2:case 深堀霧緒

 ■ case:深堀霧緒


 オーヴァードとレネゲイドウイルスに関わる組織のうち、特に大規模なものは、と問われれば、誰もが「UGN」と「FH」を挙げるだろう。

 UGN。ユニバーサル・ガーディアンズ・ネットワークは、オーヴァードと一般人の共存を掲げ、ウイルスが関係した事件や犯罪の対処をメインの活動としている。

 一方、FH。ファルスハーツはウイルスの存在を公表し、オーヴァード優位の社会を作ろうとする、国際的なテロ組織として名高い。

 日本はもちろん、世界中に支部を持つ両者は互いに衝突しながら、今日もオーヴァードと人間の関係を築き上げるべく戦っている。

 

 都心にあるUGN日本支部。

 UGNに所属するエージェント、深堀霧緒は呼び出されるままに、情報の確認と把握で慌しいそのビルへとやってきた。

 通された作戦室は、既に部屋の半分を埋める程の人が集まっていた。

 そんな人々の間を縫いながら、少し離れた壁際で荷物を下ろす。

 明度の異なる、赤いインナーとスカート。丈の長い黒の上着。腕に抱えるのは脱いだばかりのコートと、若草色の番傘。深くかぶった帽子を脱いだ拍子に落ちた髪は、光を照り返す白髪。

 少しだけ乱れた髪を軽く払いながらも周囲を伺う目には、この状況に対する不安が見える。

 皆、不安そうな顔をしている。と彼女はざわつく室内にそんな感想を抱いた。

 昼過ぎに起こった「隕石の落下による渋谷の壊滅」という大惨事はあまりに突然すぎて、発生からいくらか経過した今でも、まともな対応が取れていない。現地からの情報も入らないこの状況下で、誰もどのように動けばいいのか分からないのだろう。

 ここに居る人達は、そんな中で緊急に集められたエージェントや関係者だ。

 これは間違いなく、渋谷への救援もしくは調査の要員。

 情報は皆無に近く、動揺もまだ収まりを見せないという悪条件の中で、現地へ投入されるための召集。

 不安にしかならないよね、と霧緒は壁に少しだけ背を預け、ふぅ、と息をついた。

 

 □ ■ □

 

 壁際で周囲を伺っているうちに、ドアから一人の男性が姿を現した。

 グレイのスーツに青のネクタイというきっちりとした服装。硬い表情ながらも落ち着いた様子の彼は、UGN日本支部を統括する人物。霧谷雄吾。

 彼が現れて席へ着く間に、室内の誰もが彼に注目し、次第にざわめきも消えていく。

 ほとんど無音のようになったその部屋の正面で、霧谷は椅子の背に手をかけた。が、その椅子を引く事はせずに部屋へ集められた人々へと視線を移した。

 集まっていた人々も、その視線を緊張した面持ちで受け止める。

「皆さん。急な召集にもかかわらずお集まりいただきありがとうございます」

 そんな言葉をはじめに、霧谷は現状の説明を始めた。

 

 昼過ぎに渋谷が隕石で壊滅した事。

 被害は甚大だが、未だに現地のまともな情報がない事。

 それでも、あの場所には多くの人が居たはずである事。


 ここまでは、霧緒もそれなりに周囲から聞き知った事だった。

「それから――」

 と、霧谷は言葉を繋ぎつつ、手に持っていた一枚の紙に視線を走らせて眉を寄せる。

「UGNの渋谷支部から、壊滅直前に《ワーディング》の報告が入っています」

 その一言に周囲が一瞬ざわめく。

 オーヴァードとして覚醒していない人々を様々な形で無効化するワーディングは、オーヴァードなら誰もが使える能力だ。

 それが隕石の墜落直前に観測されたという報告が意味する所。それは、オーヴァードが渋谷壊滅に絡んでいる可能性の示唆。

 ただの隕石落下ではないのか。もしやFHが、と様々な推測が瞬間的に空間を支配するが、そのざわめきはすぐに収まり、部屋にいる全員が更なる情報に耳を傾ける。

「場所は、隕石の落下地点とほぼ一致。現在、この《ワーディング》の影響は不明ですが……まだこの状況が続いているとすれば、通常の救助隊では活動不可能です。そのため、UGNから救助隊と調査隊を派遣する事にしました。具体的には、実戦経験を持つエージェント一名と調査員または救助員数名のグループを構成し、救助や調査に当たってもらいます」

