健常心徒 神々の導きに従い、徒は光条を鏡面に画す
毎週火曜日は、『健康』の授業の日である。
これはうちの大学に限った話ではなくて、この地域の全ての学校が同じプログラムだ。
なので、受けたければ他の大学で授業を受けることも出来るんだが、今のところは自分の通う大学のエリアで十分。
もう少し距離の近い場所もあるんだけどね。
季節は初夏。家を出て駅に向かう。
機械制御の電車で大学に向かうのは火曜日だけなので、実に一週間ぶり。
現在稼働している鉄道は、そのほとんどが機械制御であり、何らかのイレギュラー対応のためにアンドロイドが配置されている。
人間の従業員は、居ても一つの駅に一人か二人程度。
ルーチンワーク的な作業は、そのほとんどがアンドロイドによって運用されていた。
元々、労働力の減少と、悪化した労働環境への対応のために開発された、人間に代わる労働力であるアンドロイド。
当初は現実世界の活動のために開発されたアンドロイドだが、逆輸入というべきか、今ではVRシステム内にもいたるところにアンドロイドが進出している。
家庭用アンドロイドの普及と相まって、例えばゲームであるブレイブクレスト内でも、アンドロイドの活用は盛んになってきたのだ。
ブレイブクレストでは、アンドロイド用のライセンスを購入することで、1日に6時間までアンドロイドがブレイブクレストにインして活動することができる。
姿かたちは現実のアンドロイドと同じく人間形状、装備や就職も人間と同様に可能。
接続時間以外での人間との大きな違いは、ボスやレアモンスターからのドロップが一切ないことや、アンドロイド同士でパーティを組むことが不可能な事が挙げられる。
これは、アンドロイドにより一部のモンスターを占有して狩りをすることを禁ずるためのもので、他にもダンジョンの宝箱の取得が不可能とか、運が良いだけが恩恵を得られるような項目が全て対象外となる。
それでも、あらかじめ指示した通りに休憩もなく働き続けるアンドロイドは、ゲームさえ仕事にするような人たちの労働力として大きな人気を集めた。
ブレイブクレストにおけるアンドロイドの活動で一番有名なのは、臨時馬車サービスだろうか。
これは公式の提供する施設ではなく、ブレイブクレストと提携した一般企業が、おそらくは自社の宣伝のために始めたサービスだ。
一言で言うと、町から好きな場所へ馬車で送り届けてくれるタクシーの運営。
6時間ずつ交代で動かしているようで、時間によって金額の差異はあるものの、24時間いつでも受け付けているのがありがたい。
馬車の車体には、運営する企業『センバクレイン』のロゴがおしゃれに煌めいている。
センバクレイン。さもありなん。
代り映えしない地下の情景ではなく、車窓に映し出される様々な
程なく、社内アナウンスが大学の最寄り駅の地名を報せる。
おそらくは同じ大学の学生達と共に、電車を降りて大学へと向かった。
世界が紫害線に晒され、生活のメインステージを仮想に移した後。
まず最初に問題視されたのが、肉体の健康面についてだった。
食事や栄養はプラントと配送システムにより健康を維持できるが、動かさない身体は衰えるもの。
そこで政府により決定されたのが、体を動かすだけの日を設けること。
つまり、『健康』の授業日である。
小学校では、近隣地域の学校へ、週3日通う。中学で2日、高校と大学は1日だ。
その登校日のうち1日が健康の授業日と定められており、在校生と、希望すれば他校の生徒が学校に集う。
そうして、肉体と精神の健康を目的に、運動と、他人との交流を計るのだ。
大学の運動場に到着。
自宅から服も靴も運動用のもので来たので、特に更衣室で着替える必要はない。手抜き万歳。
ごてごてにおめかしした人たちを、面倒そうだなーなんて目で眺めつつ。軽く身体をほぐし、大きく伸びをした。
「出たわね、妖怪もやし星人!」
「これはこれは、ようこそおい
「きーっ、今日こそあんたを亡き者にしてやるわ!」
いつもの挨拶に、半ば
リアルでも仮想と同じ、いやそれ以上に活発な様子で息をまく
「ちゃんと健康の授業日に出てきて、偉いもやしね」
「いやぁ、もやしも育てられるオデコさんのおでこには負けますよ。
うわ眩しい反射板こっち向けんな!」
「誰のオデコが反射板だってのよ!」
「色白で金髪の美人、小金井 真宙様のオデコですね」
「なっ……」
怒りで朱に染めた
物理的にレーザーを放ちそうな視線を、大きく身体を捻ってかわしつつ。
とりあえず挨拶はこんなところでいいだろう、ようやく
「おはよう、小金井」
「お、おはよぅ」
急な戦闘打ち切りに、今日はなぜか非常に珍妙な顔をされつつ。
その後はなんとなく雑談しながら、授業開始までのんびりとだべった。
午前中は、しっかりとした身体トレーニングが主だった。
しっかりとストレッチをし、筋力トレーニングやらマラソンやら。
あまり得意ではないが、特別苦手というわけでもない。
そりゃぁ、ある程度は現実で身体が動かせないと、
ゲームのためなら、運動くらいは何てことないです。
