5

「……おお。目を覚ました」

 黒い髪、軽く着崩した青いシャツ。覗き込みながらそれなりの感嘆を漏らしつつも、どこか興味が無さそうな目。

 その姿は、年齢も何もかもが有樹と一致しない。と、まだどこかぼやけた頭で、リンドは現状を把握する。

 見た事のない、金属製の小さな檻。

 鈍い光沢を持つそれは所々が曇り、ひんやりとした空気を漂わせる。

 それを囲むのは大量の小袋。それから、茶色い紙質の壁。

 どうやら、この中に入れられた状態で寝ていたらしい。

 では、ユウキは何処へ?

 まだどこかぼんやりとした頭で少年の事を考える。


「お別れを、しようか」


 思い出したのは少年の顔ではなく、そんな言葉だった。

 それは、リンドが少年に残した言葉。

 そうだ。ユウキとは暫く前に別れているはずだ。

 彼は自分を大切にしてくれたが、一緒に居れば居るほど、彼の身に厄介事を背負わせる事になる確率が高くなると、いつからか思うようになって。

 そしてある夜、眠る彼に別れを告げて外へと飛びだした。

 あの別れは確かに妙手であり、直後にFHに捕らえられた時は、自分の選択に安堵もしたはずだ。


 そうか、もう自分は一人だった。


 様々な事を一気に思い出し、先程の少年とのやり取りが夢であった事を認識する。

 ひどく気分が悪い。

 身体が少しばかり硬い感じはするが、体調からくるものではない。

 原因は、夢見とこの状況だ。

 これが気に入らないリンドは、様子を見ている人間に睨みつけるような目を向ける。

「不愉快だ」

「うっわ非道い。何それ。初めましての人に言う台詞?」

 拗ねるでもなく怒るでもない。ただ、率直なその言葉には何も言わず、リンドは視線を自分が入れられている檻に向ける。

「せっかく夢を見ていたのに」

「うん?」

「何でもない」

 そうか、と返したきり、彼は喋らない。

 訝しげに視線を上げると、なにをする訳でもなく、ただ自分を眺めていた。

 猫の習性が珍しい訳でもないだろうに。

 もしやこいつ、研究者か何かかと疑ってみるが、どうもその様な感じはない。研究対象というより、単純な興味で見ているようだ。

 まるで、初めて動物を飼った初日のような興味の持ち方だったが、彼がどのような組織の人間なのかは簡単に予想がついた。

「――お前もどうせFHの人間なんだろう?」

 気まぐれにそう言うと、彼は少しだけ眉を顰めた。

「いやまあそうだけどさ。なんか理不尽すぎねえかその判断」

 どうやら組織で括られるのはお気に召さなかったらしい。「まあ猫だからそんなもんなのかね」と独り言をいいながら頭を掻く彼に向けて言葉を続ける。

「とにかく不愉快だ。出て行ってくれ」

「いや、出て行ってくれと言われてもなあ」

 と。彼は一瞬だけ呆れたような表情をした。

「ここ、俺の部屋だしさあ」

「なんだと」

 言われた事をそのまま受け止めて目を瞬かせ、改めて辺りを見渡す。

「いつの間に……」

 なるほど、確かに檻の周囲を囲むのは緩衝剤とダンボールだ。

 見上げれば天井と電灯。

 遮られていてよく見えないが、この外には部屋の主だという人間の生活用具があるのだろう。


 捕らえられ、飼育室に押し込められていたと思えばダンボールでこの扱い。目の前の人間は、自分をそのような状況に置いた彼等と同じ組織の人間だ。

 これからどのような目に合わされるか分かったものではない。ますます不愉快だ。とリンドは彼を睨みつけて威嚇する。

「……お前」

「うわ。待て待て。そう怒るなよ」

 そう言って彼はリンドを宥めようと声を上げる。

「確かに本部の奴が生き物と生物を間違えてクール宅急便で送ってきたのは謝るけど」

 ぴたり、と威嚇の声が止まった。

「今、なんと言った?」

「え、謝るって」

「そこではない。その前だ」

「クール宅急便で送られてきた」

 改めて聞いたその答えに、リンドは続ける声を失った。


 クール宅急便とは。

 生物――ナマモノを送る際、それらが痛まないように使われるそれ。


 なるほど、檻は目を覚ましたその時から所々曇っていた。檻からはひんやりと冷気が漂っている。

 夢で感じた冷たさも、きっとこのせいか。

 状況を把握したリンドに、先程とはまた違った怒りが込み上げてきた。

「冬だぞ。凍死したらどうしてくれる」

「何。夏だったら許してくれたの?」

「……お前」

 思わず出た声は震えていた。それを抑えて目の前の人間を睨みつける。

「そこに直れ。引っ掻かせろ」

 そんな問題じゃない。と、周囲の冷気を味方につけ、これ以上ない怒気を込めて唸る。

「顔は避けてやってもいい。急所を差し出せば――」

 爪を立てて、檻を破らんばかりに威嚇をする。

 が、彼は怖がる訳でもなく「物騒だな、キミは……」と、どちらかといえば呆れたような顔で頬をかく。

「何をするか分からないお前の方が余程物騒だ。――兎に角、俺をここから出せ。こんな所に居たくはない」

 一刻たりともだ。と、檻に爪を立てながら、ここから逃げ出す算段を考える。

 不意をついて一撃。相手が怯んだらその隙に駆け出す。

 部屋の構造はわからないが、微妙に空気の流れを感じる。大丈夫、道はある。

 いつでも飛び出せるように身構えて、相手の反応を待つ。が、彼は一向に檻へと手をかけようとはしない。それどころか、こちらの威嚇も通用していないようだった。

