第99話 表裏一体

「本当に一週間でやり切って見せたな、松平」


「……最後に気絶しましたけど」


「自分的には不服というわけか。松平はもしかして完璧主義者なのか?」


「……さぁ?自分でもさっぱり」


 職員室のいつもの場所で俺は大原先生と談笑していた。いつもよりも上機嫌で迎えられたことに多少の疑問を抱きつつも中に入った俺は職員室の雰囲気が一週間前とは全く異なっていることに気が付いた。

 忙しそうにしていた先生たちは今はゆったりしていた。とはいえ、しっかりと業務はしている。が、している中での緊迫感などが違ったのだ。その原因は派閥問題しかない。

 会長が後はやっておく、と言ってから音沙汰がない。しかし、派閥のことに関しても聞かないのでもみ消しはやってくれたのだろう。


「……ただ、最後は会長に任せたので先生的に不服かな、と」


「そこらへんは気にするな。どうせもう避けては通れない道だ」


 大原先生はあきらめている、というよりは端的に言った。その内面には好戦的な感情があるのかもしれないし、非好戦的な感情があるのかもしれない。


「……そろそろ聞かせてもらえますか?“生徒報告書”について」


「新山からはどこまで聞き出した?」


「……会長が頼んで壮一が作り上げた、ぐらいです」


「その先は彼女より、私の方が適任か」


 大原先生は大きく深呼吸を二回繰り返した。

 覚悟を決めるためだろう。そこまでしているのを前に俺にも緊張が走る。


「“生徒報告書”が完成してしまった後―――――」


 大原先生は会長よりも壮一と仲が良かった。それこそ部長と顧問を超えて親子とまで言えるほどに。

 そんな先生が壮一の作ってしまったという後悔こそわからなかったものの不調だ、何か悪いことでもあったのかということに気づかないはずがなかった。

 情報を盗んだ背徳感。大事な妹に迫る一匹の虫。俺に避難の目を向けられても困るのだが、壮一はもうすでに限界だった。

 大原はそんな彼をリフレッシュさせようと部活の一環として川辺でバーベキューをしようと画策した。最初は渋っていた壮一も部員に押されたのか、先生の思いに負けたのか、ともかく最終的に首を縦に振った。

 ところが、それをどこからか聞きつけた会長がついてくると言い出した。そもそもの原因は会長であるため、先生は何とか止めさせようとしたが、会長権限を使われ、引き下がるしなかった。

 その会長権限は“部活動の視察”というものだ。これではいくら教師でも学校に縛られている以上拒否できない。

 それから美玖も合流し、バーベキューを行った。会長は壮一が『少し妹と二人きりで話がしたい』といった時以外は四六時中付きまとっていた。

 何を話していたのかはわからないが、十中八九“生徒報告書”だと読んでいる。


「そして瑞山壮一は数日後に正門前の横断歩道で交通事故にあい……亡くなった」


 俺は悲しい話だ、ともつらい話だ、とも思わなかった。いや、思えなかったのだ。こんな現実あるはずがないと思ったのだ。

 何も言えなかった。

 ただ、今にも泣きださんばかりに目頭を押さえる先生を前にして話の内容をずっと反芻していた。


「私は……最後の瞬間まで一緒にいたんだ。そして最後の日の夜、奴はやってきた。奴は交通事故に対して悲鳴を上げた。だが私は、奴こその悲鳴を浴びせてやりたかった」


 先生にあったのは灼熱のマグマをもお湯程度にした思えないほどのぐつぐつ煮えた復讐心だった。


「……だから、対立ですか?」


「奴は結局、あの書類を手に入れなくとも自力で今日ここまでやってきている。その意味が分かるか?」


 ぎろりと睨みつけられ、慌てて頷くしかなかった。

 今は吐き出す時間だ。周りの先生たちはいつの間にか全員いなくなっていて、人に聞かれる心配はない。


「壮一はあんなに悩まなくてもよかったんだ。作る必要もなかった」


 それは結果論、なんて俺が言わなくてもわかっている。ただそうでも言わないと浮かばれない、というやつだ。


「……先生は後悔してますね。ですがそれはどちらの後悔ですか?」


 すなわち、先生として気づいてやれなかったことに対する後悔なのか、個人として守ってやれなかった小さな親心なのか。俺は親になったことがない。だが、その抱く感情は俺が悪魔たちに向けるものと同じではないだろうか、と思っている。

