周囲で食事を摂っていたはずの研究員らは、既に各々の実験室いばしょへ戻っていったようだ。……いつもはのんびり談話しているのに、比良シズクが来る日はいつもこうだ。


 厨房の奥から響く食器のぶつかる雑然に目を泳がせながら、彼女は机に一つの端末を置いた。


 置かれた端末は誰でも持っている、いわゆる携帯通信端末だ。しかも最新機種。

 彼女はそこから投射される光板を操作して、僕に一枚の画像を見せた。


 白地図。

 この街の周辺を表したそれには、所々に濁った色の水滴を垂らしたような広がりが上乗せされていて、____僕はこの地図には見覚えがあった。


大洞おおあな街の魔力濃度まりょくのうど、ですか」


「ええ。ココを中心として、……まあ、街を中心として大洞と他の街の境界くらいまでの範囲で、魔力の濃度を地図に載せたやつ」


 所々、斑点状に黒っぽい染みは魔力溜まり、つまりは魔力の多い場所。……大洞街周辺には比較的これが多い。というか、あえて魔力溜まり、____つまりは魔モノが発生しやすい場所を選んで実験の街を作ったらしい。


 性能試験は、結局のところ実戦が手っ取り早いのだ。


 大洞街周辺、ぎりぎり他の、普通の暮らしが営まれている地域との境界線に届くか届かないかの魔力濃度分布図。


 何を指し示したいのか、分析に慣れない僕が意見をいうよりも先に、シズクが解を示した。

 


「見てほしいのは、この部分よ」


 的確に指されたそこは、街からそこそこ西へ行った、小高い山や丘があるような場所。

 そこには、インクをこぼしたような黒い染みがあった。


「……なんですこれ」


 驚いた。他のものはすべて、もやのように薄いか、濃くても灰色なのに。それだけ明らかに、小規模だが黒という言葉で表せるくらいの色をしていた。



「これ、魔力を集めて、誰かが実験テストでもするんですか?」


「いいえ。正真正銘、人の手のかかっていない魔力溜まりよ。……ただし、特段濃いやつ。それと、これが三日前のデータね。比較してみて」


 シズクは僕の言葉に頷きながら二枚目の地図を提示した。同じ縮尺、同じ場所。同じそこには、濁りなど全く見られない。低濃度のそれすらみられなかった。

 彼女は人差し指を天に向け、忠告するように解説を始めた。


「一般的に、魔力溜まりっていうのは長い時間をかけて形成されるもの。……けど、さっきキミが言ったみたいに、兆候は今まで一度も見られていなかったの。発生したのは昨日の夕方、突然に」


「けど、普通の魔力溜まりはもっと濃度が薄い。濃度が高すぎます。機器の不具合とかじゃないですかね」


「”NO”よ。故障があったのなら、すでに大洞の頭脳たちが対策しているはず。……これは正真正銘まちがいなく超特濃の魔力溜まり地獄の大釜よ」





 魔力溜まりポンド。____それがもたらす影響は、人類ひとびとにとって悪影響なものが殆どだ。

 ”食い荒らし”による自然環境の変質、有害な汚染の発生、人体への影響、魔術の誤作動。

 そしてなにより、魔モノの出現。


 魔モノの発生条件は様々だが、なかでも魔力の乱流である魔力溜まりからは発生しやすい。

 そして、その濃度が高ければ、それだけ危険度は跳ね上がる。


 


「シズクさん、今回僕にやってほしいことって、この魔力溜まりの調査、ですか」


 調査であれば、……とりわけ、このような”超”危険地の調査であれば彼女一人で行うよりも人手が欲しい。なにがおこるかわからないし、いつ魔モノが現れるかもわからない。シズク一人では、万が一のときに対応ができないかもしれない。



