第5話 暗殺家業

老人の鋭い眼光に見据えられた理恵は、金縛りあったように動けなくなった。


老人は腰に差した日本刀の鞘に右手を添え、左手を柄にかけた。

「もう一度だけきく。ここで何をしておる」


理恵は恐怖で震え、後ずさりをはじめた。


老人は舌打ちをすると、刀をゆっくりと引き抜いた。


背中が大木に当たり、理恵は逃げ道を断たれた。


白装束の老人は、鞘を両手で握り直し、刀を上段に構えた。


理恵は目をつぶり、心の中で叫んだ。

『風間君、助けて!』


老人が手に力を入れ、刀を振り下ろそうとしたその瞬間、どこからともなく黒い矢が轟音とともに飛来し、理恵と老人の間をすり抜けた。


理恵は矢が飛んできた方向を見た。


そこには、赤松学園の制服姿の風間天が立っていた。左手には弓が握られている。


『風間君・・・なんでいつもぎりぎりなの』

全身の力が抜け、理恵は気を失った。


目覚めると、理恵はふかふかの布団の上で仰向けに寝かされていた。

理恵が寝かされていたのは、古い和室であり、木目調の天井からは簡素な照明器具がぶら下がっている。


理恵は枕元に人の気配を感じた。


枕から50センチほど離れた場所に、理恵を襲った白装束の老人が胡坐をかいて座っている。


理恵は布団から飛び起きて、老人に向き合う形で正座した。


老人は胡坐を解き、正座になると両手を膝の前について頭を深く下げた。土下座というやつだ。

「さっきはすまなかった」

山のなかで出会った時とは異なる優しい声で老人が謝った。


理恵は困惑した。高齢者から土下座姿で謝罪を受けたことは一度もない。

「頭を上げて下さい。私のほうこそ私有地に勝手に入ってしまって、ごめんなさい」

理恵も頭を下げた。


そのとき、シャワーでも浴びていたのだろうか、白いTシャツに迷彩柄のハーフパンツ姿の風間天がバスタオルで頭を拭きながら部屋に入ってきた。


二人が土下座で謝り合う光景を目の当たりにした風間は溜息をついた。


風間の冷たい視線が理恵に突き刺さった。


『やばい、ストーカーだと思われたかも』

理恵は狼狽した。


『おまえ、なぜ俺のあとをつけてきた』

理恵の心に再び「声」が入ってきた。軟式テニス部の練習所の近くで理恵に『しゃがめ』と命じた声と同じ声だ。


理恵は慌てて周りを見回した。

この部屋には理恵、老人、そして、風間の3人しかいない。


理恵は老人の顔と風間の顔を交互に見た。

『まさか、今の声は風間君の声?』

理恵は同じように心の中で問いかけてみた。


理恵が風間を見上げると、風間は頷いた。


『なるほどな。わたしらの声が届く者がここにもおったか、天よ』

正座を崩しながら老人が心の会話に割って入ってきた。


風間は老人の隣に腰を下ろすと、

「そのようだ。それよりも訊きたいことがある、喜三郎じいさん」

と言い、深いため息をついた。心の中で聞いた声と同じ少しくぐもった声であった。


理恵は、喜三郎と呼ばれた白装束の老人に向かって、

「あの、あなたは風間君のおじい様なのですか?」

ときいた。

喜三郎は指で頭をポリポリかきながら、

「そうそう、まだ自己紹介を済ませていなかったな。おぬしの言うとおりじゃ。わしは天のじじいだ。喜三郎と呼んでくれ」

と笑顔で話した。


『バカじゃないの。呼び捨てにできるわけないでしょ』

心の中でそう言った瞬間、理恵は口をふさいだ。


慌てふためく理恵の様子を見た喜三郎は大きな声で笑った。

風間の口許も少し緩んでいた。


しかし、風間が場の雰囲気を引き締めるように、

「昨日俺が戦った俳優と関係があるのか、喜三郎じいさん」

と再び問うと、喜三郎の顔から笑みが消えた。そして、下を向き、一言も発さなくなった。


理恵は自分がいることで喜三郎が答えを躊躇しているのだと思い、

「私はそろそろ帰ろうかな」

といって立ち上がろうとした。しかし、

「後で俺が家まで送るから、もう少し待ってくれ」

と風間に頼まれ、再び布団の上に正座した。


「じいさん、どうなんだ?」

風間は喜三郎に詰め寄った。

胸ぐらをつかんで投げ飛ばしてしまいそうな勢いだ。

理恵は内心ひやひやしていた。

しかし、喜三郎は下を向いたまま微動だにしない。


「それなら、俺から言うぞ。あの俳優は俺の父親だろ」

風間の放った一言に理恵は衝撃を受けた。


喜三郎は嘆息をもらすと、顔を上げた。

「なぜ、それを?」

風間は喜三郎を見下ろしながら、

「刀を交えているときに言われたんだ。『立派に育ったな』と」


「そうか」

と呟いた喜三郎は観念したように、とくとくと語り始めた。

「確かに松本という男はお前の父親だ。あの男は天狗族の血を引くお前の母親、つまりわしの娘を唆して、駆け落ちしようとしたんじゃ。人間にしては霊気が強かったお前の父は、わしの訓練に耐え、天狗族の奥義を取得した。そこまではよかった。だが・・・」