 大原先生は小さく、震える様子で、


「私の後悔だ」


 といった。


「……俺は物語上に出てくる主人公とかじゃないので正義の化身みたいな彼らのように“復讐なんて何の意味もない”なんていう気はありません。復讐を成し遂げたという達成感や高揚感は恨みが強ければ強いほど大きくなりますからね。成功の果実ってやつです」


「……」


「……けれど、生産性がないってことも知るべきだ」


 復讐の意味が他人にわかるはずがない、と俺は常日頃から思っている。

 復讐心というものは異常なまでに神経を研ぎ澄ますことができ、いつもよりも力の使い方がよくわかるようになる。


「なんだ……松平は私を止めようとする側だったのか」


「……どっちつかずです」


「沖田につくなら容赦はしない。私は許せないからだ。教師なんて仕事はくれてやる。望みが叶うなら」


 ぼそぼそという声色は俺に助けてほしい、力になってほしいと言っているようにしか聞こえなかった。

 教師として働いている大人が一人の高校生に?と思うが、そこに大人とか教師とかは関係ない。あるのは人間の感覚のみだった。頼まれている。俺に頼ることを覚えろといった先生が俺に頼っているのだ。


「……一応、何をするんですかと聞いておきます」


「沖田が動いたら呼応するだけだ。先手は打たない。後手に回っても十分覆せるほどのカードはそろえたつもりだ」


「……討論ですか?暴力ですか?」


「討論、というより摘発させる。この学校には生徒会長が次の生徒会長を推薦することができる。無論、推薦なため、立候補が出馬することもできるが、勝率は低い。やはり会長の推薦というのは大きすぎる見出しになるからな」


「……はぁ」


「つまりだ。推薦されたものが拒否して摘発さえすれば」


「……会長の権威は最後の最後で崩れ去る」


「そういうことだ」


 先生はふーっと大きく息を吐きだした。この学校の仕組みをよくわかっていないので会長のこの一見は斬新で面白いと感じた。ただ、「面白いが大丈夫なのだろうか」という不安は残る。

 そもそもの問題で、だれが推薦されるかなどわからない。


「……誰が推薦されるんですか?」


 先生は人差し指を此方へと向けた。……へっ?!俺?


「沖田は私のことを信用しているからボロボロ吐いてくれたよ。次期生徒会会長に指名されるのはお前だ」


「……そうなると俺が乗らなければ計画がパーですね」


「私はもう乗ってくるものだと確信してしまっている。今も頭の中で利益、デメリット、構成の変更、効率……と抜け目がないか探しているんじゃないのか?」


 なぜバレたし。

 俺がもし選ばれるとすれば、断るか、断らないかの二択が出てくる。

 断るとすれば先生の計画通りに進む。断らないとすれば俺は面倒な生徒会長になる。……どちらも面倒なのだが。

 っておい、待て。俺が生徒会長になれば役員も俺が選べるな。美玖や明李、莉櫻や真鐘、一輝などが生徒会役員として入る。

 悪くない気がしてきた。……再起部ももう少し格を上げられるし。


「……さぁ、どうでしょうか」


「はっきり答えないからこそ当たりだな」


 先生は薄く笑った。俺の考えていることはお見通しだというように。

 だから俺も笑って返した。俺は人に読まれるほど、実直な考え方ではない。むしろ、くねくねと入り組んだ道を通る人間だと教えるために。


「……保留です。どうしても俺の協力が欲しければどうにかして下さい」


 教師だから敬わなければいけない、ということはない。頼まれた側は無条件で上に立てるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る