4

 あれから生存者を一人も見かけることなく、みあは駅であろう建物の中を歩いていた。

 駅の中だというのは確かだろうが、ここが一体どこなのかはよくわからない。

 目印になったものといえば、倒れても尚飼い主を待ち続ける犬を、随分と前に見た位だ。

 そうして歩く構内はあちこち崩れてはいるものの、絶妙なバランスで瓦礫が組み合い、頭上が完全に倒壊するのを防いでいるようだった。

「それにしても……変な形で残ってるわね」

 外に比べて大きな瓦礫。

 平坦な足元。

 みあの膝より低い塊がほとんど見つからないこの場所は、外のように死体を隠せていない。

 瓦礫の影から、曲がり角の向こうから。

 いくらか原型を留めた彼らの姿が見える。

 もしかしたら生存者がいるかもしれない。

 救助に来た人がいたらそんな希望を抱けそうね、と彼女は辺りを見渡す。

「でも――希望は希望のままで終わりそう」

 そんな言葉が出る程に、生きている者は見当たらない。惨事から数時間が経過している今、その確率はとてもとても低いのだと言い聞かせるように、彼らは息絶えた様を見せつける。

 そんな彼らの横を通り過ぎようとした彼女は、視界の隅で捉えたそれに足を止めた。

 それはちょっとした違和感だった。

 気になるままに近寄って見下ろしたのは、乾きかけた血の海で倒れ伏した若い男性。

 少し前までは生きていたと思われる程に傷の少ない身体だったが、その首は致命傷を負っていた。

 鋭利なその傷跡が、瓦礫で潰された怪我ではないというのは、一目瞭然。

「これは人為的なもの、かしら?」

 そう言いながら辺りを見渡すと、同様の傷を持つ者が他にも居た。

 頭が無い者、腕が無い者、身体を服ごと裂かれた者、壁に叩きつけられたかのように潰されて座りこんだ者。

 みあは見下ろしていた男性から離れ、少し先に転がっていた死体の元へ行く。

 一つ覗いては、次へ。そして次へ。

 そうしていくつかの死体を覗き込んでは傷口を確認する。

 ほとんどの死体は瓦礫や衝撃によって傷を負ったものだったが、一部は明らかに異なる理由で息絶えていた。

「これは、ただの事故とかではなさそうね」

 一通り検分をした彼女は辺りに気を払いつつ、首の無い女性の元から立ち上がる。


 ――と、その耳に微かな物音が届いた。


 生存者の声ではない。助けを求めるような、力無い音でもない。

 乱れた足音。それも複数。

 距離はあるが、そこまで遠くないそれは、たちまち争っているかのような物音へと変化する。

「へぇ。……少しは楽しくなってきたかしら?」

 と、幼い口元が楽しげに笑って、音のする方を見遣る。

 音源は、この奥ね。と、方向を特定した彼女は、迷い無く足を向けた。


 幸いにして、この身体は瓦礫の影に隠れやすい。だが、小柄で幼いそれは脆い身体でもある。音の原因が分からない以上、余計な危険は避けておくに越した事はない。

 身を潜め、音を確認し、次の影へ移動する。

 そうやって近付くと、いつの間にか争うような物音は聞こえなくなっていた。

 それに気付いたみあは影に身を潜めたまま辺りを伺う。

「さっきといい、今といい……何か変ね」

 眉を顰めて耳を澄ます。

 さっきまであれほど聞こえていた音は無かったが、それでも音の主がどこかへ移動するような気配はない。

 何が起こっているのかは、ここからでは積まれた瓦礫が視界を遮っていて分からない。移動すれば確認する事も可能だが、もし、そこまで移動するならば、間違いなく相手に自分の姿を晒す事になる。