 しかし、彼女は首を横に振った。黒髪の奥に見えたのは歯切れの良い笑み、心底楽しくなさそうな目だけはそのままに。



「わたしが最初、なんて言ったか。……乃守ののもりクン」


「……えーと」


 唐突な質問に固まった僕を見て、彼女は目を伏せながらこう言った。



「昨日、調査ならしてきたの。……いいえ、真夜中にしぶとく逃げる子供二人追い掛けながら、するはめになった」


 昨日の夜。確か、脱走者が出たということだった。

 被験者のうち顔も知らない誰か。

 もちろん本人と研究者、互いの合意のもとで被検体となることがこの大洞街の原則だ。だが、それでも、予想していない苦難や、苦痛に悩まされることが少ないわけではない。

 逃げようとすることだって、ここの誰もが一度は想像するだろう。……問題はそれが、ということ知った上で実行されるかということだ。



 万が一、逃げられる確率。それは、比良シズクという、この国において有数の戦力と、それに追随する大洞の最高治安維持組織、「衛士トラノメ」との鬼ごっこに勝つという不可能を乗り越えるということ。


 どうやら件の二人は、非常にがあったらしい。



「……逃げた二人は、魔力溜まりに飛び込んだんですか」


「ええ。少年と少女、現在も逃走中の二人はかなり焦っていたみたい。明らかに危険だって、誰でもわかるくらいにもう”食い荒らし”が発生していたけど。……それでも、そこに入るほうがマシだったみたいね。それが運の尽きだったともいえるけど」


 だがもう、夜が開けて8時間は経過している。うまく抜け出して隣街まで逃げきれたということも、あるいは。


「今、その二人は?」


「__はじめての大洞抜け。……もしそうなっていたら国際問題レベルの大事だけど、今はまだそうなっていない。理由はわかる?ヒントは、……というか答えは今の流れ」



 逃げる。この街から、隣の街まで。……試したことは一度もないが、脱走するなら体一つでの走破はしたくないだろう。なにより、衛士が逃さないに決まっている。

 逃げる。……一番近くても、歩けば一日かかるような、過酷で長い、危険な距離。

 加速、もしくは肉体強化の術式が欲しいはずだ。


「……飛び込んだは良いものの、術式不良で立ち往生ですか?」


 だが、彼らは僕と同じように、大洞の被験者。であるなら、用意できるものなどたかが知れている。対策などされていない粗悪なモノしか持っていなかったということだろう。


「そうね、不具合。彼ら二人はまだ、まともに移動も出来ないほどに過剰な魔力溜まりの中にいるわ。……もしかすると、もうすでに”食い荒らし”が始まっているかも知れない」


 ____”食い荒らしチューニング”。人間や動物、植物の中にも流れる魔力が、周囲のより強い魔力に流れを合わせようとすることで起こる、体内での暴走。


 


「と、こういう感じね。……ただ問題は、”なぜ”こんなものが発生したのか、というところじゃない。この魔力溜まりはあまりに急に出来過ぎで、しかも濃すぎる。その理由」


 ____それは。


「この魔力溜まり、核があったの」


「核?……どいういうことですか」


 核なんていう単語、この手の話で聞いたことがない。訝しむ僕を見て、目を細めながらシズクは続けた。


「特に濃い場所を一気に通過したときにね、私みたの。……装甲車がちょうど5台あっても足りないくらいの、大きなそれが、眠っているのを」


「その魔モノがこの魔力溜まりを引き起こした。……って、言いたいんですか?」


「多分。だって、そいつが寝ている場所、明らかに魔力が濃かったもの。私ですら、その近くじゃ魔術が使えなかったくらいにね」


 一息。


 比良シズクは、黒色の戦闘服に入った鈍色のラインを撫でながら、そしてもう片方の手では冷めきったコーヒーの残りをゆっくりと揺らしながら、最後に小さな声で話しかけた。


 

 僕が聞いた声は、いつもと同じ、艶のある静かな声で。……加えて少しだけ、困ったようなためらいが感じられた。


「乃守クン、なんで私がキミに頼んでいるか、大体わかったでしょう?」


 頷いた。


 人体に影響が出るほどの超危険地帯で、逃げ出した二人の被験者の保護。

 ……ただし、最高峰の戦士シズクさんですら、魔モノに立ち向かうために生み出された人類のもぎとったちから、魔術を十全フルに使えない。


 そんな状況で、比良シズクに追随するパフォーマンスを出せる人間。そんなものがこの大洞街に……しかも今晩の融通がききそうな人間がいるのだろうか。

 ___僕という、を除いたら。



「お願いね。今晩にケリをつけたいの」



 再び、頷く。

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