 グループ構成は各自端末で受信した情報を参照してください。と告げて霧谷は言葉を一旦切った。

 

 端末で情報にアクセスしている待ち時間の間、霧緒はもう一度部屋を見渡してみた。

 部屋の端には、非オーヴァードがワーディングの影響下でも活動できるワーディングマスクや救護に必要な機材が揃えてある。周囲には調査や医療などの装備を纏った人々がいる。グループで対処に当たるという事は、この中の誰かが自分と共に活動するのだろう。

 周囲は少しずつざわめき始め、あちこちでグループ単位にまとまりつつあるのが見える。

「えっと……私は誰が一緒になるのかな……」

 そんな言葉を口の中で転がしながら、グループ構成の一覧に視線を落とす。

 リストには自分の名前の下に数名の名前が連なっていた。

 担当を見るに、調査と救護を兼任したグループで彼らの護衛をすることになるらしい。

 これから力を合わせていく人達だ。いい人だといいな。

 そんな事を思いつつ、リストから目を離そうとした時。

「深堀さんですか?」

「! は、はい……っ!」

 突然の声に慌てて振り向くと、そこには複数人の男性が居た。

 一番前に立つ彼は、姿勢を正すように背筋を伸ばしても、軽く見上げてようやく目が合う位の背丈。

 歳は二十歳を過ぎたところだろうか。少なく見ても自分よりはいくつか年上である事が見て取れた。しかし、威圧的な印象はなく、少しだけ照れたような笑顔が逆に親しみを感じさせる。

「どうも。私、貴方の部隊で調査を担当することになりました。仁藤です」

 それから後ろにいるのが葉山と三上。と後ろに立っていた二人を続けて紹介した彼は、よろしくお願いします、と右手を差し出した。

 よかった優しそうな人だ。と、少しだけほっとしてその右手に応じる。

「深堀霧緒です。こちらこそ、よろしくお願いします」

「お噂はかねがね」

 そう言いながら彼が小さく会釈をすると、後ろの二人もあわせて頷く。

 一体どのような噂なのか。は、なんとなく怖かったので聞くのをやめて、代わりに少しだけ笑みを返す。

 自分はきっと彼らより年下だ。それなのに、その笑みを受け取る彼らの表情に不安は見えない。

 確かに霧緒は実戦経験をもったオーヴァードだ。だが、彼らより明らかに年下の少女で不安ではないのだろうか。そんな疑問がふとよぎった霧緒に、仁藤の言葉がかかる。

「危ないと聞いていますが、一線級のエージェントがついていてくださるなら安心です」

 そう言いながら、彼は霧緒の疑問を払うかのように小さく笑った。

 

 そうして周囲に数名が集まり、それぞれが自己紹介を済ませた辺りで、再び霧谷の声が部屋に響く。

「それでは、本日十四時より、本作戦を開始します」

 その一言で、周囲の空気が一気に張り詰めた。

 霧緒も荷物を抱える腕に、力をこめる。

「状況は混乱し、情報は錯綜しています。未確認ですが、FHのエージェントも渋谷に注目しているという情報もあります。各リーダーは戦闘の準備を怠らないようにしてください」

 しんと静まり返った部屋の中、彼の声だけが響き渡る。

「――このような危険な状況、しかも《ワーディング》下において多くの人命を救うのは難しいでしょう。しかし貴方達にしかできない仕事です。よろしくお願いしますよ」

 その言葉と共に、会議は解散となった。

 一気にざわめきを取り戻した部屋の中から、一組、また一組と準備を整えて部屋の外へ出て行く姿が見える。面持ちは一様に不安そうで、それはこの部屋に入ったときよりも色濃く出ているような気さえする。

 ちらりと後ろにいるメンバーを伺うと、やはり同様に不安そうな顔で部屋を出て行く彼らを見送っていた。

 不安なのは皆一緒。自分がしっかりしなければ。と霧緒はコートを羽織り、帽子に髪を丁寧にしまう。任務時は常につけているヘッドホンは、少し迷った結果ポケットに押し込んだ。

 手当キットや小物を入れた鞄と傘がある事を確認して、霧緒は青年達を振り返る。

「では。私達も行きましょうか。――お互い、頑張りましょうね」

 傘を握る手に力を込めての声に、彼らは不安な顔を引き締めて一様に頷く。

「えぇ、よろしくお願いします」

「一人でも多くの人を助けましょう」

 それに霧緒はひとつだけ頷いて、足を進める。

 

 部屋の外――壊滅した渋谷へ。

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