 猫だと思って侮って居るのかもしれないが、それにしても反応がなさすぎる。

 訝しげな視線を投げかけると、ようやく彼は口を動かした。

「まあ確かにそらそうだよな。そこ、狭そうだし、居心地も良くなさそうだ」

 それは、この檻に居たく無いという訴えへの同意。予想から離れたその返答に、リンドは訝しげな視線のまま、彼を見上げる。

 ぶつかった視線を受けた目の前の人間は「たださ、」と肩をすくめた。

「逃げられると、俺、立場上ちょーっと困ったことになるんだよねえ」

「そんな事知るか」

「まあまあ、後でその檻からは出してやるから、とりあえず出かけようか」

 彼はあくまでマイペースに話を進める。

 この人間の役割は解らないが、テロ組織と名高いFHに所属しているのは明らか。そうである以上、この人間は組織から出される指示で動いるはずだ。だというのに、これまで自分を扱ってきた研究者やエージェントとは、何かが違った。

 違和感とも呼べるその感覚に、リンドの興味がほんの少しだけ動いた。

 こいつはきっと、いくら脅した所で通用しないだろう。それならこいつの話に付き合って、解放してもらう方が合理的かもしれない。

 リンドは深い溜息をついて感情を整える。

「……それで。どこに行くんだ?」

「ん。ちょっと隕石で壊滅した渋谷まで」

「…………」

 ちょっとそこのコンビニまで、といった調子で告げられた目的地に、リンドは思わず返す言葉を忘れた。

 告げられた言葉の内容は余りに大きすぎて、口調とはまるで釣り合っていない。が、口調以上に引っかかったのは、その内容。

 渋谷。

 あの地が隕石で壊滅したという。

 その内容を理解した瞬間、先ほど夢に見たばかりの駅がフラッシュバックする。


 多くの人が行き交うその景色の中には、別れた元同居人達の姿。三人とも足を止め、こちらに視線を送る。

 そして、真ん中に立つ少年がどこか寂しそうに微笑んで――。


「どうした? なんか具合でも悪いか?」

 現実に引き戻された。

「……いや。少し――」

 思い出していた。と、無意識に呟きかけ、「なんでもない」と首を振って言葉を切る。

 初対面の人間に話すような事では無かった。

「それで。何をしにいくんだ、その渋谷に」

 問いかけられた彼は、ふむ、と少しだけ間を置く。

「ぶっちゃけ俺もよく分からんから途方に暮れている所なんだよね」

「はあ?」

 ぶっちゃけるにも程がある。

「なんだそれは? お前は天然モノの馬鹿か?」

「うわ、猫にバカにされるとか生涯初の体験なんだけど」

「ウルサイ。馬鹿を馬鹿と言わずしてどうしろと言うんだ」

「えー……。まぁ、それはさて置きさ。上司の命令なんだよ。お前を渋谷駅に連れていって観察しろって。どうだ、途方に暮れるだろう」

 どうだ、と胸を張ってきっぱり言われても、リンドにだってどうしようもない。

 できるのは呆れて首を振る位だ。

「そのような任務を聞いて、それに従おうとするお前も相当だ」

「いやさー。命令に逆らっても良いこと無いのよね」

 ご飯とか食べないと生きていけないしさ、等と、リンドの呆れ返った一言にも、飄々と言葉を返す。

 なんとも掴み所のない奴だが、上司の命令を忠実に遂行する気は有るらしい。

「……まあ、いい。どうせ俺に選択権はないんだろう?」

「うん」

「そんな事だとは思っていた」

「まあ。嫌々でもいいからとりあえず付き合ってくれや。後で飯奢るから」

 な、と彼は気軽な調子で声をかける。

 それはまるで、友人に対するやり取りのようだ。

「ありがとよ」

 一匹狼ならぬ一匹猫となった自分にそのような扱いなど、と投げやりな返事をして丸くなる。

 ここから出て行けない上に、どこかへ連れて行かれると分かれば、猫にできるのはただ一つ。

 時を待つだけだ。

「着いたら起こしてくれ」

 目を閉じて暗くなった世界に、「おうよ」という返事と、檻の揺れ動く感覚が落ちる。

 しばしの浮遊感と不安定さの中、「ところで」という声がかけられた。

「飯奢るって……お前の場合、何を奢ればいいんだ?」

「マグロの赤身」

 目を閉じたまま、耳一つ動かすことなく答える。

「本マグロがいい。一度食べたが、絶品だ」

「トロとかじゃないんだ」

「トロは脂っこくて嫌いだ」

「ふぅん。本マグロ、な。了解した。後で魚屋行ってやるから好きなモン選んでくれ」

 その言葉に「あぁ」と答えつつ、意識の重さを感じる。

 次に目を覚ました時はきっと、目的地に着いている事だろう。

 

 落ちていく意識を感じながら、リンドは先程の光景を思い出していた。


 寂しそうな笑顔を浮かべる少年。

 それがヤケに引っかかった。


 ユウキがあんな表情をするのは、決まって夢にうなされた後だった。

 どんな夢を見ていたのか知らないが、そんな顔をする時は自分を抱きしめるようにして再び眠りについていたものだ。

 渋谷での彼はあんなに楽しそうだったのに、なんでそんな表情をしているのか。

 夢にうなされる少年の姿と、さっきの夢が重なって、重くなる意識に飲まれていく。


 そんなイメージ付きまとう、隕石で壊滅した渋谷。

 もしかしたら、隕石だけでは済まない何かがあるのかもしれない。

 

 そんな予感を最後に、リンドの意識は途切れた。

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