第6話 オーインクは殺気立って二人を囲った

「ちぃッ!風向きが変わりやがったか!」

 ニコまでわずか数歩に迫ったオーインクの追手が周囲に合図を送ると、建物の窓や扉から一斉に大柄の男たちが現れた。

 ニコの真後ろに現れた大男の振り上げた腕には、人間ほどはあろうかという金棒。

「お前らはあの犬コロを相手にしろ!」

 金棒が振り下ろされる。

 ニコの頭めがけて振り下ろされた金棒は、しかし空を切った。

 疾風が舞う。銀色の軌道がつむじ風のようにニコを包み込む。空を切った金棒に何か風のようなものが触ったかと思うと、次の瞬間には大男の目の前にムヌーグの姿があった。

「誰が犬コロだウスノロ」

 宙に浮いた状態から大男の頬を思い切り蹴り上げる。反動で回転して更に回し蹴りを放ち、そこから足を揃えて鼻っ柱へ後ろ蹴りを放つ。

 後ろ蹴りで距離を取って地面に着地すると、ムヌーグの動いた軌跡にようやく砂埃が舞い上がった。

 オーインクは丸太や金棒を振り回すのを得意とする。質量の暴力を破壊力にするために遠心力を用いるにあたって、彼らの膂力を活かすのにはもってこいの武器だ。

「武器持ちか」

 両手を地面に着けたムヌーグが周囲を警戒する。体を屈めて四足で地面を掴むその姿は、イヌ科の亜人が獣化するとき特有の姿勢だ。両手の爪は硬く伸び、獣の耳と銀色の尻尾が現れている。

 鼻をスンと鳴らしたのは、周囲の人数を確認するため。

 金棒持ちの大男が三人、その周囲に無手のが五人。金棒持ちの中でも一際大きい目の前の大男が集団のリーダーと見て間違いなさそうだ。

 リーダーの大男は、顔を傾けて蹴られた鼻を鳴らした。

 真っ赤な血が、道路にビシャリと垂れる。それ以上の血は出てこなかった。興奮で血が止まったようだ。

「おい、ニコ。テメエは逃げられねぇんだよ」

 金棒を軽々と持ち上げて肩にかけると、リーダーはさらに周囲に合図を出した。

 金棒を持って現れた残り二人がムヌーグの横に立ちふさがる。重心を低くして、素早く動けるように両脚をわずかに開く。

「ニコ、お前はオーインクからもそう呼ばれてるのか」

 ムヌーグは独り言のように呟いた。背中のニコは何の反応も、ない。

「おい、犬コロ。今なら許してやるから、ソイツを置いて行け」

「さっきも聞いた話だな。同じことを二度言わせるんじゃないよ」

「……殺すぞ」

 オーインク達の殺気が周囲の空気を歪ませる。

 恐らく、この隊列自体がオーインクの得意とする陣形なのだろう。空間を満たす殺気が濃くなって、ムヌーグの肌を刺す。

 並の亜人であれば、その気に中てられて戦意を喪失するだろう。

「やってみろよ」

「待って!オーインクたち、僕が持っていた木の杖を知らないか」

 一触即発の雰囲気の中で、ニコの場違いな質問が響いた。

「はァ?知らねぇよ。例え知ってたとして、今知ったところでテメエにはもう無用だろうが」

「ニコ、今はそんなことを言っている場合じゃあ……」

「ダメだムヌーグ!アレが無いと……」

 ジタバタと背中で抵抗するニコの姿を見たオーインクのリーダーが、何かを察する。

「……そう言やあ、何かそれっぽいものを拾った気がするなあ」

「本当か!?」

「おい、ニコ」

 ガバリと身を乗り出したニコに、ムヌーグのバランスが崩れる。

「そうかも知れないし、そうじゃあないかも知れない。だが、確認するためには俺についてくるしかねえなぁ」

 リーダーもすっかり殺気を収めて、下卑た笑みを浮かべている。肩にかけた金棒をトントンと叩くそぶりをして、余裕を見せながら。

「……ムヌーグ、ありがとう。下ろしてくれ」

「罠に決まってるだろ、ニコ」

「それでも」

「大切なモンなんだろう、ニコ?真偽はどうあれ、テメエは俺について来て確かめる以外にねぇもんな?」

「捕まったらもう自由はないぞ。もう片方の足も切られて、自分では身動きもできなくなる」

「それでも……」

 あまりに頑ななニコの様子に、いよいよムヌーグはその落とし物の正体が気になり始めた。

「どうするんだ!ニコ!」

 リーダーが声を荒げる。

「ごめん、ムヌーグ」

 ムヌーグの背から降りたニコは、片足でゆっくりとリーダーに向かって歩き出す。

 逃げる自由もなくなるのを覚悟で、自分の身にふりかかる危険をも顧みず、その後の人生を全てなげうってまで、取り戻さなければいけない

 ニコはそれを「未来の世界」だと言った。

 世界の命運がニコの手にかかっているとして、隻脚の生意気な少年に委ねられているとして、その落とし物がニコの手元に戻ったとしてもそれで世界が救われるとは到底思えない。

 それはおそらくニコの手になければいけないもので、しかしそれだけでは何も変わらないものなのだ。

「ニコ、それで世界は救われるのか?」

 ムヌーグの問いに、ニコの足が止まる。

 それが、答えだった。

「分かった。乗りかかった船だ。この場は私に任せろ」

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