第61話 ニコは、自らの道を決定した

「それはできない相談だな」

 わずかに震える膝で地面を踏みしめながら、ムヌーグがポツリと呟いた。

「お前らに渡すくらいなら、野獣に食わせる方がマシだ」

「虚勢もそこまでくると感心いたしますよ」

 言いながら、キリガミネの箱のような体がビクリと伸びあがる。その目が大きく見開かれ、それから何やらロ=ロルに小声で囁いている。

 その姿は、何かに怯える小動物そのものだ。

 囁き声の内容は、ニコたちの誰も聞き取れなかった。その声よりもずっと大きな音が、巨躯の群れが、屋敷の向こうから鯨波を上げてやってくる。その騒音にかき消されてしまったのだった。

 ロ=ロルが頷くと、キリガミネはその場をくるりと一回転した。それだけで、キリガミネの姿は見えなくなる。決して油断はしていないつもりだったが、その一回転だけで、彼の消息は狼の亜人にも、羊の亜人にも掴めなくなってしまった。

 ものすごい速さで移動した、という訳ではない。魔法のようにその場から姿が消えてしまった、といった方が正しいようにさえ感じられた。

「さて、状況はどんどん俺に有利になっていくなァ」

 ロ=ロルはニコたちを睨みつける。

 貧弱な人間が二人、満身創痍の亜人が三者。キリガミネは、杖の力に気をつけろと言っていたが、彼我の戦力差は時間が経つほどにオーインク側に偏る。

「ニコ、どうする?」

 隣にいたムヌーグが、静かに問う。

 ニコは、ムヌーグが自身に問うたことに驚きを隠せなかった。

 ニコを子どもと扱う狼の亜人が、膂力で圧倒的に優位な銀髪の女狼が、ニコにこの場の選択権を託している。

 一瞬、ニコの脳内に「ムヌーグが決めてよ」という言葉がよぎる。

 しかし、ここでムヌーグに選択権を返してしまっては、大切な何かが失われるような気がした。

 自分で決めるんだ。

 ここで、誰かに自分の行く末を決めてもらって、どうなる。

 助けてもらって、全てを委ねて、そうして自分に託された使命を果たせるか。


――まあるい世界をつくりなさい。


 夢の中で、繰り返し言われたこの言葉。

 ニコは杖を握ると、視線をロ=ロルに向けたまま、言った。

「逃げるよ」

「どこへ」

「地下遺跡へ」

「当ては?」

「地下遺跡への道はあります」

 聞こえていたのだろう、わずかに距離の離れた場所でメリヤスが告げた。

「袋の鼠だぞ」

「たぶん、そこしかないから」

 杖を握る手のひらに、わずかに汗がにじむ。

「ほう、地下遺跡へ逃げるか。それも良いぞ、狩ってやろう」

 歩を大きくして、悠然と玄関の敷居を跨ごうとするロ=ロル。その足元に、人間の少女が身動きもとれずにうずくまっている。

「いけない!」

 ムヌーグが動こうとしたその刹那、彼女よりも先に人間の少女に向かって身体が動いた亜人がいた。

 モルーギだった。

「バカ野郎!お前はニコを助けンだよ!」

「バカはお前だ、わざわざ殺されに来たか?」

 人間の少女を抱きとめるモルーギに対して、固く結んだ裏拳を放つ。そのロ=ロルの一撃がモルーギの側頭に直撃し、老翁の上体は大きく傾いた。

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