頼むから離れてくれ

木村あるみ

第1話 俺はお前が嫌いだ

 ――社会の残酷さを知る前に、人の冷酷さを知った。



「ごめんね。お前とはもう友達じゃないから」

「えっ、何? まさか本気で友達だと思ってたの?」

「あんなの嘘に決まってんじゃん。誰がお前みたいなやつ――」


「「好きになるかよ。ばーか」」



 ――社会の生き辛さを知る前に、人生の死に辛さを知った。



「自殺したいだと? 下らんこと言ってないで立ち向かったらどうだ」

「そんな簡単に逃げ出すだなんて、キミの人生は楽でいいね」

「そもそも、いじめられるアンタにも非があるんじゃないの?」



 ――この世界に味方なんてものは存在しない。

 誰も彼も、身勝手な主張ばかりを重ね、焼け焦げた身体に塩を塗ろうとする。


 痛くて痛くて。きっと首を絞めた方が楽なのではとおもうほど、痛くて。

 辛くて、悲しくて、寂しくて。――いつの間にか、そんな感情さえなくなって。


 

 俺は――。





 一匹狼という言葉はカッコよく聞こえるが、その語源は実に愚かなものだ。

 群れを成し、集団行動をする狼のなかで、その輪を乱すような行動をする狼は、集団からハブられる。こうして孤独となった狼のことを、一匹狼と呼ぶ。

 群れで生活をするのが狼であるならば、単独で行動する狼の強さが如何ばかりか。それくらいなら想像に容易い。獲物を囲めない、つまり餌にありつけずに飢えて死ぬ。群れて大きく見せ、追い払っていた天敵から狙われて殺される。

 これは狼だけに限ったことではない。狼も人も、集団から外れた途端に社会で生き辛さを知るのだ。

 

 つまり何が言いたいのかというと、その一匹狼こそが俺なのである。

 集団の輪を乱し、結果学校という大きな集団から追いやられる。孤独となり、人とする会話は最低限のものに収め、あとは声の出し方も忘れるくらいの静寂を貫く。

 これは高校での話ではなく、中学の頃の忘れたい思い出だ。

 理由は分からない。生まれつきの目つきが不良っぽいだとか、会話下手なのが気持ち悪いだとか、生理的に受け付けないだとか、中学生らしい子どもの嫌悪感で、俺は孤独になった。

 幼少期の生活は、良くも悪くもトラウマになる。周りからのいじめを受け、無視を決められ、理解者の一人もいない。あまつさえ無関係な人は関わろうともしない。

 どこかの漫画で、『敗北の星に生まれた』なんて言葉があったような気がしないでもないが、もしそんな星があるとするあらば、きっと俺もそこ出身に違いない。


 手代木てしろぎはやて。敗北の星からやってきました、人生の敗北者です。まる。


 幸いにも、高校の二年生にもなると、いじめなどという下らない遊びをする者は数少ない。少なくとも、表立って堂々と悪意に手を染めはしないし、裏でネチネチとされるほど、高校生の俺は目立っていない。

 苦というか楽というか。自分にとって都合の良い人だけを輪に引き入れ、それ以外は『それはそれとして』と外側に置いておく。

 これが高校生の当たり前。本能や感情を理性で抑え、しかしできる限り満足のいく結果を得られることを考えられる頭になった、高校生の真実ともいえる。

 これを否定する人には是非問いただしてみたい。

 果たして君は、君がかけがえのない人と撮った大事な写真を陰で引き裂くような人と、それでも友達になりたいと思うだろうか?


「昨日のテレビ観た? あの、お笑いのやつ」

「観た観た。四組目が超つまんなかったやつでしょ? 萎えちゃったからチャンネル替えちゃった」


「なあ、あの先生の態度ってウザくね?」

「わかる。担任じゃないことを祈ろうぜ」


 いじめは無くなり、されど悪意は無くならず。

 人と人が何らかの形で関わりあう以上、そこに多少の悪意は生まれる。

 あの人の性格が、笑顔が、喋り方が、顔が、服装が、声が、趣味が、特技が、好物が、所持品が、親が、友達の友達が――嫌だ嫌だ。嫌だ、嫌だ。

 全員ではない。ただ、ほぼ全員が、多かれ少なかれ他人に抱く感情である。感情を理性で抑えることが出来るようになった代わりに、あるところでその感情を誰かに垂れ流す。

 つまるところ中学生と高校生の違いは、抑えられる期間が短いか長いか、それだけの違いで、もしかしたら中身は全く変わっていないのかもしれない。

 それについては、俺自身もそうだ。今もこうして、中学時代を思い返しながら、教室の隅でクラスメイトの雑談を横耳に聞いているばかり。

 友を作り、最後に裏切られるくらいならば、そんなまやかしは最初から無い方がいい。タッグマッチで隣からの襲撃を受けるくらいなら、目に映る全員が敵であるほうがずっと楽だ。


