≪お母さん、私があなたの息子です≫【SIDE♂】

「では、今しばらくお待ちください」


 執事服を着たヤクザのような男が、一礼して部屋から出ていった。

 その執事のようなヤクザ…、違った。ヤクザのような執事の名は黒鉄岩城くろがねいわき。神家の執事で、年齢不詳。無口な大男だ。


 俺とハルは学校を休んで、今は実家の応接室で親父が来るのを待っている。

 この家に帰ったのは1年ぶりだが、久しぶりに帰ってきたせいかやはりデカいと感じてしまう。少なくとも俺が今住んでいるアパートの10倍以上はあるだろう。面積だけなら、ちょっとした幼稚園くらいはある。なかなかの豪邸だ。外装こそ殿様でも住んでそうな和風(書院造とかいうらしい)だが、内装は洋もあれば和もある。俺たちが通された応接室も洋風だ。無駄に鹿の剥製や高そうな坪だの猟銃(撃てないように細工されているが)が飾られている。


 ハルは黒い革のソファに沈み込み眠そうに目を擦っている。今は気の抜けたネコのTシャツと黒いパーカー、デニムっぽいスカートというジャリ餓鬼みたいな恰好をしている。ソファの高級感とのギャップがスゴイ。


「寝みい…」


「寝不足は美容の敵だぞ」


「うるせえ!誰のせいだと思ってるんだ!」


 ハルは昨日はあまり寝れなかったらしい。そのせいでイライラしているようだ。

 結局、夜があけても俺たちは元に戻らなかった。そのため、俺はハルとしっかり話し合って、結局は親父の手を借りる事に決めた。

 ハルはやはり苦い顔をしていたが、そこは自分同士ということもあって特に口論になることもなく「わかった」の一言で片が付いた。


 そして朝、学校に休みの連絡を入れて今に至る。

 漆塗りの立派なテーブルには、黒鉄がさっき淹れてくれた紅茶が二つ。

 俺たちは特に会話するでもなく、紅茶の味で緊張を誤魔化した。


 ガチャ…、ギイイイイイ。


 重い扉が開いて、黒い紋付袴姿の不機嫌な顔のジジイが腕を組んだまま傲慢な歩き方で、これまた傲慢な所作でどっかりと向かいのソファに沈んだ。何を考えているのか、目をつむっている。野郎。そんなに息子の顔が見たくないか。

 親父はでっぷりとした瞼をギョロリと開いてギロリと俺とハルを交互に見た。

 この男こそ俺の父親にして生涯の天敵となるであろう男、神天兵だ。


 目つきの鋭さは自衛隊時代に鍛えられ、瞼の油断ならなさは政治家時代に作られたのだろう。白くなった頭髪をオールバックにし、同じく白い口髭を蓄えている。70歳を超えてなお逞しい鋼のような身体は、自衛隊時代に鍛練たんれんされた結果か。

 猜疑心を練り込んだ精神と、傲慢を溶接した筋肉を鋳型いがたに流し込めばこんな男が生まれるのじゃないだろうかと俺は想像している。

 現に、俺を見る目つきは鉛のように重く冷たい。


「何をしに帰ってきた」


「おいおい。久しぶりに家に帰ってきた息子に随分な事を言ってくれるもんだな」


「何をしに来たと、聞いている」


 いかん、会話開始3秒もたたないうちに、頭がカーッとなってきた。

 この親父は人を不愉快にさせる為の特殊訓練でも受けているに違いない。


「じゃあ、単刀直入に話す。あまりにも信じられない話だから、どこから話したら良いか俺も解らんが」


「さっさと話せ。俺は、お前に失望している。1年前に自分の力で生きてやると大見得を切って家を飛び出し、1年もたたず家に顔を出すお前の浅ましさにだ。どうせろくな事でもないのだろう。さっさと言え」


