第6話 水族館デート(ハーフタイム)

 何ともいえない状況が俺を支配していた。……というのも俺の袖口を掴んで先行する彼女。顔が真っ赤なのだ。俺のせいではないぞ。……たぶん。周りにいる子連れの家族が俺に“何してんの?”という目で見ており、老夫婦は俺を見て話に花を咲かせている。

 どうしたものか……。目の前に居るイワシに負けず劣らずの速さで進んでいく彼女。……ってぶつかるくね?


「……お、おい。危な…」


 言い終わらないうちに彼女はガラスに盛大な頭突きを食らわせた。ゴンッと鈍い音がして、彼女は両手で頭を押さえた。


「痛い」


 前を向いていなかったらしい。イワシたちも振動が伝わったようで俺達の目の前には水しかなかった。


「……何してんの…」


「う~」


 必死に睨みつけられても困るんですけど……。せめて何か言ってください。

 彼女は自分の内なる思いを俺に吐露しようとしたのか、赤みが差し、涙目の顔をこちらに向けた。その口はぱくぱくとまるで魚がえさをもらった時のようだ。


「……何?」


「う~」


 ……会話にならん。どうしようか。周りの入場客に泣かしていると思われるのも嫌だし。


「…飲み物」


「……はい?」


「飲み物買って来て」


 買ってくる、と言わないのが彼女スタイル。今回は大人しく従いましょうかね。


「……そこらへんで待ってろ」


 ……と恰好を突けて彼女の元を離れた俺だったのだが、意識は先程のことから離れようとしない。

 俺は掴まれていた、というよりもつままれていた自分の袖口を見た。その袖口は、何もされていない左手の方と比べると若干大きくなっている気がする。だが……

 俺はそんなこと、どうでもよかった。脳裏に焼き付いているのは彼女の後ろ姿と朱に染まった顔だけだった。反則だと思う。俺が審判なら一発でレッドカードを出してVIP席で観戦してもらうぜ。


「……こんなところにあった」


 内心では荒れていても表情には出さない。……たぶん出ていないと思うんだけど…。目の前の自動販売機の光を利用し、器用に硬貨を投入しながら己の顔を見る。

 ……大丈夫そう。……しかし、問題発生。果たして彼女は飲み物で何の種類をご所望なのだろうか。実は、彼女の好みを長い間付き合っている割に、把握していないため、知らないのだ。


「……どうしましょうか」


 俺は結局、“2つ同時押し”という男子が使う荒業でどうにか切り抜けた。ゴトンと音がして商品が出される。これ水とかだとへこんで出てくるんだよね。商品だよ?

 俺は出てきた2つの商品に絶句した。“コンソメスープ”と“極苦、100%コーヒー”だった。……最悪だ。

 片方ずつ両手で持ち、彼女が待っているであろうイワシの展示エリアまで急ぐ。今までは全く考えていなかったのに、痴漢にあっていたらどうしようと不安要素があふれ出てきて良からぬ想像が膨らんでいく。今までそんな俺の不安が現実に起きることは無かったが、どうしても不安なのだ。しょうがない。


「……イワシエリア」


 実際には違う呼び方なのだろう。だが、俺には正式名称での呼ばなければならないという義務や責任はない。

 故に、このエリアは今からイワシエリアである。

 俺はベンチに腰掛けている彼女を見つけた。一歩一歩近づいて行く。彼女は後ろ姿からでも充分わかる程に、身体をプルプルさせていた。……怒っているのかな。足音でわかりそうなものだが、他の人々が鳴らす俺にとっての騒音が俺の存在を隠しているようだ。


「はぅ~。……やっちゃった」


 え?何を?!その時、何故か俺は息を殺した。……続きが気になったからです。俺は彼女のすぐ後ろにいて、横を向いただけでわかるのに全く気づいた様子はなく、むしろ独り言が増加した。


「う~。今の私じゃ精一杯」


 膝の上に手を置き、その手の中に顔をうずめた彼女。なんだろう……もう少し見ていたい。


「…でもっ!私、頑張ったし……後は向こうが頑張る番……無理そう。潤平君のバカ。鈍感」


 あれ?途中から悪口になっちゃったぞ?こんな時、コミュ力お化けの奴だったら、


『誰が鈍感だって?』


『えっ?!いつからそこに?』


『今さ、さぁ行こうぜ』


 手を差し出す。


『うん!」


 みたいなことになるんだろうな~。……いいよな~。俺にはそんなこと無理です。天変地異が起きてもです。ただ神が“コミュ力”を与えてくれたら100分の1ぐらいの確率で頑張るかもな。……無宗教だけど。


「……どっちがいい?」


 収集をつけるために声をかける。彼女は顔を上げてこちらを見た。

 手元を見て“コンソメスープ”を選択した彼女は横に座ると俺との間隔を一人分あるかないかぐらいまで空けた。……絶対怒ってらっしゃいますよね。とは言っても俺から詰めに行く勇気がないのでこのままである。


「…聞いた?」


「……何を?」


「別になんでもない。…あと、ありがと」


「……おう」


 最初に戻った気分だ。違うことといえば彼女の顔が赤いことぐらいだろうか。彼女は“コンソメスープ”を口に運んだ。俺の手先には同時期に買った“極苦、100%コーヒー”があった。…苦いやつか…むぅ。しかし買ってしまったものは仕方がない。

 意を決して飲む。……甘い。…確かにほかの缶コーヒーと比べると苦いがまだまだ甘い。缶コーヒーの微糖の微の字がマジで謎。むしろあれは糖だと思う。


「…きれい」


 ポツリと呟いたその一言は、恐らく自然に出てきた言葉だったのだろう。彼女は目の前の水槽に釘付けだ。

 確かに光を己の体で反射させ、キラキラと集団で泳いでいるイワシ達は迫力や優雅さを感じられる。他の単体で泳いでいるエイなどもイワシとはまた違った魅力があった。

 そうあった。……あったのだが…。俺はそんな魚達よりも彼女にどうしても目がいってしまう。魚達がもし話せるようになったらおそらくブーイングの嵐に見舞われるだろう。料金を払ってみていないと同義だからな。

 俺は彼女の真っ直ぐな視線を真っ直ぐに見つめながら手を伸ばす。やっぱり挑戦したい。

 そして俺の手が彼女の手にーー

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