
「大丈夫ですか?」
具合が悪ければ、無理しないでくださいね、と声をかけると、仁藤はありがとうございます、と少しだけ表情を緩める。
「大丈夫です。私がここで吐いてたら、そのせいで死ぬ人がいるかもしれない。だから、ここで立ち止まるわけにはいきません」
だから先へ。と彼は急かす。
霧緒はそうですね、と一つ頷いて改めて周囲を見回した。
「建物は……他に比べて形を残していますし、もしかしたら誰かいるかもしれません」
この辺を重点的に探してみましょうか、と提案をする。
そうですね。と頷く隊員達。
「ここなら、人が見つかるかもしれない」
「質問。建物の中も?」
ひらりと挙手をするのは三上。
「まずは外を、と考えています。ただ。あまり散開してしまうと何かあった時が大変ですから、見える範囲にいてくださいね」
そうして霧緒は改めて隊員達に向き直った。
「では皆さん。辛いとは思いますが捜索を始めましょう。くれぐれも、体調には気をつけて」
それではよろしくお願いします。という言葉とともに、ぺこりと一礼をすると、彼らは「了解」と頷いた。
「深堀さん」
この声は、と振り返るとそこには仁藤をはじめ六人の隊員が居た。
「どうかしましたか?」
「やはり、中の様子を見に行ってはと思うのですが」
「この建物を見る限り中はまだ崩れていないところがありそうです」
もしかしたら生存者が見つかるかもしれません、と彼らは言う。
「うーん。そうですね。……では」
と、一度言葉を切って、霧緒は隊員達の顔をぐるりと見回した。
「体調や気分の優れない方は居ませんか?」
言ってしまえば顔色は全員芳しくない。
だが、誰一人としてそれに申し出る人は居なかった。
「本当に、大丈夫ですか……?」
「大丈夫です。行きますよ」
誰がそう答えたのか。その声に全員が頷く。
霧緒はそうですか、と困った顔をした。が、その表情をすぐにしまい込んで背筋を伸ばす。
「では、私が先に入りますから、着いてきてくださいね」
傘を持つ手にに力を込めて、先頭立った霧緒は、一つだけ息を吐いて入り口をくぐった。
大きな入り口のようなに口を開けた瓦礫の隙間をくぐれば、そこはまだいくらか形を残していた。
鉄骨と板が微妙なバランスで組みあがった通路のような空間。足元が外よりも安定している、とよくよく見れば、そこにはレールの残骸があった。
「あぁ、この辺って……」
ぽつりと呟きながら浮かべた記憶にある南口付近には確か、広いホームがあったはずだ。
この駅は上下に入り組んだ構造で、霧緒自身未だに全体像を把握できていない。地図があるとはいえ、この惨状では使い物にならないだろう。
だから迂闊に進むわけにもいかない。
この辺ならまだ大丈夫かな。
そう判断を下した瞬間。
建物全体を覆う重圧を感じた。
世界が退色したような、モノクロに染まったかのような感覚。
身体にじわりと染みこむそれは、オーヴァードにとってはとても馴染み深い。
「《ワーディング》!? 皆さん、下がってください!」
感知しただけでも広範囲かつ強力なワーディングだと判断した霧緒は、傘を強く握って隊員に指示を飛ばす。
彼らは皆、対ワーディングマスクをしているはず。後ろに居るであろう彼らを庇うように周囲を伺いながら、霧緒は違和感を抱いた。
――返事が、ない。
ワーディングが消えてないこの状況で気を抜くわけにはいかないが、彼らの声どころか、動くような物音も聞こえない。その違和感を頼りに、周囲を警戒しながらも思い返す。
倒れている訳ではない。外に出て行くような足音もしなかった。
それじゃぁ、私の後ろでは一体何が起こっているの?