喜三郎は立ち上がると、天井を見上げた。

「だが、松本は使命を果たすことを拒んだのだ」

今度は風間が溜息を吐いた。

『情けない』

風間の表情は苦渋に満ちていた。


「あの・・・」

理恵は座ったまま、恐る恐る挙手をした。

「なんだ」

風間に至近距離で直視され、理恵は緊張した。

「天狗族とか、使命とか、部外者の私の目の前で言っていいんですか?」

理恵の素朴な疑問をきいた風間と喜三郎は顔を見合わせた。

「そういえば、そうじゃな」

喜三郎がつぶやいた。


「いまさら忘れてくれとも言えないだろう」

喜三郎に向かって風間が怒ったように言う。

「それはそうじゃが・・・」

喜三郎は困惑した眼差しで理恵を見た。


「ここまで聞いてしまったので、どうせなら、最後まで聞かせてもらえませんか。できれば詳しい説明つきで」

理恵は喜三郎の目を見ながら頼んだ。

喜三郎は腕を組んで考える素振りを見せると、

「どうする、天よ」

と決断を風間に丸投げした。


風間は憮然とした顔つきで、

「俺は構わない」

と言った。

喜三郎は表情を引き締め、

「分かっていると思うが、今まで話してきたこと、そして、これから話すことは他言無用じゃ。約束じゃぞ。万が一約束を破ったら命はないものと思え」

と強い口調で脅すようにいった。さらに、隣の風間の肩を掴み、

「この天は300メートル離れていても標的の心臓を射抜くことができる。つまり、おぬしを殺すことなど朝飯まえじゃ」

といい、睨みをきかせた。

「はい、絶対に誰にもいいません」

理恵は即答した。

「よろしい」

喜三郎は表情を少し和らげると、

「天よ、お茶でも飲みながら話そうじゃないか」

と風間に向かって呼びかけた。


お茶と団子をお盆に乗せた風間が戻ってくると、喜三郎は理恵に向かって天狗族について、風間天の父親について、そして、天狗族の「家業」について話し始めた。


喜三郎は長々と一人で話した。その間、風間は一言も発しなかった。

理恵は聞く側に徹した。というよりも、衝撃が大き過ぎて口を挟むことができなかった。


喜三郎によると、風間一族は平安時代から京都で「暗殺」を家業としてきた一族のようだ。鞍馬の山の奥深くで修業を積み、時の権力者の要請を受けて、人を殺める。鞍馬天狗で有名な鞍馬に住むことから、権力者の間でいつの間にか「天狗族」と呼ばれるようになった。天狗族は複数の特別な能力を持つ。人の心の中に入り込み、命令に従わせる力もその一つだ。


喜三郎は今でもこの風習は残っていると言い切った。


『天が人殺し』

風間に対する理恵の不安げな視線を見た喜三郎は、天はまだ修行中の身だといい、笑った。一方の風間は厳しい表情を崩さなかった。


「修行が終われば、天も暗殺家業を継がねばならない」

ということを喜三郎は示唆していた。


そして喜三郎は風間天の生い立ちを語った。天の父親は陰陽師の家系に生まれた男であり、松本隆二といった。


喜三郎の娘である風間絹、そして、松本隆二は愛を育むようになり、天が生まれた。


喜三郎は、直系の天狗族の末裔である天が成人になるまでは、松本に一時的に家業を継がせるつもりであった。そして、そのための特訓を松本に課した。


松本は天狗族の能力を短期間で全て身につけた。


しかし、天を人殺しの子供にしたくないと喜三郎に告げ、使命を全うすることを拒んだ。


激怒した喜三郎は、使命を遂げるか、もしくは、自害するかの選択肢を与えたという。


松本が選んだのは、自分の命を絶つことであった。


しかし、松本が鞍馬の山奥で短刀を自らの左胸に突き立てようとしたそのとき、天の母である絹が現れた。


そして、2人は天を連れて逃げ出したのであった。


所謂、駆け落ちである。


しかし、喜三郎に見つかり、絹は松本を守って命を落とした。松本は責任を感じ、天を喜三郎に預けた。






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