 や、やろう。このクソ親父…。

 俺は殴りかかりたい気持ちを深呼吸して抑えた。


「わかった。つまり…」


「そして、隣に学友がいるにも拘らず、俺に紹介の一つもしてやれない思慮の無さにもあきれている」


 ブチブチブチブチ…


 ダメだ、すぐにでも話を終わらせないと、このままでは憤死しちまう。


 スゥゥゥゥゥゥゥ…、ハァァァァァァ………。


 俺は呼吸を整えてから口を開いた。


「とにかく、聞いてくれ。そこにいるのは、俺なんだ。分裂して女体化した俺なんだ」


 親父は驚きもせず、笑いもせず、表情を崩さぬまま俺とハルをジロリと見比べるようにして見た。


「………。まさか、そんな面白くもない冗談を聞かせに来たのか?今すぐ帰れ。俺も暇じゃない」


「冗談じゃない!親父みてえなユーモアの欠落者相手ににこんなクソみたいな冗談を言いに帰ってくるもんかよ!見たくもねえつらを見に!」


「言葉を慎め小僧。小物にしか思えんぞ」


「親父がそういう態度なら、この話はお終いだ。俺がバカだった」


「態度だと?何か勘違いしているな。お前は下。俺は上。それは年齢の差ではない。人間としての差だ。格下相手に目線を合わせるほど俺は出来た人間でない」


 一触即発。

 1分ほど、お互い睨み合った。

 隣のハルも、横目で見ると緊張した面持ちだ。女になって、少し気合いが抜けてるんじゃねえか?さっきから一言も喋ってない。


 はたして、にらみ合いが続くかと思われたが先に口を開いたには親父のほうだった。


「………ふむ。嘘を、言っている目ではないようだな。さすると、ついに気が触れたか、それとも…。まさかな」


 親父は天を仰ぎ見て鼻息を一つ。


「アマハル。お前は部屋から出ていけ」


「待てよ。話は終わっていない」


「出ていけと、言ったのだ」


 ギロリと睨まれた。

 悔しいが、思わず背筋がゾクリとする。

 まるで鉄の車輪に押しつぶされるかのような重圧だ。

 ハルが心配そうに俺を見ている。不安なのだろう。


「わかったよ。ハルの話を聞いてやってくれ。じゃあな」


 俺は応接室を後にすることにした。

 ちくしょう親父め。

 いつか後悔させてやる。






 ●〇●






 俺は書斎から追い出され、廊下でハルが出てくるのを待つことにした。

 中の会話が気になりはするが、どんなに耳を近づけても話し声は聞こえない。


「ちくしょう、馬鹿にしやがって」


 結局親父にビビってしまった事が今頃効いてきて、俺は泣きそうになってきた。なんで俺はあんな親父の息子に生まれてきちまったんだ。

 広い廊下で俺は無性に心がクサクサしてきた。


「あら、あらあら?ハルくん………?」


 と、気の抜けた女性の声が廊下の奥から聞こえて来た。

 窓からさす逆光で顔は見えないが、俺の良く知った声だ。

 その女性は、やや右に重心が傾いている。何故なら、右足が失われて義足だからだ。

 そして、右足を失う事になった原因は、親父にある。


「ハルくん。帰ってたのね?もう、帰ってきたなら呼んでよ!!ハルくんのいけず!!」


「か、かあさん…!?」


 と、突然。

 母さん…。神晴子は義足で起用に床を蹴り小走りに走り寄ってきたかと思ったら、俺に飛び込むように抱き着いてきた!受け止めなければ、母さんは顔面から床に受け身なしでダイビングだ。危ない!


 ガッシ!


 なんとか受け止めると、母さんは豊満な胸を俺に押し付けながら胸板に顔をうずめてスハスハ臭いを嗅いでいる。ちょ、ちょっと待って!クソ、いい臭いさせやがって!たまらず俺は母さんを腕で押しのけようとした。


「か、かあさん危ないだろ!離れて!離れて!!」

「いいじゃないのよ。1年ぶりじゃない!久しぶりのジンくん分を補給させて!!」

「離れろってこのロリババア!」

「ロリババア……!!?」


 その一言で、母さんは床に崩れてヨヨヨと涙を流している(フリをしている)。


「せっかく息子と1年ぶりに会えたのにこの仕打ち、私、ハルくんへの愛情が足りなかったのかしら…。ヨヨヨヨヨヨ…」


 母さんは実年齢と見かけ年齢が乖離かいりしている、妖怪変化の類で、ロリババアと言って差し支えないだろう。ただし、胸はデカい。たまによく見る「あらあらうふふ」というセリフが似合いそうな目の細い糸目のお母さんキャラが現実そのままになったような外見だ。まったく、なんでこの人があんな親父と結婚したのか理解に苦しむ。一度専門の研究者に解析してほしいもんだ。


「愛情は十分だから!破裂するくらい十分に貰ったから立ってくれよ」

「ホント!?じゃあ、ギュってして!!」


 再び母さんに抱き着かれる。

 ふわふわとウェーブが混じった、栗毛の髪から漂うかすかに甘いミルクのような香り。胸板に母さんの豊満な感触。心臓にまで伝わりそうな心地よい温もり。

 俺に近親相姦の性癖がなくて、本当によかった。


「離れて!母さん、離れて!!」

「あ~~~~~ん。ハル君のいけず~~~~~!!」


 ガチャ…


 母さんを引きはがそうと苦労してると、応接室の扉が開いてハルが出て来た。

 母さんは俺に抱き着いたままハルを見てキョトンと首をかしげる。


「あら、もしかして、ハル君の彼女?」


 いいえ母さん。その女はあろう事かあなたの息子です。


「母さん…」

 今の声は俺の声じゃない。ハルの声だ


「ほえ?」

 母さんは母さんで見知らぬ少女に母親呼ばわりされて、キョトンとしている。


 さて、母さんに何て言ったらいいものか…。

 とりあえずどいてくれよ母さん、オッパイが重い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る