第39話 剣の道

 「バッソ君!?」

 

 驚いた声と共に駆け寄ってきたのはセリエスさんだった。見回すとゴラノルエスさんも来ていて、すでにデルゲンビスト様の近くに立っている。

 

 「この人、キューラとかいう? え? バッソ君が一人で?」

 「なんとかね……、見ての通りぼろぼろだけどさ」

 

 セリエスさんがとても驚きながらキューラの意識が完全にないことを確認している。というか生きているのか、別に殺すつもりもなかったけれど加減だって微塵もしていなかったのに。

 

 「あとは……」

 「うん、あの人が……」

 

 ぼくがノブおじさんが戦っている方へと視線を向けると、セリエスさんも複雑な表情をそちらへと向けた。やはりあの黒装束がカイさんではないかと疑っているようだ。

 

 「くっ、なぜ……?」

 

 当の黒装束の方は、仮面で表情は全く見えないけれど、焦っているようだった。

 

 「なぜ俺を斬れないかって? 腕前が足りないからじゃねぇの?」

 

 挑発するようなことをいいながら、鋭く速い黒装束のサーベルをするすると躱し、ノブおじさんは草でも刈るような無造作な反撃を繰り返していた。

 

 「ねぇ、あの人の袖の下……」

 

 何度か斬りつけられた黒装束の服は、左腕の袖の部分が裂けて地肌が見えてきていた。しかしその地肌にはうねる蛇の様なタトゥーが彫られ、しかもそれが薄く発光しているように見えた。

 

 「あん……? あれはもしかして蛇光紋か?」

 

 するとぼくらの近くまで移動してきたゴラノルエスさんが何かを知っているようなことを言った。

 

 「それってまさか」

 「ああ、裏の連中がたまにしてる自己強化魔術、それをあんだけびっしりってことは相当寿命削って無理してるはずだ」

 

 魔術というのは魔法を儀式化したもので、体へ直接刻んだり、魔法効果が永続するように建物を建てたりすることだ。だから正確にはマジックアイテムなんかも魔術アイテムということになる。

 

 それより、寿命……、と思って恐る恐るデルゲンビスト様の方を見ると、小さくため息をついてから説明してくれた。

 

 「バッソ君のライトニングスピリットは繊細かつ高度な技術の結晶じゃ、一時的な負荷はかかっても命を縮めるほどの代償はないはずじゃ。だからこそ多くの魔法使いがその遺失魔法を研究しておる。一方であの蛇光紋は命の力を加速させて本来一生をかけて使うはずの力を先取りする邪法じゃ、まったく違うモノじゃよ」

 「というか、バッソ。俺たちが来る前に何かすごいことしてたのかよ」

 

 よかった、とりあえずぼくは早死にせずには済みそうだ。

 

 そしてノブおじさんの方は順調に追い詰めていっているようだ。あきらかに黒装束の動きに余裕がなくなってきている。

 

 「こんな、ことっ、がっ! アタイの剣がっ!」

 

 追い込まれるほどに黒装束は精彩を欠いているような感じだ。対してノブおじさんはまったく同じペース、調子がいいからといって力が入るようなこともない。

 

 「あんたの剣っていっても、何か無理な強化してるだろ、その体。身体能力は化け物並みだし、剣の技術も確かにすごい……が、全くそれがかみ合ってないな」

 

 ノブおじさんがそう言うと、図星だったのか黒装束は急に動きを止めて、立ち尽くした。しかしすぐにサーベルを握りなおすとそれまで以上のスピードでノブおじさんへと斬りかかっていく。

 

 「お前に何がぁっ!」

 「ほい、隙だらけ」

 

 気の抜けるような声で言ったノブおじさんは、黒装束の異常に速い斬撃を難なく躱しつつ、懐に踏み込んでロングソードの柄を仮面の中央へと叩き込んでいた。

 

 甲高く、弾けるような音と共にもとよりひび割れていた仮面が上下に割れる。

 

 そこには目を見開いて驚く、二十代くらいに見える可愛らしい女性の顔。そして額の大きな傷跡があった。

 

 「やっぱり! カイさん!」

 「ぐぅうう、ぅぁああああああああああああ!」

 

 しかしセリエスさんの声をかき消すように黒装束、カイさんは絶叫し、サーベルを取り落として自分の体を抱きかかえるようにしてうずくまってしまった。

 

 「いったい、何が……?」

 「おそらくじゃが、あの仮面が痛みを感じなくさせるようなマジックアイテムだったのじゃろう。やはりあれほど蛇光紋で体を覆っては全身の激痛でまともに動けるはずもないからの」

 

 狼狽えるセリエスさんにデルゲンビスト様が答えたけれど、それはとても残酷な内容だった。

 

