第4話 銀髪の女性はムヌーグと名乗った
差し伸べられた手を取ると、ニコは簡単に引き上げられた。
「私の名前はムヌーグだ」
「ムヌーグ?」
名前としては珍しい響きだ、とニコは思った。
「変な名前だと思っただろ?私は手をつなぐと相手の心の内が見透かせるんだ」
ぎょっとして、ムヌーグと名乗った銀髪の女性の顔を見る。
ムヌーグは意地悪く笑っていた。
「冗談だ。亜人の中でも、特にイヌ科に多い名前だよ。私は狼の亜人でね。ただ、私みたいに女で名付けられることはあまり多くは無いけどな」
そう言って、ニコの背中についたほこりを軽く払ってやった。
先ほどまでの冷徹な表情がまるで嘘だったかのように、穏やかな、暖かい表情をしている。
「それで、ニコは何をそんなに慌てているんだ?」
「そうだ……戻らなきゃいけないんだ」
「戻らなきゃ?拾った命をまた捨てに行くのか?」
確かに先ほどは気まぐれにニコを助けたムヌーグだったが、それが本当に迷惑な事だったとは思っていない。生きていれば何とかなることの方が多い世の中だ。まして人間は、生きていることにこそ価値がある。
大柄の男たち……彼らは皆、豚や猪の亜人――オーインクと呼ばれる種族だった。この町はオーインクの縄張りで、支配者もまたオーインクである。薄い桃色がかった、あるいは浅黒い肌色をして、人間の倍はあろうかという体躯をしている。人間がオーインクとまともにやり合えば、例え武器を携帯していても勝つことはないだろう。
「ニコ、お前はどこかオーインクの下から脱走したんだろう?」
オーインクがこの町の支配者である以上、権威を守るために警察の役割をするのは当然だ。秩序とは常に支配する側によって規定されなければならない。そこから推測すれば、ニコがあれだけの数のオーインクに追われていた理由はそれしか考えられず、そして、脱走した人間がどんな目に遭うかなど想像に難くない。
ニコはムヌーグを見上げたまま、わずかに頷いた。
「だとすれば余計に、だ。今、町の中央ではお前を血眼になって探しているはずだ。ペットが脱走するなどというのは、オーインクの秩序を乱す。町の秩序を保ち、オーインクによる支配を万全にするためには、逃げたお前に対する罰が不可欠だからね」
ムヌーグは柵に軽く腰掛けた。木製に見立てたモルタルの柵はところどころ塗りが剥げて崩れている。ざらついた感触が肌を刺激した。
「……ニコ、お前が隻脚なのはもしかして」
既に一度脱走を試みて、その罰のために足を失ったのではないか。そんな懸念がムヌーグの脳裡に浮かぶ。
立たされたまま直立不動のニコは、首を横に振った。
「僕が片足なのはさっきのオーインクたちのせいだけど、理由はそうじゃない。それよりも、僕はやっぱり戻らなきゃならないんだ」
「自分の命よりも優先することがあるのか?」
それがオーインクの秩序を守ることであれば、そもそもニコが彼らに追われる筋合いがない。
「ある」
ひたすらに真っ直ぐな視線を向けるニコに、ムヌーグは逆に興味が湧いてきた。背格好に違わぬ生意気さを見せていた少年の、そのひたむきな視線だけが妙に切羽詰まっているようにムヌーグには感じられた。
まるで、仔犬のようだと思った。
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