3
その音と揺れがどの位続いたのか分からないが、丸くなっていた背中に、少しばかり冷えた空気が流れた。
リンドが顔を上げると、足音と揺れも止まった。
いくらか薄暗いのは、影に入ったかららしい。
と、いうことは。と、視線を巡らせれば、そこは先程まで遠くに見えて居た一際大きな山が見えた。
「――着いたぜ。中心。ここが“元”渋谷駅、だな」
あくまで地図上だが、ハチ公口あたりのはず。と、GPS片手に声をかける彼もまた、リンドと同様に足を止めて目の前の山を見上げていた。
瓦礫が積み重なって前衛的な建物の様にも見える、元渋谷駅と言われたその山。元々大きな建物だったからか、はたまた偶然か。周囲に比べても形を残している方だった。
とはいえ。それこそが彼等にとっては疑問だった。
「おい、なんだか妙じゃないか?」
ここだけ建物があるみたいだ、と呟くリンドに、そうだな、と声が返る。
「……まあ、建物自体がデカかったからかも知れないけど……それを考慮したって、だ。落ちた現場に建物があるのも妙だよな」
だって、グランド・ゼロだぜ? と平坦な所を見つけて檻を置く。
「外側の方がまだ、『らしい』よ」
「ふむ……お前、ここに隕石が落ちたと言ったな」
現状との差異を確認するような猫の声に、司はそうだな、と答える。
「だが、ここはこんなにも不自然な状態だ」
「あぁ」
「で。お前の上司はここで何をしろって?」
「猫の観察」
「……お前。ホントに馬鹿だな」
リンドは呆れ果てた声で感想を述べた。
隕石の墜落地点で猫の観察。
自分の存在と、これだけの不自然な状況という要因はあるにしても、だ。とリンドはヒゲを撫でる。
「お前、その理由とか聞いてないのか?」
その問いに、返事は無かった。
首を巡らせると、彼はしゃがみ込んで凹んでいた。その背中は、なんかさめざめと泣いている。
「おい。どうした。聞いてるのか?」
「……うん。こんなにも猫に馬鹿にされる日が来るなんて思ってなかっただけ」
「……猫を馬鹿にすると痛い目見るぞ?」
そう言いながら爪を檻に引っ掛けると、そーだね、という軽い声と共に檻に手がかけられる。立ち直りが早いのか、それも計算の内なのか。どうも判別がつかない。
上手い具合に話をはぐらかされたような気もするが、今大事なのはそこではない。
「で。とりあえず外、出る?」
「出してくれるのか?」
それなら遠慮はしないぞ? と付け足すと、鍵を開けようとしていた手が止まった。
どうやら開けてもいいか思案しているような顔が一瞬だけ見えた。が、それはすぐさま真剣な顔になり、自分にまっすぐ視線を向ける。
「赤身をたらふく奢るから、逃げずにいてくれるとすごく助かる」
「お前、つくづく……」
開けてもいいかどうか、ではなく、交渉手段の思案だったらしい。
本当に、らしくない。と、ため息が漏れる。
「分かった。逃げないから出してくれ」
そういうと、戸は素直に開いた。そろりと前足を地につけながら顔を伺うと、彼と目が合う。
なにか思惑があるような感じはしない、純粋に自分の行動だけを待っているそれ。
最初に覗き込んでいた時と同じ目だ。と、リンドは思う。
「――礼は言わないからな」
視線を外して、檻の外へと踏み出す。
駅、という文字の一部だと推測できそうなプラ版に足を乗せて目の前の建造物を見上げる。と、不意に世界が圧し掛かってきたかのような感覚が襲う。
リンドにとって初めてではないその重圧は、あの時と――夢の中と変わりなくリンドの感覚を塗りつぶそうとする。
目を瞑り、少しでも振り払おうとするが、ふらふらとよろけるばかり。
目の前の人間が何か言っている。
よく聞こえない。
景色はノイズのように古びていく。
この感覚の終着は何処か――死か、暴走か、と脳裏をかすめたその時。
「――リンド!」
ノイズの向こうに見えた駅の内側から、聞き慣れた声がした。
叫ぶようなそれは、自分の名前。
その声は、よく知った少年の声。
「ユウキ!」
思わず叫ぶと、景色は埃っぽい空気に掻き消された。
戻ってきた景色の中で、声の元をせわしく探すが、辺りに広がるのは相変わらず瓦礫の山ばかり。
少しでも少年の影を追おうと駆け、背丈ほどの塊を飛び越える。と、そこには入り口だと言わんばかりの隙間が目の前に大きく口を開けていた。
「……まさか、この奥に?」
聞こえたのは確かに有樹の声だ、と足を止めて訝しんでいると、軽い音で着地する靴の音がした。
首を捻らせて見上げると、隣に着地した同行者が、不思議そうな顔をしてこっちを見ていた。
「呻いて叫んだと思ったら突然駆け出したりして……どうした?」
「どうしたも何も。お前、あの景色が見えなかったのか!?」
問いかけに彼は景色?、と首を傾ける。
「うーん……それ、お前にしか見えてないんじゃないか?」
「なんだって……」
あんなに強烈な衝撃なのに、と納得いかないまま視線を戻す。
ぼっかりと開いた瓦礫の隙間。
奥は薄暗く、深く続いているように見える。先程の様な重圧はないが、まだその気配が消えた訳ではない。
奥から感じる何かが、ぴりぴりとヒゲを引く。
「ここに、何かあるのか……?」
「この奥? ……まぁ、道は続いてそうだけど何それ。猫的な何か?」
そんなものなのだろうか、と落ち着かないヒゲを軽く弾くも、そんな事した所でその感覚が取れる事はない。
「なぁ、あの中に行って見ないか?」
「おう、お前が気になるならついていくぞ」
何処まででもね、と軽い返答をしながら、司は歩き出した灰色の背中を追って、一段高い瓦礫に足をかけた。
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