 「そんな……、母さんの元から去って、それで辿り着いたのがこんなことだったっていうの」

 

 剣の技術を磨き上げて銀ランクにまで到達し、剣聖とまで呼ばれた当時のカイさんは、圧倒的な身体強化の才能に恵まれたエストさんのような人への嫉妬と恐怖から行方をくらましたという。

 

 しかしエストさんやその話を聞いていたセリエスさんは、カイさんはどこかで人知れず剣の技術を磨き続けているのではないかと、そう期待していたのだろう。

 

 しかし現実はそうではなかった。恐怖に負けて蛇光紋へと縋ってしまった末に、かつての自分が目指した到達点のような存在であるノブおじさんに打ちのめされた悲しい人、それが実際のカイさんだった。

 

 「なん……? かぁさん? …………その、あかい、かみ」

 

 するとセリエスさんの声に反応してぎこちなく顔を上げたカイさんが、ここで初めて気づいたようにセリエスさんの方を見た。

 

 「あぁ、あぁあああ、あああああああああああっ!」

 

 そして勢いよく立ち上がったカイさんは頭を掻きむしる様にしながら一層大きな絶叫を上げる。

 

 「トラウマスイッチかよ……」

 「ぢぃぃぃぇやあああ!」

 

 ノブおじさんが面倒そうに呟くと同時に、それまで叫んでいたカイさんは足元に落ちていたサーベルを蹴り上げて右手で掴み、気付いた時にはセリエスさんの目前で斬りかかろうとしていた。

 

 「はやっ!」

 「けどこんなのはただの駄々っ子だなぁ」

 

 驚き反応できないセリエスさんだったけれど、いつの間にかカイさんの後ろにはノブおじさんが居て、その黒装束の腰帯の後ろ側をしっかりと掴んでいるようだった。

 

 「よっ」

 「るぅあぅあぅあああ!」

 

 力は圧倒的にカイさんの方が強いはずなのに、ノブおじさんが引き倒すようにすると、カイさんはあっさりと後ろへ転倒し、勢いのままに転がっていった。

 

 「トラウマとか怒りとか、そんなんで理性がぶっ飛んでるってとこか」

 「ぅるるるる」

 

 冷静に分析しながらロングソードを構えるノブおじさんを警戒してか、獣のように唸るカイさんはサーベルをしっかりと持ちながらも四つん這いで見上げるように睨みつけていた。

 

 「ぅぢぃや!」

 

 叫びを残してカイさんがかき消える。一瞬、魔法ギルドの建物壁面に張り付く姿が見えたあと、またかき消えて、少し離れた場所にやはり四つん這いで着地していた。

 

 「やけくその境地というか……、仮面が無くなったからか少しかみ合ってきてるねぇ」

 

 これまでのカイさんは、体を強化した代償をごまかすために痛みの感覚をなくす仮面をしていて、けれどそれのせいで剣の技術がぎこちなくなってしまっていた、ということなのだろう。理性を無くすほどの怒りか錯乱状態にある今、皮肉にも痛みを越えて強化された体に技術がかみ合いつつあるのか。

 

 そして驚いたことに、ノブおじさんの頬に傷がついて血が流れている。戦闘でノブおじさんが攻撃を受ける所なんて初めて見たように思う。

 

 「剣ってのはな、己の内にあるもののことだ。だから、剣の道を極めるにはどこまでも自分と向き合うしかない」

 「ぅるあ?」

 

 ノブおじさんは静かな、けれどよく通る声でそう言うと、ロングソードを両手でしっかりと持って正面に向かって構える。普段だらりと自然体で構えるノブおじさんにしては珍しい、なんていうかきれいな構え方だ。

 

 「自分の外に道を求めた時点で、……それはもう逃げ道だよ」

 「ぅるゅれぁあありぃあ!」

 

 達観してどこまでも静かな、そしてなぜか寂しそうなノブおじさんの言葉を聞いて、カイさんは怒りとも悲しみともつかない咆哮を上げる。言葉は届いているのだろうか?

 

 再びカイさんがかき消え、そしてノブおじさんはゆっくりと、やはりきれいな動きで剣を振り上げていく。

 

 「何も考えずにジジイになるまで剣を振ってれば、ここまでは来れるさ。……秘剣・尋常!」

 

 珍しく技名を口にしたノブおじさんは、一歩前へと踏み出しながら、とても、とてもきれいな動きで、鋭く速く力強く、ただまっすぐに斬り下ろした。

 

 「っが!」

 

 まるで自分から当たりに来たかのように、その先にはカイさんがいて、中ほどで刀身を斬り飛ばされたサーベルを取り落とし、斬られた服の前面の隙間から血に濡れた蛇光紋に覆われた地肌をさらしながら、ゆっくりとうつぶせに倒れていった。

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