3:case 河野辺司

 隕石の墜落は、FHにも衝撃を走らせた。

 被害の大きさはもちろんだが、その落下を誰も予測し得なかったのは、奇怪に過ぎる。

 憶測と情報が錯綜し、皆がそれらに翻弄されて走り回る中、デスクに向かった女性はいつもと変わらぬ様子で一人のエージェントを呼び出した。

 

 数分の後。

 呼び出されたFHエージェントの少年、河野辺司はドアの前で足を止めた。

 スラックスにボタンをきっちりと留めた紺色のシャツ。短めに整えた黒い髪がかかる目でドアのプレートを確認した彼は、留めたボタンをひとつだけ外して小さく息をつく。

「今日は一体何の用なんだか……」

 何となく予想はつくけどさ、と小さくぼやきながらも、頑丈そうなそのドアに躊躇うことなく手を伸ばし、こんこんこん、とノックをする。

「どうぞ」

 と、ドアの向こうから、落ち着いた雰囲気を持つ女性の声がした。

 ドアに阻まれた余韻が消えるまでの短い時間の後。

 司はもう一度息をつき、そのノブに手をかけた。

 

 最低限の明かりで照らされたその部屋。

 視界に支障が出ない程度の明るさを持つそこは、どこか薄暗い印象を訪れる者に与える。

 執務席の椅子に腰掛けた組織のトップ――”プランナー”都築京香はいつものように笑っていた。

「……なんかすっげえ嫌な予感がするのは私の気のせいだと信じたいんですが。今日のご用件は何でしょうか、“プランナー”」

 何かを訝しがるような表情、明らかに不満や疑問を訴える声。

 しかし彼女はそんな文句に対しては何も言わず、「えぇ」とだけ頷く。

「貴方に一つ指令を与えましょう」

 うわ、前置き完全スルーだよ、という感想を表情に出すことなく、彼は続けて問いかける。

 昼過ぎの一報で慌ただしい中に任せられる指令だ。大方の予想はついている。

「……もしかして隕石絡み、とか?」

 呟くようなその言葉に、プランナーは「察しが良いですね、その通りです」と肯定した。

「貴方に一匹の猫を任せます」


 その猫を連れてJR渋谷駅へ赴き、その挙動を記録・報告すること。

 これが彼に与えられた任務だった。


「猫……ですか?」

 隕石絡み、と言ったものの、彼女が与えた任務はとても不可解なものだった。

 猫といえば。一般世間では癒し系気まぐれ動物として、犬とはまた違った人気を博すアレだ。

 その猫を連れて渋谷に行ってこい。

 いくら隕石で壊滅した場所とはいえ、そこまで行く手段がないわけではない。猫の挙動を観察することだって、見失ったりしなければ決して変な事でもない。

 一体彼女は何を思っているのか、という疑問と共に反芻した単語にも、プランナーは微笑んだまま「えぇ、猫です」と肯定する。

「猫と言っても――“カオスガーデン”の研究所で生まれた、非常に強力なEXレネゲイドを持つ個体です。高い知性を持っていますから、会話も可能ですよ」

「……そうですか」

 世の中喋る猫というのが実在するらしい。

 有機無機問わず、人間以外のものをオーヴァードへと覚醒させるEXレネゲイド。それが猫に知能を持たせ、会話までをも可能にしたと言う事のようだ。

 さすが「Extra」と、司は感想を抱く。

 そして、プランナーはその喋る猫を渋谷に放すと言う。レネゲイドに対する隕石の影響を見るのか、はたまた何か実験でもするのだろうか? と、その目的を考える。が、彼女が与える“プラン”はそのような簡単なものではないだろう、という結論に落ち着く。

 とりあえず自分は彼女の指示に従うまでだ。

 それによって何が起こるのかは分からないけれど。自分はそういう立場であり、これまでずっとそうしてきた。

「了解しました。では」

 と、司は任務に関してのまとめに入る。

「報告の際に使用する記録媒体の指定はありますか?」

「貴方が最も正確な報告が出来ると信じる方法を取ってください」

「猫の運搬に関して、何か注意点などは?」

「特にありません。ただ、レネゲイドの活動に反応して形状を変える合金を使用して、内側からの脱出を防ぐ檻に入れています。それから」

 プランナーは机上に置かれていた小さな端末を手に取り、差し出す。

「猫の体内に発信器を埋め込んであります。放してもこれである程度は追跡できるでしょう」

「それは、駅で実際に放してみた方が良い、と言う事でしょうか?」

 それを受け取り、省電力モードとなっている画面を眺めながら問いかけると、「貴方の判断に任せます」との一声が返ってきた。

 少し端末を操作すると、地図と居場所の座標の見出しが表示された。

 なるほど、これならいくら猫が気まぐれでも何とかなる。と、電波受信中のマークが小さく点滅しているのを確認してポケットへとしまい、もう一度彼女へ向き直る。

 これが最後の、今回一番の疑問だ。

「ところで」

「なんでしょう」

「本作戦で、猫を渋谷駅に運ぶ理由を。尋ねてもよろしいでしょうか」

 もしかしたら答えてくれないかもしれない。その時はその時だ。そう考えていた司の予想に反し、プランナーはあっさりと回答する。

「それは、私がある“奇跡”について確信を得るためです」

 その表情はいつも通りの笑顔だが、今回はこれ以上の質問を躊躇うほどの何かを感じる。

 いつも奥が読めない彼女だが、今回はそれ以上に読めない、いや、読ませないような――。

「……“奇跡”、ですか。それはまた――」

 ロマンチックですね、と言いかけた所で言葉を切り、軽く首を振る。

 なんというか。そんな単語、柄じゃなかった。

「何でもありません、失礼しました」

 これで現時点で聞くべきことは聞いた。後は言われた通りに任務をこなすのみ、と思った所で一番大切なことに気付く。

「そういえば、猫は今どこに?」

 渡されたものは口頭での任務内容と、ポケットサイズの受信機のみ。

 話に出てきた檻はおろか、猫の足音すらもない。

 いや、猫って足音無いけど。とりあえず猫、せめて檻がないと話にならないのではないか。

 檻があって猫が居ないとかもごめんだけどさ。などと考えながらも返事を待つ。

「すぐに貴方のところへ届けられるでしょう」

 大した間もなく、いつもと変わらぬ口調で答えた彼女は「他に質問はありますか?」と軽く首をかしげた。

「いえ、今のところはありません。……まぁ。もし他に質問がありましたら、後ほど連絡致します」

「よろしくお願いします」

 その言葉に司はひとつ礼をして、ドアの方へと向かう。

 と。

「河野辺 司」

 ノブに手をかけようとしたところで、名を呼ばれた。

「何でしょう、“プランナー”」

 伸ばした手はそのままに振り向いた司に、“プランナー”は任務を与える時とはまた違った笑みを浮かべて口を開く。

「私は、貴方を買っています」

 能力も、人格も、と彼女は淀みなく告げる。

 真っ直ぐに与えられたその評価。

 司がそれに驚いたのは一瞬。瞬きひとつの間にそれは困惑したような笑みへと変わる。

「あ、ありがとうございます」

 その礼に答えるように、彼女は目を伏せて言葉を続ける。

「本作戦については、全て貴方に任せましょう。必要と信じるあらゆる物を使い、正しいと信じる全てを信じて行動する許可を与えます」

 その言葉を受け取った司はしばしの沈黙の後、「了解いたしました」と静かに答える。

「そう、例えば百年の時を経てなお、貴方が正しく貴方である事を――期待します」

 薄暗い闇の中で都築京香は再度微笑み、退室する少年を静かに見送った。

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