SCENE2

1

 少しだけ小高くなった瓦礫の端に、一台のバンが止まる。

 砂埃が収まりかけた頃に開いたドアから降りた人は皆、誰もが同じ反応をした。

 絶句、と呼ぶに相応しいそれは、目の前に広がる惨状が彼等の予想以上だったことの表れだ。

 辺りに広がるのは、噎せ返るような大気と臭いが立ち込める、瓦礫ばかりの荒野だった。

 深く積もる瓦礫は、本来あるべき人々の姿を覆い隠し。

 あたりに立ち込める熱気は、春を超えたばかりの暦を忘させる。


 誰もいない。

 声もない。

 動くものもない。

 なにも居ない。聞こえない。


 物音は吹く風とそれに転がされる砂の音。

 車中からその景色は見えていたが、実際に降り立つとそれは急速に実感を伴う。

 それは、「災害現場」という言葉から想像していたよりもずっと。大惨事と呼ぶのを思わず躊躇いそうな程に静かだと、霧緒はそんな感想を抱いた。


 記憶の中では、平日でさえ喧騒と人でごった返し、まっすぐ歩く事すらままならない土地であったはずだ。

 それが今や、人どころか建物までまともに見つけることができない。

 建物らしいものといえば、離れた所にぽつりと見えるビルの残骸位。砂埃と煙で霞んでいなければ、もしかしたらもっと遠くに何かあるのかもしれないが、今この状況でそんなものは考えても仕方がない。と、のし掛かった実感に圧倒されかけた霧緒は本来の目的を思い出した。

 自分がここで気圧されてはいけない。護衛は彼等に降りかかる危険に対して最も気を配っていなければならないんだから、と軽く頭を振る。

 報告されたというワーディングは感じられないが、いつ何が起こるか分からない。

 気分を悪くして膝をつくなんて以ての外だ、と言い聞かせるように踏み出した靴裏に返ってきたのは瓦礫を踏んだ足音と、不安定で硬い感触。

 この足元も地面ではなく瓦礫なんだ、という認識とともに靴先に視線を向け、霧緒は進めようとした足を止めた。

 大勢の人で賑わう街。平日の昼間であれ、それは変わらないはずだ。今日だけが例外なんてこと、あるはずがない。


 それならこの現状は何だろう?

 本来聞こえるべき声、音、見えるべき姿、影。

 それらは何処へ行ったのだろう?


 答えは、この事実から容易に想像ができる。

 全て、この瓦礫の下なんだ。

 そこまで考えて、そのイメージを振り払うように首を振る。これ以上考えては、本当に進めなくなってしまう。

「これで……生存者を探すのは難しそうですが……」

 いるといいな、と小さく呟く。

 足下から見渡せる限りまで絶望的な景色だが、希望だけはなんとか繋ぎたい。

 その為には、進むのがきっと最善手。

 遠くに見えたビルの残骸。あの辺りまで行けば、ここまで埋め尽くされてはいないかもしれない。

 霧緒は傘を抱え直して一つ頷くと、ポケットからヘッドホンを取り出した。

 任務の時はいつもつけてる、真っ黒なヘッドホン。

 髪を掻き上げながら慣れた手つきで耳へとかけると、風の音が少しだけ小さくなる。

 本来ならミュージックプレイヤーなどに繋がるはずの端子部分は、丸めて上着の内ポケットへとしまった。

 よし、これで大丈夫。

 準備を終えて小さく気合いを入れた霧緒は、後ろに向けて声をかけた。

「皆さん。少し奥へ、行ってみましょうか」

 その声で、それまで微動だにしていなかった他の隊員たちは我に返ったようだった。

 対ワーディング用のマスクに覆われていて表情は見えなかったが、全員が呆然としていた事は容易に想像できた。

「そう……しましょう」

 だから、仁藤が口を開くまで誰も声を発せなかった位にそのショックが大きい事も、よくわかる。

 そんな中でも、隊員たちは彼の声をきっかけに動き出す様子を見せた。

「もっと奥には、助けを待ってる人が、いるはず……」

「そうだ、ここで立ち止まっていては……」

 それぞれが自分に言い聞かせるかのように、目的を再認識する。


 一人でも多くの人を助ける。

 その為に、進まなければならない。


 そう言いながら、ひとりふたりと前に進む隊員たちの中、仁藤だけが足を止めたまま動かなかった。

「仁藤、さん?」

 後ろに続こうとした霧緒は彼の様子に気づいて引き返し、いくらか高い顔を覗き込む。

「……なんで……」

 マスクの奥から漏れた小さな声と、厚手の手袋を握りしめる音。

 霧緒がその声を聞こうと耳元に手を伸ばすまでもなく。

「なんでこんなに静かなんだよ……」

 そう、聞こえた。

 悔しさを滲ませたその声に手を止めた霧緒は傘を抱え直し、「そう、ですね」と小さく返す。

 熱風のせいか、はたまたそれ以外か。理由はわからないが胸元に溜まる何かを小さく吐き出しながら、霧緒は視線を落とす。

 足元に広がるのは、元は渋谷を構成していたはずのものだ。

「ここは……嫌過ぎるほどに静かです。呆然とする気持ちは良くわかります」

 分かりますが、とぽつりと繋いで彼女は青年を見上げる。

 自分だって、いくつもの任務に当たってきたとは言うが、このような状況に慣れる訳ではない。今も、気を抜いてしまったらあっという間に動けなくなってしまうと、分かっている。

 だからこそ。

「……ここは私達がしっかりしなきゃいけない時ですから。ね」

 励ましにも何にもなりませんが、と困ったように応える霧緒に、彼はこくりと頷く。

 はい、と小さく聞こえた声はやっぱり無力感と悔しさに塗られていたが、少しだけ前を行く隊員たちに続くよう、歩き出す。


 少しでも自分達の行動が望みに繋がりそうな場所。小高く積もった、一際目立つビルの残骸へ。

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