 ふむ、と彼女は思案する。

 そこに留まっているであろう何かは、自分の興味を引く対象である可能生が高い。

 万が一違っても、きっとなんとかなるだろう。

「この身体は幼いけど、その分小回りは効くわよね」

 そう呟いて、すう、と息を吸う。

 空気を喉に通して、気道の確認をする。

「埃っぽいけど、まぁいいか」

 この空気にしては上等だわ、と彼女は幼い口元に笑み乗せる。

 そうして一歩、影から頼りなさげに一歩を踏み出す。

 肩を縮め、不安そうに視線を彷徨わせ。状況に怯える年相応の表情を浮かべた少女は、恐る恐る歩き続け。

「ひっ……」

 少し広くなった空間で小さな悲鳴をあげて立ち竦んだ。


 無機質な瓦礫は、ペンキをぶちまけたように赤黒い液体を滴らせている。

 そこに倒れ伏しているのは、複数の人間と思しき身体。老若問わずに散らばるそれらは全員が切り裂かれたような傷を負い。一つとして頭を持つものは無かった。

 散らばる四肢と、転がる頭。

 その中心に一人。

 たった一人だけ、彼女の方に首を巡らせて立っている人物が居た。


 体格を隠す黒いローブに、背中まである黒い髪。

 赤くて小さな口と白い肌。ローブでは隠しきれない背丈と顔形から女性かという予想はできたが、目の色は装飾が施された仮面で覆われていて分からない。

 その仮面のせいで表情も読めないが、少なくとも殺意は感じられない。


 だが。

 袖から覗く二口の刀を濡らし、足元に落ちる赤は、足元に広がるそれと共にローブの裾に鈍い光沢を与える。

 たった一人の生存者。

 この状態を作り上げたのは、裾と獲物を赤に染めて立つ、この人物に違いなかった。


 強張った表情で立ちすくむ彼女に、ローブの人物は一歩近付く。

 その行動に、みあも一歩身を引く。

 刀を下ろしたままとはいえ、仮面の奥から感じる視線に一層怯えた表情を返すと、彼女の口が動いた。

「この光景を、怖がるのですか? “書き記す者”」

 静かに通る、薄氷に投げた鈴のような声。

 表情は動かなかったが、その声には多少の呆れが波紋のように広がる。

 彼女が口にした名に、淀みはない。

 それは。目の前の少女が「書き記す者」で有ることに寸分の疑いも無い証明。


 ――彼女は、自分の正体を知っている。


 それなら隠す必要もないと判断したみあは、へえ、と感心したように恐怖の色を笑みへと変えた。

「あたしの事が分かるんだ」

 彼女は答えない。

「新しい身体だし、そうそうバレるものじゃ無いと思ってたんだけど――貴女、何者?」

 鋭い視線を笑みと共に向ける。

 彼女はそれに答えようとしたのだろうか。小さく口元が動きかけた。

 が、すぐさまそれはきつく結ばれ、かちゃ、と小さく鍔が鳴った。


 警戒。戦闘態勢。


 みあがその理由を推測するよりも先に。

 ごきり、という嫌な音がした。

 

 目眩にも似た浮遊感と、地面に叩き付けられる衝撃。

 頭を抉られたような痛みと、頬に感じる小さな瓦礫の角。

「痛ぅ――」

 詰まりかけた息を吐き出し、起き上がろうとした彼女を間髪入れずに襲ったのは、腹部への一撃。

 小回りは利くが、この身体は小さく、とても脆い。頭を割られ、あっけなく吹き飛ばされ。彼女の意識が暗転しかける。

 通常なら致命傷となるはずだが、オーヴァードとして目覚めた今、その様なことはない。

 脆くはあるが、それを上回るだけの回復力を持つその身体は、砂埃と小石を巻き上げながら、黒いローブの背後へと転がる。

 ローブの背後で頭を押さえながら立ち上がったみあは、手にべったりとついた血の量に少しだけ眉をひそめ、息をついた。

「あーあ。この服、もう着れないわ。お気に入りだったらどうしてくれるのよ」

 べっとりと髪を汚した血液は、傷が塞がった証明のように肩へと流れ落ちる事はなかったが、元々傷だらけだったコートは、今の一撃で袖がちぎれてしまいそうだった。

 肩へ落ちそうだった雫を軽く頭を振って払い落としながら彼女はぼやき、血と傷で着るに耐えられなくなったコートを脱ぎ捨てる。

「それに、子供には優しく、って教えられなかったのかしら……って、何よアレ」

 振り返った先に居たのは、白い人型のシルエットだった。


 ずんぐりとした、人型としか言えない何か。

 真っ白な全身。のっぺりとした形。顔にあたる部分には、淡い色の何かが見えるのみ。少なくとも、顔とは言えない。

 見れば見るほど、よくわからない。


「ちょっと。アレ、貴女の知り合い?」

 少女の着地から疑問そうな表情の変化まで、ずっと視線を向けて居た彼女は「えぇ、よく知って――」と頷きかけた言葉を切って身体を左へと傾け、刀を握り直す。

 直後。

 真下へ吹き抜ける、白い影と風圧。

 いつの間にか現れたもう一体が振り下ろしたその腕は、真直ぐに彼女も狙う。が、あえなく空を切った腕が瓦礫をはじきあげ、躱しざまに振るわれた刀によってあっけなく切り裂かれた。

 切り裂かれて倒れた白い異形は、地面へと伏せる前に蒸発するような音を立てて霞のように消えた。

 瞬間。世界が白黒に塗りつぶされるような、――みあにとってはある意味とても馴染み深い感覚が辺りを覆った。

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