 ――チャイムが鳴る。外で遊んでいた人も教室で喋っていた人も、この音を聞けば一人残らず教室に集まってくる。そう考えると、このチャイムが羨ましい。


「ホームルームを始める。担任の杉田春子だ。一年間だが世話するぞ。……さて、ひとまずはあれだ。右前の席から順に自己紹介しな」



――地獄だ。





 ホームルームはつつがなく進行し、気が付けば放課後。沈黙を守っていたときはよく聞こえた時計の針の音が、今は教室内の談話で何も聞こえない。

 鞄を手に取り、直線で教室を出ていく。このままあの場所に戻っても、彼らの話に混ざり込むことはできないのだ。

 中学時代に友にいじめられて以来、俺に残ったトラウマ。それは、友を作ること。友の輪に入ること。だから、高校に入学したときから誰とも歩日うようなやりとりをせず、結果ここでも独りというわけだ。

 ただ、中学時代より苦しくはない。先述の通り、最初から全てが敵であれば、味方の関心を恐れる生活より断然良い。

 当然、部活にも所属はしていない。正直運動が得意だとは思っていないし、間違いなく一人以上と関わらなければいけない場所に自らの足で行きたくないし、何より興味のある部活がない。

 ここに俺の居場所はない。俺の居場所は、もっと違うところにある。


 学校から空に浮かぶ雲を眺めつつ、歩くこと二十分の電車に乗る。最寄り駅は学校から徒歩二分の場所にあるが、利用する同級生がほとんどいないという理由だけでここまで歩いている。

 改札を抜けてすぐに来た電車に乗り、揺られること十分。次の電車に乗り換える前に、一度その駅で改札を出る。

 そこから歩いて三分ほど。最後に階段を上ると、河川敷に到着する。

 決して綺麗な場所ではない。が、流れる川は次々に新しい水を寄越し、防波堤にぶつかって起こる飛沫が耳障りの良い音を立てる。この場所で、防波堤に座って日が暮れるまで川が流れるのを見ているのが、俺の一日を締めくくるのだ。

 対岸や、背後の建物には目も合わせない。何も考えずに川を見て、たまにを空の色を確認して、少し遠くの橋を通る電車の轟音に耳を傾ける。それだけで、何だか違う世界に入り浸っているような気さえしてくる。

 対岸で、釣りをしている初老の男がいる。毎度同じ時間に此処にいるが、何かが釣れているのを見たことが無い。

 ふと目が合って、男が手を振ってきた。近くに彼の友人らしき人がいないのを目で確認してから、振り返して答える。それだけで会話をすることもないが、このやりとりは、俺のささやかな一日の楽しみとなっていた。

 今日も坊主らしい。だが、めげずに釣り糸を垂らす姿は、尊敬にも値する。


 日は徐々に傾き始める。一度傾くと、あとは嫌になるほど早い。たまに空を見あげてはその色や雲を見ていたが、気が付けばもう茜色だ。

 そろそろ帰るか。重い腰を上げた、そのとき。


「あっ……! あの!」


 一人の女が、俺の隣に立っていた。


 勿論、俺は彼女のことなど名前すら知らない。

 今までの人生のうちでどこかで見たことがあるかな? その程度の印象しかない。というか、俺が個人に対して抱く印象は大体それしかない。

 あとは……この人、背が低いな、とか、髪が茶色いな、くらいか。


「……何すか?」

「あ、あのね。私、朝宮佳穂って言います。言うんだけど……」


 この時点で、きっと俺の頭はフリーズしていたんだと思う。

 俺はバカではないし、鈍感でもない。その人の喋り方、態度、表情から、次に『どんな感じの言葉が飛ぶのか』と予想できてしまうのである。

 これが元いじめられっ子の特技。『鑑識眼』である。

 そして、あまり自信のないその力は、ものの見事に的中した。


「貴方のこと、良く知りたいので友達になってください!」


 予想通りでは無かったが、方向性的には間違っていなかった。

 そして、それに対する言葉はすでに用意してある。


「……俺は君が嫌いです。ごめんなさい」


 辺りの静寂が、少しばかり痛かった。

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頼むから離れてくれ 木村あるみ @alminal2o3

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