第21話 ムヌーグは食事を作って戻ってきた
次の日、ニコが目覚めたのは日の光も中天に差し掛かろうというころだった。
体中が、特に足が痛む。鉛のように重く、うまく動かない。いくら独房の中で鍛えていたとはいえ、狭く閉ざされた部屋でできることなどたかが知れている。実際に外を走り、歩き、慣れないペースで誰かについていく経験は、心身に大きな負荷を与えていたのだ。
「起きたか」
装備の手入れをしていたムヌーグが、テーブルに小刀を置いて言う。
「帰ったなり操り人形の糸が切れたかのように眠りやがって。運んでもらったことに感謝しろよ」
昨晩の記憶がほとんどないのは、疲れだけが理由ではなかったようだ。帰路の途中でニコは既に半分眠っているような状態だったのだろう。
「ちゃんと家に着いたんだから、いいでしょ」
「よくない」
ふかふかのベッドから起き上がると、昨日まで着ていた服と違うものに着替えさせられていたことにニコは気づく。それだけでなく、体中から石鹸の爽やかな匂いが漂っている。どうやら、寝ている間にいろいろと身支度を整えてくれたらしい。
「そういうのは、お前自身でやることだ。それが当たり前のことだ、違うか?」
確かにその通りだ、とニコは思った。自分で身の回りのことができなければ、それは幼子と変わりない。
「でも、疲れてたから」
「言い訳なんか聞きたくない。……と、言いたいところだが、疲れていたのは確かだろうしな」
手入れをしていた装備をテーブルに置き去りにしてムヌーグが立ち上がる。
「朝食……と言うには遅いか、昼食にしよう。用意する」
「僕が用意する、ッ、いたたた」
ベッドから起きようとしたニコの全身に、痛みが走る。筋肉疲労だ。
「何が用意する、だ。人間の子どもが料理なんて作れるはずがないだろう。待ってな、私が適当に作ってやるから」
「作る、ってムヌーグが?」
「おっ、バカにしてんのか?私だって料理くらいそれなりにできる」
いー、と歯をむき出しにしてムヌーグは部屋を出ていった。
ニコはベッドの端に腰かける。部屋の反対側にあるテーブルに置かれたムヌーグの小刀は、一本だけではない。数本の小刀はどれも同じ形で、先端がわずかに湾曲している。また、小刀というには刃の厚みがありすぎるようにも見えた。
ムヌーグが戦っていた様子を思い出す。
彼女は全身をたわませ、四肢を地面に着けた獣……それこそ狼のような戦い方をしていた。両手は硬く発達した爪があったが、もしかしたらこの小刀がムヌーグの爪の役割をしていたのかも知れない。
ニコはベッドから立ち上がり、関節の痛む足をひょこひょこと動かしてテーブルに近づくと、その小刀を見定めた。
濡れているような刀身は、鏡のようにニコの顔を映しだす。刃は片刃で、厚みがあるのは切れ味鋭そうな刃とは反対側のようである。
「カッコいい……」
小刀はニコが想像していたよりもずっと重たかったが、それが逆に子ども心に火をつけた。布を巻いただけの簡素な柄と、装飾のない無骨な小刀は、どこかムヌーグの素っ気なさに通じるものがある。
ニコはそういう素朴なものが嫌いではなかった。
「あ」
素朴なもの。そこまで考えて、ニコの脳裡に杖のことが思い出された。
「忘れてた……早く見つけに行かないと」
ムヌーグは食事を用意するからとは言ったが、ここで待っていろとは言わなかった。
そうでなくともニコはまだ子ども。
他のことに優先されるものが思考を満たしてしまえば、それ以外のことなど考えられなくなってしまう。
次の瞬間には、身体中の痛みなど気にするものかとニコはその部屋を出ようとドアノブに手をかけた。
ドア向こうから、ノブを回される。
「ん、どうした?」
湯気の立つ食事を片手に携えて、ムヌーグが戻ってきた。
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