第30話 依存の心は不意に芽生える
ムヌーグが大きく深呼吸をする。
ニコの周囲の空気が、ふわりと軽くなったような気がした。肩にかかっていた妙な重さが外れ、体に絡みついて身動きを取れなくさせるような空気の粘着きがなくなる。浅く短くなっていたニコの呼吸が、自然と深くなっていくのが分かった。
「とにかく、私は手伝わない。今は手伝う気がない。ニコ、お前だけで何とかする方法を探しなさい」
モルーギを一瞥すると、銀髪の女狼はおもむろに立ち上がり、その家を出て行った。
取り残された男二人は、重たい沈黙に包まれる。
破ったのは、年老いた狼の亜人の方だった。
「……ああなったら、ムヌーグ嬢は梃子でも動かん。そういうところは昔っから変わってねえな。変なところで頑固っつーか、のう」
スンと鼻を鳴らして立ち上がると、ムヌーグの残していった皿を自分のものと一緒に台所へ片付け始めた。
「ニコ、それはもう食わねえか?……いや、食えねえよな」
半分以上残った皿を目の前から取り上げて、モルーギは台所へと去ってしまう。残されたニコは呆然としてその様子を眺めていた。
皿を洗って戻ってくると、ニコは未だにテーブルの前で唖然とした様子である。モルーギはそんな少年の前にグラスに注いだ薬茶を出した。
「ほら、飲めよ」
言われるがままにグラスを手に取ったニコは、そこで我に返った。すぐにグラスを手放して、それから非難がましくモルーギを睨みつけた。
「また変な薬を入れたでしょ」
薬茶の色は、冴えた緑色ではなく、くすんだ茶色だった。緑色の薬茶が整腸の茶だということは、目覚めてからすぐに分かった。茶色の薬茶が何か副作用を及ぼす薬であることも、経験から分かっている。
目の前のグラスに注がれた薬茶の色は、経験から分かる警告色だった。
「入れてねえよ、ただのほうじ茶だ」
「ほうじ茶?」
モルーギのグラスに注がれたものも同じ色をしている。
「気になるんなら毒味をしてやってもいいぞ。……ほら」
そう言って老翁はニコの前のグラスを手に取り、一口飲んで見せた。
「な?」
「……うん」
老翁が飲んだのを見届けて、それでようやく安心したのか、ニコはそのグラスに口をつけた。
香ばしさが鼻を抜け、溶けるような甘味が口に広がる。
苦味は無かった。
苦味がなかったからだろうか、ニコは、同じ色をした薬茶を手渡されたときのことを思い出す。
ムヌーグは、苦味のある方が薬効があるということを言っていた。結果、ニコは確かに強い薬効に倒れ、痛みに生死の境をさまよった。目覚めた時に聞かされたが、それはニコの失った脚を生やせるかもしれないと試したのだということだった。
本人に無断でそんなことをするのはおかしい、と抗議したものの、きっと事前に説明があったとしても失った脚が戻ってくるということに喜び、二つ返事で薬茶を飲みほしたかもしれないとニコは思った。
失った脚が戻れば、自分の足できちんと歩ける。
結局それは失敗に終わり、痛みや副作用に悩まされる間、ニコはずっとムヌーグの甲斐甲斐しい看病に助けられてきた。
そして、それが当たり前だと思った。
当たり前だと思っているうちに、どこかで依る心が育ち始めた。依存の心はニコのあずかり知らぬところでスクスク育ち、ニコの心にあった強い意志を養分にし始めた。
「でも、最初に薬を盛ったのはムヌーグだよ……」
つぶやくニコの言葉に、老翁の口の端がわずかに上がる。困ったように頭を傾けて、それから顎髭を撫でつける。
「そりゃあそうなんだけどよ。嬢なりの考えがあってのことなんだよ」
「考え?」
「何て言ったらいいんだろうな。……アイツは、一緒に生きられる人間を探しているんだ」
「一緒……?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます