第73話 反転し続ける重力の中を抜け出した

 反転した重力が、人間二人と亜人二人の三半規管をぐちゃぐちゃに惑わせる。天地が入れ替わる感覚のまま、落下していくように思われた体は、空間のある一部分に留まり続けていた。

 落下しつづける感覚に、ニコは覚えがあった。

 落下速度の上昇に抗議をしようとしたメリヤスも、しかし今はその上下感覚の失われた一空間で落下を繰り返す自身の状況にあたふたするしかできない。

「壁の近くに地面があるよ!」

 ニコが叫ぶ。

 頭痛を伴う吐き気を覚えながら、亜人二人はニコの言葉に我に返ると、ぐるぐる回る視界の端に確かに足場のように突き出た壁の突起を見つけた。洞というよりも節に近いそれを見とめた二人は互いに頷いて、ニコの次の言葉を待つ。

「飛び移って!」

「どうやって!?」

「空気のクッションを蹴り上げれば、この落下方向が反転し続ける場所から抜け出せるはずだよ!」

 ムヌーグの腕にしっかりと抱きとめられたニコの言葉に、半信半疑ながらも亜人の二人は言われた通り従った。

 先ほどまで通ってきた方、それが上方だということは頭で理解していたが、ニコの言う通り重力の反転し続けるこの場においてはそれを体が覚えられない。タイミングを見て爪先に触れる空気の圧力を確かめつつ、飛び上がるための準備をする。

 三半規管は限界に近い。

 これが猫の亜人であれば、身体のバネによって常に落下方向に対して脚を向けることもできただろうが、羊の亜人であるシーピープにも狼の亜人にも、そのような稀有な機能は備わっていない。

「しっかり捕まってろよ!」

 逆立ち巻き上がる美しい銀髪をなびかせて、ムヌーグは最初で最後のチャンスと空気のクッションを足の裏にしっかり感じて飛び上がった。

 世界が、ふたたび安定した。

 重力は方向を取り戻し、節に似た足場に着地すると、そこがとてつもなく広い空間だということが分かる。薄暗い空間は天井の姿を見せることは無かったが、その天井にほど近い場所に、光を乱反射させる球体が一つ、静かに佇んでいた。

 重力の反転し続ける空間は、半径2メートルほどの球体に収まっているらしい。その空間は彼らが落ちてきた穴と、節を足場にニコ達が見回す広い空間との間に扉や境界のように存在している。

 落下してきたはずなのに、足場にした節から見ると、彼らが落ちてきた穴は下の方に続いていた。

 この部屋は、どうやら重力が完全に反転しているらしい。

「とんでもない体験でしたねえ」

 跳躍することにかけてシーピープは後塵を拝さないとばかりに、メリヤスも空気のクッションを足掛かりに飛んで近くの節に着地したようだった。重力の反転し続ける空間をジッと目を凝らしながら見つめている。

「しかしニコ、お前はまるでこの現象を昔から知っているかのようだったな」

 ムヌーグが、逆巻いて乱れた銀髪を撫でつけまとめながら言った。

「まぁ……ね。って、いまさら隠しても意味ないか。ここじゃあない、別の世界樹に入ったことがあるんだ」

「なんと、この地下遺跡のような施設が世界には他にもあるというのですか」

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