というわけで、中級コースのトレーニングを、午前中はぼちぼちとこなした。
昼休み。
チョリソーと合流し、大きな食堂で週に一度の
栄養バランスにかなりの比重が置かれているが、自分で作るよりはずっとおいしいご飯を堪能する。
「らあは、午後は誰か申請してるん?」
「いや、ぜーんぶオオクニヌシ様にお任せ。チョは?」
「申請はしてるけど、望み薄だなー」
学生らしく、益体もない話に花を咲かせつつ。
しっかり休憩を取ったら、引き続き午後の授業だ。
個人でのトレーニングが主体だった午前とは異なり、午後の授業は少人数でのグループ行動。
健康の授業日の、もう一つの目的に重きが置かれた時間である。
噂では、生徒の大半は午前より午後が楽しみで来ているとかなんとか。
むしろ、午後がなかったら午前に参加しないとまで言われるほど、大きな
待合室で待つこと、ほぼ0分。
入ってきた相手に挨拶をし―――
「よろしくお願いしま……はぁ」
「どうぞよろしくお願いしま……す、ね?」
挨拶の途中でぼくに気づき『あちゃー』って顔をしたのは、高校時代からの同級生、小金井だった。
朝に引き続き
仮想化による最大の問題は、肉体的な健康維持だと言われている。
正確には筋力とか肉体機能についてということなんだけど、ひっくるめて健康維持、だ。
これは非常にわかりやすい問題で、仮想化の導入前から問題視されていた。
一方、もう一つの大きな問題については、仮想化導入当初は特に問題視されなかった。
一部ではそういう危険性を唱える学者なども居たらしいが、反対意見などどんな活動に対しても発生するものだ。
当初はさほど問題視されておらず───2年経ち、5年経ってから、非常に大きな問題として扱われるようになった。
結婚率、そして出生率の低下である。
かつてネットが主流となった時代。
そのころは、現実以上に出会いの幅が広がることとなり、結婚率はさほど低下しなかった。
それはおそらく、ネット上での出会いであっても、その交流手段にリアルでの活動も含まれていたからだろう。
しかし現代(というにはもう少し前の世代だが)、屋外は人体に有害な環境となると、登校や外出さえVR内で完結、本当の意味でのリアルでの活動頻度は著しく低下した。
また、VR内では手軽に着飾り若作り出来、誰でも簡単に美しい自分で日常を楽しむことが出来るようになったため、より一層リアルでの交流に興味がなくなったというのもあるのだろう。ほら、メイクとかすごい面倒だって聞くし。
いずれにせよ、もろもろの事情が重なり合って、結婚率と出生率は過去最高を大きく更新し続けたのだった。
このことに危機感を持った政府は、2つの政策を打ち出した。
一つが健康の授業に異性との出会いと交流の役割を持たせたこと。つまり、これから行う『健康・午後の部』のこと。
そしてもう一つが、VRシステムを介して、相性の良い異性と引き合わせるためのマッチング・システムを立ち上げたことだった。
現代日本を支えるのは、三柱の神の名を冠されたサーバーである。
現実世界、紫害線を遮り人々を護るための天叢雲をコントロールする『ヤマトタケル』
日本における統合仮想ネットワーク 高天原を統制管理する『アマテラス』
全ての人の情報を管理し、相性の良い人間を引き合わせる『オオクニヌシ』
この三台―――三柱の神々が、現代の日本の世界を維持している。
元々は国民の管理データベースだったオオクニヌシだが、政府の政策によりマッチングシステムが搭載された。
健康の授業日の午後は、このオオクニヌシによるマッチングで引き合わされたメンバーでのグループ活動と、その後はペアでの活動となる。
お昼にチョが言っていた申請ってのは、個人名や相手に求める特徴など、要望をあらかじめ登録してマッチング時にオオクニヌシ様に考慮して下さいとお願いすることだ。
まあ、すでに特定のお相手が居るのに、お互いに第三者とマッチングされてたりすると気まずいと言うか色々問題になるわけで。
その辺りを、オオクニヌシ様がうまいことやってくれるわけです。
ところで、オオクニヌシ様と言うか、VRシステム相手に嘘は通用しない。
なんせ、仮想接続中は行動や発言、感情の全てがシステムに接続されて丸裸なのだ。
リアルのみでの行動ならともかく、仮想に接続をする以上、必ずオオクニヌシ様には見えるというわけである。
もちろん、個人情報を悪いことに使うわけじゃないけれど、犯罪歴があったり危険思想などは見張られているらしい。
当然これは、オオクニヌシ様と接続されている
違法行為や度を過ぎた他者への害意などは、オオクニヌシ様の沙汰によって運営が処罰を決めているとのことだ。
他にも、これはオオクニヌシ様のお力じゃないけれど、VRでは短時間に過剰なストレスが掛かるとシステムから警告が出るようになっている。
感情の動きを知るってのは、VRの性質を考えると当然の機能だからな。わりとVRが広まった初期から、標準機能として搭載されてました。
ストレス警告? 何度か受けたことありますが、何か?
