第60話 ロ=ロルは、安い挑発を跳ね返した

 ムヌーグは、四肢の痛みをギリと奥歯を食いしばってかき消した。生々しく残った首筋の鬱血痕は、彼女のダメージが決して無視できないものであることを表していたが、しかし手足に漲る握力が、大地を踏みしめるその姿勢が、敵側を威圧する。

 キリガミネは慎重にムヌーグを値踏みすると、視線は切らずに、体をくねらせるようにして後退した。

「どうした?」

 怪訝そうな空気を隠そうともせず、ロ=ロルが問うた。

「これは、思った以上に分が悪そうですねえ」

「ハッ、相手は壊れかけの犬コロ一匹だぜ?何を怖れる」

 鼻息を一つ鳴らして自分の屋敷に入ろうとするロ=ロルを、キリガミネが咳払い一つで制した。

「気を抜くと、死にますよ」

「あァ!?」

「『世界樹の杖』の力をお忘れですか」

 子どもに優しく諭すようなキリガミネの言葉が、ロ=ロルをその場に留めさせる。

「ニコくんは、正しい血統の人間ですから、恐らく私の知らない杖の使い方も知っているでしょう。不確定要素を安く見積もることは、自身の命を安く勘定するのと変わりありません」

「おいおい、テメエの味方はビビってやがるぜ」

 老翁が嘲笑うように言う。

 短慮なオーインクにとって、目に見えるような挑発は何より効果的だ。もし、オーインク側にブレインがいたとして、それが人間解放同盟のキリガミネだとすれば、彼らの仲を裂くような挑発が最も効果的であることを、慧眼の老翁は瞬時に見抜いていた。

「見え透いてンだよ、クソジジイ」

 後ずさり、再びロ=ロルの後ろにすっぽりと収まるキリガミネ。その姿は腰巾着そのものと言った体だが、しかし二人には妙な信頼関係が築かれているようだった。

「俺もコイツも、その人間が欲しいんだ。俺ァ自身のメンツのため。この人間は、ソイツが持っている杖の力がどうこう、ってののため」

 ロ=ロルが利き腕の肩に手をあててグルンと一回転させる。

「もうすぐ、お前が撒いた追手がこっちに向かってくるハズだ。オーインクはよほどのバカの集団だが、クソジジイの家に人間のガキがいないと分かれば、残る手がかりに群がるのは当然だもんなァ」

「あなたもそのバカの集団の一人ではナイですか」

 ややおどけたようにメリヤスが言う。

「俺は違う」

「ワタシに入れ知恵されていてどの口が言うので?」

「入れ知恵されてやったんだよ」

「入れ知恵されるように言ったのは私ですがね」

 キリガミネが付け足すように言う。その視線は、玄関の外を抜け目なく観察している。人間解放同盟の人間が、オーインクの支配する町の中心にいる、のみならずオーインクの一人と結託している、とあれば、他のオーインクたちが黙っているはずもない。

「アナタたちは、騙した先手を打ったと思って油断した。その結果がコレなんですよ。君たちはもう、袋の鼠。さあ、ニコくんを渡して、さっさとどこへなりとも逃げるのが良いでしょう」

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