4.

 寂しさを拭ってくれるもの、それは主に、僕の場合はファンシーラットというネズミの一種と早稲田駅徒歩5分のフリースクールであるが、これらのものが僕という人間とまだ接触がなかった時、僕は恐らく酷く寂しかったに違いない。


 今となっては推量することしか出来ないが、自分のことを、茶色だとみなす考えがほぐされるまでの過程において、人との交わりがあって初めて自分のことをもう一度受け入れるという作業ができたのではないかと感じる。


 ゆえにこのような「居場所」あるいは空間としてでなくても「心の居場所」となる機関、人に巡り合えたことが、何よりの人運であったと、心底感じる。


 と、同時にそのことがかえって僕のことを苦しめてもいる。なぜなら死にたいときにさらっと死のうとはもういかなくなってしまうからだ。まあそれはそれだ。僕の中に全く「生きたい」と思う僕がいないかというとどうもそうでもないらしい。


 このフリースクールで今後もお世話になりたい。新しい生徒も早く入ってきてほしい。一緒に大学や公認を目指したい。


 今ぐんぐん成長を続けるラットの赤ちゃんたちは、これから体がどんなふうに大きくなるのか。少し寂しい気持ちと、楽しみな気持ちが混在している。黒と白だけでなく、黒と白の混色の子もいる。大人になったら、どんな風になるのか。今はその、ラットの赤ちゃんの事が楽しみだ。


 まちがってももうピンクの個体はつくらないよう留意しておこう。



 なお、作中でラットのフンが服に付いた描写がありますが、こんなことは現実には起こったこともないしこれからも起こらないと思われるので、誤解をさせてしまったなら、お詫びします。

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僕の寂しさを拭ってくれる2つのもの。 @kamometarou

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