なお、一部のホラーゲーとかはストレス警告がありません。怖がらせてなんぼだし。
そういうわけで、グループ活動。
活動内容は、健康の授業らしい肉体的な運動だけでなく、交流を重視したものとなっている。
今日は6人一チームで、柔らかくて軽いボール2つを同時に用いたバレーボールだ。
一見すると中学生くらいの遊びに見えるが、本気になるとこれがまた運動として結構ハードだったりする。
ぽよぽよとしたゆるーいボールなので、顔面に直撃しても怪我する程じゃない。
だけどやっぱり初速はそこそこ早かったり、顔に来ると思わず目を閉じて怖くなったりする人もいるわけで、わーきゃーいうお嬢さんがたを微笑ましく見守りつつ裏方に徹する。
ジャンプして綺麗にアタック決めたりすれば、かっこいいんだろうなーとは思うけど。
ぼくの主戦場はVRMMO、リアルでそこまで頑張る必要はないかな。
もちろん、手は抜かないけどね。
そんなわけで、ゲームで控えた反射神経と迎撃力を活かし、ひたすら守りに徹すること分。
お互いに
「お疲れ様でしたー!」
「お疲れ様ですよ、ないすふぁいとでした」
オオクニヌシ様に集められた、一日限りのチームメンバー達とハイタッチ。
一角に輪になって座り、他のチームの試合を眺めつつ雑談に興じる。
他の男子のうち一人は、よその大学からの参加者だったらしい。
オオクニヌシ様の導きで、自校よりもたまには他校に参加した方がいいと言われたんだって。
そのお導きの通りか、女子の一人と仲良くなってたので羨ましいような呪わしいような。オメデトウ。
まあ、明確な意思表示をしない限り、オオクニヌシ様は様々な選択肢を示してくれる。
選択肢を示すだけだから、あくまで個人の意思が最優先。望めば誰でも、他校の健康授業に参加することもできます。
体力差の問題等があるので、下の学校に混じることはできない。だけど上の学校、つまり高校生が大学の授業に参加とかもOK。
ついでに言うと、費用を払えば、社会人が大学の授業に参加することも一応OKだそうだ。
幅広く、より多くの出会いをということで、心身の健康作りに一役買っているわけです。
ほら、可愛い子とか居ると、やっぱり頑張っちゃうだろうしね?
いずれにせよ、政策としてのマッチング・システムは、相性の良い相手と結婚させることを目的としている。
そのためならば、交流範囲をできるだけ広く取り、多数の異性と巡り合わせるのは当然の話なわけで。
他校の参加者を受け入れたり、VR活動での傾向を取り入れたりすることは、より良い結果のための努力の一環なのである。
……そう考えると、マッチング三度目となった小金井は、かなり相性良いってことになるんだよなぁ。
何だか納得いかない気持ちでそっちを向くと、視線に気づいた小金井が笑いながら感想を述べた。
「レシーブとトスしかしないとか、完璧に地に足をつけたもやしプレーだったわね」
「飛べないもやしは、ただのもやしでございます」
賛辞とも皮肉ともつかぬ小金井の言葉にも、むしろ胸を張って返しつつ。
結局この日の戦績は、2戦全勝と言うそれなりに誇れるものとなったのでした。
地に足をつけたもやしらしく、一度も上方向にはジャンプしなかったけどね!
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