第75話 彼らは横穴を見つけてそこへ避難した

 回転するミラーボールは、その内側から漏れ出でる光と、その光を乱反射させる鱗とでケバケバしく輝いていた。波立つ急流の水面のようでもあり、秋空を蠢く雲霞の群れのようでもあり、いずれにせよその美しさにはどこか心をざわつかせる不安を孕んでいた。

 キュルルルル、と勢いよく回転する音が開始してから数瞬の後、彼らの立つ節の更に下の方が低い響きをもって震えはじめる。重力が反転しているので、つまり地下にいる彼らのちょうど真上で局地的な振動が始まっているのだった。

「おいおいおい」

 真下を(その実ムヌーグたちにとっては真上を)睨みつけて、ムヌーグはその振動がただ事ではないことを理解した。いや、およそそこにあって振動がただ事ではないことを理解しなかった者など一人としていない。

「どうするんだ?どうやって地上に戻る」

 ここに来てから、分からないことばかりだ。

 ムヌーグは動揺する自分を客観的に見ながら、心の中でそう自嘲した。見るもの、経験すること全てが、これまでの生活からは考えることもできないような非常識の中にある。

 ニコは、こういう生活を「普通」だとして育ってきたのか。

 そう思うと確かにこの町に馴染めない理由が分かるような気がして、彼女に自身の境遇を頼りっ放しにしてきたことも仕方のないことに思えた。今の自分が、まさしくそれまでのニコの言行のブーメランになっているのだから。

「ええと……あっ、あそこだ」

 高回転するミラーボール状の球体、その漏れ出る光によって視覚がだいぶ攪乱されていたが、ニコはようやくこの部屋の一部に、魚のように口を開く真っ黒い横穴を見つけて指さした。

「あそこに入ればいいのですね」

 メリヤスはムヌーグと共に頷き、エミとニコとをそれぞれに抱えて姿勢を整えると、一息に駆けだした。

「中央のには触らないでよ」

 ニコが「中央の」と言ったのは、重力が反転する場のこと。空間の境目は陽炎のように歪んでいたが、明確な壁があるわけではなく、触れば不可思議な重力場のせいで身体のバランスを損なってしまう。

 もちろん、亜人二人にはわざわざ警告する必要もなかった。彼らはその重力場の危険なことを身をもって経験していたし、近づけば肌が不快感を覚えるので不用意に触れることもない。

 節から節に飛び移り、あるいは壁を駆け巡り、暗黒の広がるその横穴へとあっという間に到達する。壁面は一切の照明がなく、ただ果てしない向こうにわずかに出口と思われる光が点となって見えるのみ。

「ずいぶんと、距離があるな。あそこにそのエレベータとやらがあるのか?」

「ううん、これ自体がエレベータ。さあ、あっちまで行こう」

 ムヌーグに下ろされると、ニコは同じくメリヤスに下ろされたエミの手を取って、横穴の果てにある光点を指し示した。

「この箱の、向こうに行けば出口だよ」

 ニコはムヌーグたちに、エレベータを「箱のようなもの」と説明した。しかし、ムヌーグにはどうしてもこれが箱のようなものには見えなかった。延々続く横穴であり、もしその横穴が上下に動くのだとしたら、どれだけ非効率なのかと眉をひそめてしまう。

「行きましょう」

 既に前を歩くエミとニコ。ムヌーグはメリヤスの言葉をかけられて我に返る。

 このエレベータというものは、いったい何なのだろうか。

 暗黒の横穴に一歩足を踏み入れた時点で、地震動も、回転する球体の甲高い叫び声も聞こえなくなっていたことが、ムヌーグを余計に不安にさせた。

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