第5話 追手は二人を発見した

「ねえ、ムヌーグ」

「何だ?」

「せっかく助けてくれたんだから、最後まで僕を助けてよ」

 厚かましい願い。

 だというのに、ニコの眼差しには恥じらいも衒いもなかった。それを世間知らずと一蹴することは簡単だが、ムヌーグにはどうにも腑に落ちない点があった。

「助ける?わざわざ追手のいる方へ戻るバカを助けるのか?」

「落とし物をしたんだ」

 ニコはわずかに俯いた。その視線は、ムヌーグから逸らしたというよりも、落としてきた方向、つまり先ほどムヌーグが気まぐれにニコを窮地から救った場所へと向けられているようである。

「その落とし物を拾ってくると?」

 ニコが頷く。

「その落とし物が、お前の命よりも大切なものだと?」

 もう一度、頷く。

「それは何なんだ?」

 口を開きかけたニコは、しかしそれが何であるかを答えることはしなかった。ただ口をもごもごとさせて、視線を泳がせるだけ。つい先ほど、名前を聞いたときと同じ狼狽え方……。

「……いいか?さっきも言ったように、私はお前を気まぐれで助けただけでそれ以上の義理はなにもない。ましてや、落とし物を拾うために命を捨てに行くような奴をどうして助ける必要がある?」

 ムヌーグが冷たく告げる。

 ひたむきな瞳は、ただの見当違いだったのかもしれない。ムヌーグが小さく舌打ちをしてその場を去ろうとすると、そこでようやくニコは口を開いた。

「世界」

 そしてその言葉はあまりに突拍子もない言葉だった。

「は?」

「僕が落としてきたものだよ。未来の世界を落としてきた。それ以上の説明は、ムヌーグが僕を助けてくれるって言うまで、教えられない」

「いや、世界って……ニコ?お前は何を言っているんだ?」

「本当だよ。僕は未来の世界を落としてきた。あれがなければ、この世界に、未来は無い」

 未来はない。

 ニコの眼差しは、どこまでも純粋だった。

「ふっ……アハハハハッ!ニコ、お前こんな時に冗談を言うなんて、ずいぶんと肚が座ってるんだなあ!アッハハハハ!」

 あまりに真面目な顔で壮大なことを言うものだから、ムヌーグにはそれが己を助けてほしいがための冗談にしか聞こえなかった。

 笑うムヌーグを、笑わないニコがジッと見つめている。

「アハハハハッ……。笑えよ、冗談なんだろ?」

「やっぱり、亜人はそういう反応をするよね」

「……なんだって?」

「いいんだ……分かっていたことだから。亜人に頼ろうとした僕がバカだった」

「はァ?おい、いくらなんでも命の恩人にそれはないだろ」

「うん、そうだね。助けてくれてありがとう。それじゃあ、さようなら」

 ムヌーグに背を向けて、ニコは元来た町の中心の方へと戻っていく。柵からほど近いところまで伸びた道は、それを囲むようにコンクリート造りの真四角をした建物が建てられている。

 それはオーインクによって支配されるこの町の末席に連なることを許された亜人たちの住処であり、あるいはオーインクの中でも支配を受ける側、ほとんど虐げられていると言ってよいような者たちの住処でもある。

 道に面した建物は、灰色の絶壁を思わせる。ところどころに窓がはめ込まれているだけで、道は切通しを連想させる。

 まるで、地上にできた溝のようだった。

 オーインクが往来するため、その道は末端だというのにやけに広い。

 だからこそ、その道を通って戻ろうとするニコの後ろ姿はあまりに小さく見えた。

 ムヌーグは大きく溜め息を吐き、額を手の甲でさすった。

「おい、ニコ!」

 少年は、ふり返らない。

「お前はすぐに捕まるぞ!人間はペットとして管理されるために首筋にマイクロチップが埋め込まれているはずだ!お前の居場所は筒抜けなんだよ!」

 元来た道を引き返すニコが立ち止まる。

 建物の影に隠れて、その姿はどこかぼやけて見えた。

 振り返ったニコの表情もまた、建物の影が濃いために見えなかった。

「それでも!僕は未来の世界のためにアレを取り戻さなきゃいけないんだ!」

 風向きが、変わった。

 今まで、柵の外から吹いてきていた風が、急に町の中央から流れるようになった。

「ニコ!走って戻ってこい!」

 ムヌーグが地面を掴んでニコへと駆け近寄る。犬歯を覗かせたムヌーグの剣幕に怯んだニコは、後方へたじろぐこともできなかった。

 そして、それが逆に奏功した。

 ニコの背後には、建物に隠れてやってきた、追手の姿があった。

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