背後に警戒は残しつつ、そっと後ろ伺って。
「あ、あれ……?」
思わずそんな声を上げた。
物音はしないが、そこに彼らは居た。
入る直前に確認した順番のまま、皆が一様に足を止め、そこに突っ立っている。
ひとり、ふたり。
まだ全員が入ってきていなかったのか、四人。
まるで、そこだけ時間が止まったかのような錯覚を覚えてしまうが、それは違う、と浮上した考えを追い出す。
「仁藤、さん?」
一番近くに立つ彼へ声をかける。
返事は、ない。
近寄って様子を見ると、意識を失ったりしているわけではないとすぐに分かる。
呼びかけにも、若干だが反応がある。
しかし。それが遅い。恐ろしいまでに鈍い。
彼らの周りだけ、時間が引き延ばされたかのように。緩慢という言葉でも足りない位に彼らの反応が変化していた。
「一体何が……」
と、呟き、可能性の一つに思い当たる。
「……《ワーディング》が、効いてる?」
それは、未だ周囲に圧力を与え続けてるこの感覚。
彼らの反応は、一般人が示すそれに良く似ている。
だが、彼らが装備するマスクはワーディングを無効にするもの。
防御は万全のはず。と、すぐさまそれを否定する。
それならば何故。
そう思案しかけた霧緒は、不意に嫌な予感に襲われた。
「……っ!?」
――このまま立ってたら潰される。
そんな。妙なまでにはっきりとした確信。
これまでそんな気配無かったのに!
視界に映る姿もないが、反射だけで持っていた傘を構える。手が届くところに居た仁藤の腕を力一杯引きながら勘を頼りに、手首のスナップだけで開いた傘を建物の奥へ向け。開ききった傘の性質を硬質なものへと変化させる。
が。
傘が変質しきるよりも早く、ごうっ! と音を伴う衝撃が傘を支える腕へとのし掛かる。
「く……っ!」
片腕で傘を支え、背に仁藤を庇う霧緒がその衝撃をすべて受け止められるはずもない。
手の傘はあっという間にはじき飛ばされ、少女と青年もろとも後ろへと吹き飛ばされる。
瓦礫に背中から強く叩き付けられ、息が詰まる。
その衝撃で、落ちてきた瓦礫が、二人を容赦なく襲う。
そして。
瓦礫の隙間から霧緒が見たのは。
受け身もとれないままに吹き飛ばされ、ぐしゃりと潰れる他の隊員達の姿。
瓦礫の崩れる音と、たたき付けられた衝撃で詰まる呼吸。そんな中で確かに。霧緒は彼らの音を感じた。
名前を呼ぶ間も無かった。
守ることはおろか、手を伸ばす隙さえもなく。
彼女に落ちてきた瓦礫が、彼らの姿を遮った。
身体にずきりと走る痛みが、暗転しかけた意識を叩き起こす。
衝撃で意識が飛びかけたが、気を失ったわけではないらしい。
その時間が一瞬だった事を証明するように、小さな欠片がぱらぱらと零れる音がする。
「痛……ぅ」
吹き飛ばされた衝撃でぶつけたのか、背中には軋むような痛み。身体を支える腕は、袖に血が染みこんでいるのも見て取れる。小さな傷ではなさそうだが、出血は止まり始めているようだった。
最低限動けることを確認して振り返る。悲鳴を上げる身体を無視した先には、相変わらず時間から置いて行かれたかのような彼が居た。
いくつか乗っかっていた小さな石をどけて、外傷の確認をする。どうやら怪我はないらしい。
「よかった……無事だ」
安堵した霧緒は安堵の息をつく。
だが、安心はできない。
ワーディングは未だ強い圧力をかけ続けているし、他の隊員達の救助もある。
最後に見た彼らの姿から、無事であるとは思えない。
助かるならば急がなくては。と、近くに転がっていた傘を拾い上げて立ち上がる。
そして仁藤に背中を向け。
「――っ!」
思わず叫びそうになる口を押さえた。
そこには、色鮮やかな赤を纏った隊員達が、圧力に潰され、四肢を千切られた無残な姿で横たわっていた。
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