第100話 記念すべきこと

 約束の時間よりも五分早く到着してしまった。気を張っていたのか、楽しみで道中を自分自身が認識できないほど速く駆けてきたのか……。五分という時間はあっという間に過ぎるものではあるが、準備を整えるには十分な時間である。

 それはつまり、美玖を急かしてしまう可能性があるということだ。美玖の性格上、ギリギリに支度するということはないと思うが、それでも可能性が怖かった。

 すると突然ドアが開かれる。


「さっきから何をしているの?」


「……ま、待ってた。もしかして気づいていたのか?」


「自転車の音がしたから来たのは分かってたけど、なかなかインターホンを押してくれないから出てきた」


「……時間ぴったりにしたくて」


「窓から見えたけど、変な人みたいだったよ」


 玄関で幸か不幸かお出迎えをされた。

 そう。今日は美玖の家でデートの日だ。前に呼ばれたものの、時間の都合で遠慮した時以来だ。

 俺は美玖の後ろからついていき、リビングに通された。お土産を手渡し、「座って」と言われたのでそっと腰を下ろす。ざっとあたりを見ると、俺の家より数千倍きれいだった。色のまとめ方がうまく、統一感があった。ただ、家具がどれも堅そうなのは一つだけ変に意識してしまった。


「そんなに見ても何もないよ?」


「……初めてきたから気になる」


「あ、ならちょっと部屋の方行ってくる。今の潤平君だと何に目を付けられるかわからないから」


 美玖はタッタッタッとかけるように階段を上がった。

 次長はするつもりだが、時世はできなさそうだったので、ありがたいといえばありがたい。


「……あれは、仏壇か?」


 閉まり切れて居ない襖の間から見えたのは仏壇だった。俺は操られたかのように気づくと目の前に座っていた。

 真ん中に飾られているのは小さい頃の美玖に嬉しそうに頬をくっつける少年だ。幸せにあふれているような笑みは事件を知っている俺の心に直接、衝撃を与えてきた。

 俺は自分と重ねながら言葉を呟く。

 そして、手を合わせる。

 彼から得たもの、彼が大事にしていたもの、彼の決断……。あの手紙を読んだ俺だからこそわかる。彼に一番近い存在となった俺は祈った。


「……俺が守るよ」


 手紙の最後につづられた一つの約束。俺は形に表して守ると誓った。


「いつの間に……」


 それはこちらのセリフなのですが……。手を下ろして振り向いたらそこに美玖がいたのだ。そりゃ驚くわ。


「……扉が開いてて見えたから」


「から?」


「……手を合わさせていただきました」


「あんまり知られたくなかったのに」


「……う、ごめん」


「でも嬉しい。家に来る人で仏壇に手を合わせてくれたのは潤平くんが初めて」


 なんと言っていいのかわからず、ポリポリと後頭部を掻く。純粋に褒めてくれて嬉しいのだが、それ以上に美玖が嬉しいと感じてくれたことが一番嬉しくて、恥ずかしかった。


「……へ、部屋はどうなったんだ?」


「片付けたよ。潤平くんの気になるものは隠したから」


 俺の気になるものとは一体……?まさか!


「えっち」


「……まだ何も言ってない」


 美玖はくすくすと笑った。俺の突込みが面白かったのか?俺としては志向の時点で読まれているため、笑えなかった。


「顔が言ってた」


「……見えないから分からん」


「そんなエッチな潤平くんには今からいろいろとルールを言います」


 まだえっちじゃない!!……ん?えっちじゃない!!


「……なんでしょう」


「ベッドの上、禁止!」


 どうして赤くなりながら言うの?こっちまで想像が……。


「……わかった」


「あと、その間を開けるのも禁止」


 あぁ……。なんかそんな感じがしてた。うん。


「……一応、理由を訊いても?」


「私に身構えているような感じがするから、かな。別に無理にとは言わないよ。口癖と似たような感じだと思うからさ」


 美玖は「ダメかな」と頬をポリポリ掻きながら俺をじっと見てくる。俺だって治したいものは治したい。だが、医師がそう思っていても実際にそうできるのかは微妙なところだ。

 好きでこうなってしまったわけではない。

 俺だって純粋無垢な時も当然あった。最初からこのような斜めに構えた人間ではなかったのだ。ただ、今となってもはもはや思い出だが、ある事件のせいで俺は間を取るようになってしまった。

 いったん立ち止まることを覚えた。

 こういえばかっこよく聞こえるのかもしれない。だが実際はたぶん。

 考えずに話すのが怖い、のだろう。


「頑張ってみる」


 だけど美玖なら、受け止めてくれる気がする。俺は少しだけ揺らされてみることにした。


「最後に、何でもない、とか嘘とか禁止」


「は、はい!!」


 三つ目のルール、大丈夫か?特に美玖が。

 別に俺としては隠すものがないので最後のルールはルールとして適用されない気がするが……。

 美玖にとっては少し厳しい気がする。もし、例えばとして男子同士でよくあるエロ話に行ったとしよう。

 なんでもないって言わないと思うか?いや、いうだろう。

 俺が美玖に視線を送ると何も俺の真意に気づかず「ん?」と返してきた。


「いや、なんで―――――」


 おっと。早速破ってしまうところだったぜ。


「美玖には最後のルール、きつくないか?」


「どうして?」


「どうしてって……なら、大丈夫なのか?」


「潤平くんの言ってることがわからない」


 俺もよくわかんねぇや。

 ともかく、俺は美玖へ考えを伝えるのをあきらめた。最悪、俺しかいないので何とかなるだろう、という魂胆である。


「話を変えるけど、どうして再起部に相談したんだ?


「それは……」


「なんでもない、と嘘はなしだぞ」


「うぅ」


 少々意地悪だが、気になっていたことなので訊いておきたかった。自分で作ったルールなのだから守らなければいけないという美玖の感情が手に取るようにわかる。

 けれど、こんな好条件なんだ。使わずにはいられない。


「……潤平くんのお見舞いに行くのが本当の目的だったの」


「えっ」


 あっ。


「静乃ちゃんと話していくうちにおかしくなっちゃって」


「まー、あの時の新山さんはおかしかったからな」


 ちなみに今ではそれ関連のワードを出すと、いの一番に謝罪が口から出てくるマシーンと化している。それを知っているのは俺だけだけど。


「潤平くん、あの時とっても痛そうだったのにごめんなさい」


「いいさ、気にするな。もうほとんど治ったし」


「本当に?」


 俺が強がって首を振ると、美玖は近づいてきて俺の頬に手を重ねた。美玖の体温を感じる。そして打ち消すほどの自分の体温の上昇に恥ずかしくなった。


「まだちょっと残ってる」


「う、うん。でも大丈夫だから」


 日本語が話せない。たった彼女の手が頬にあるだけで。いつもの距離より近いからなのか、こうも冷静さを欠くとは思わなかった。


「そう。……私にできることだったら何でもするから言って」


「なんでも?それなら……」


「私に出来ることだからね?!」


「美玖の部屋に連れて行ってほしいな」


 もう少しこのままで、とは言えなかった。

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