『七夕の約束を叶えるために』 ~協力者、たくさん必要です~
叢雲は陽光を閉ざし、世界が辿るは電脳システム
電脳世界の中に、肩こりという現象はない。
これは肩こりに限った話ではなくて、原則的に過度の痛みや不調は全て取り払われ、大きな怪我を負う事もなく、誰もが健康で丈夫なデータの肉体を与えられる。
現実世界の物理法則および化学法則に従いながらも、システムにより与えられる一定の
ある意味では平等であり、それゆえに不条理とも言えるだろう。
生身の人間がアクセスする以上はログイン前の体調というものの影響はあるわけだが、それにしたって肩こりはないし、筋肉痛や腰痛、虫歯なんかもない。
あるのは、脳の酷使による頭痛や、生命活動の維持に必要となる空腹やのどの渇きぐらいである。
つまりまぁ、何が言いたいかと言うと。
「58人中29位……あぶねぇ、まじで崖っぷちだった。ちょっと余裕出し過ぎたか……」
ぶっちゃけ、現実逃避です。痛みはないが精神的疲労感はある、机に突っ伏して深く電脳の息を吐いた。
29位はちょうど半分より上なので、追加課題のレポートは免れた。
この助教授、講義を受けている学生の半分だけにすごい大量のレポートを課すという
その競争意識が学力の向上にうんたらかんたら言われたが、学生側としてはたまったもんじゃない。
まだ全員にレポートが出されるのなら、いやいやながら諦めもつくんだが。いやはや、学生の自主的な学習意欲を刺激してくださることですなぁ。
そんなわけで、地獄のレポートから免れた解放感を、突っ伏した机から上体を起こし伸びという人間的な性質で形にあらわして。
電子の肉体を立ち上がらせ、講義室から屋外エリアへ
2054年、火力を増して降り注ぐ紫
世界は人造の分厚い雲に覆われ、天気予報は実に8割を『雨』と報ずるようになった。
もはや屋外は人が健康的に生活できる世界ではなくなり、人々は屋内へ、地下へと潜む生活を余儀なくされる。
青い空は望めないのか?
もう、気兼ねなく日の光を浴びることはできないのか?
人間は、希望も灯らぬ暗がりの中で、ひっそりと生きていくしかないのか?
否。
答えは否だ。
欲するものが得られない。ならば、どうするか?
古来より、その答えは不変である。
すなわち。
『ないならば、作ればいい』
こうして、人々の生活は、人間社会は、徐々に電脳へと移行していく。
人は外出を辞め、住居は地下となり、旧地下鉄路線が大々的な地下道のネットワークへと移り変わる中で。
急速に発展した電脳世界は、人々の新たな世界となった。
フルダイブ型VRシステムの台頭と共に。
そもそも、フルダイブ型のVRシステムとは何か?
一言で言えば、脳からの指令と脳への報告、その全てを電子化したシステムに接続することである。
分かりにくい?
うーん。どう説明したもんか。
普通、脳からの
手を上げ、歩き、字を書き、歌う。それらは全て、脳からの指示によるものだ。
この脳からの
手を上げようとすれば、電脳世界の中の自分の手が上げられる。
歩くのも、字を書くのも、歌うのも。電脳世界の中にプログラムされ、『自分』を設定されたキャラクターが脳からの指示を受けて動くのだ。
このシステムを用いて、作り上げた電脳世界の中で遊ぶのがVRMMOであり、あるいは遊園地や様々な遊戯施設であり。
また、現代の学校や社会の大半が、電脳世界に存在している。
当然、ぼくの通う大学も、現実の施設とは別に電脳世界の施設を持つ。
講義は自宅からログインして受講、飲食やトイレはログアウトして自宅で済ませる、移動の大半は転移とログイン/ログアウトで済まされ、通学時間はほぼゼロ。
現実の大学へ通うのは、週一の『健康』の授業日だけ。
これが現代の大学、ひいては学校教育全体のスタイルで、社会全体が前時代的に言うところの『引きこもり』となっていた。
そんな電脳世界の我が大学、一言で言うなら『ハリボテ』である。
屋外エリアは広場のような場所にベンチやテーブルがあり、陽光が降り注ぐ穏やかな常春の世界。
だが、地面の草は床に描いた絵のようであり、周りに見える建物も背景写真に等しい。
圧倒的存在感のあるブレイブクレストの世界と比べると、むしろ周辺の諸大学と比べても、あまりにもチャチい世界だった。
もっとも、電脳世界の大学として必要なのは、あくまで『VRネットワークを介して授業を受けられる学習システム』である。
気晴らしのための屋外エリアも、雑談や予習の場でしかない食堂も、講義を受けるという主目的には関係ない、いわばオプションパーツ。
うちの大学は別にシステムの良さを売りにしてるわけでもないため、この辺のオプションには対して力は掛けられてないのだ。
その代わり、授業設備関連は国内トップクラスの性能を誇り、力を入れる場所と抜く場所があまりにも露骨過ぎると一部で評判?の大学です。
なお、サークル棟については自主学習の一環として利用者による一定のカスタマイズが認められており……一言で言えば魔窟、らしい。
入ったことはないんです。
別に大学をカスタマイズしなくても、ゲームの世界の方がずっと面白いしな。
そんなことを考えつつ、薄っぺらい屋外エリアから、やっぱり薄っぺらい食堂エリアへ移動。
無料のデータ茶を取り、制服の首元を緩めつつまばらな席に腰を下ろす。
食事はしない。と言うか、
あるのは、お菓子とかケーキとか、気分転換と話の供にしかならないおやつぐらいだ。
さて。
講義は終わったが帰ることなく、食堂で取り出したのは入力デバイス。電脳世界のノートである。
ここにつらつらと、考えを記していく。
もちろん、鉛筆を握り手で文字を書く必要はない。
思考のままに、入力デバイス上に文字が、図が、表が並んでいく。
―――――――――
・ 6月21日 木曜日
開催日 :7/7 土曜日(七夕)
準備期間:6/21~7/7 17日間
・
・
・
―――――――――
必要なもの、申請や手配、準備すべきこと、想定される費用。
思いつくままに書き殴り、修正して並べ替え、情報を整えていく。
デバイス上に文字が現れては動き、結合や置換を繰り返し、思考に従い早送りのパズルのように情報が躍る。
さすがは学問施設、入力デバイスの性能については間違いなくVR世界でトップクラス。この一点に限って言えば、ブレイブクレストより優秀だ。
だから、今回の計画に必要な情報を、大学の電脳世界で入力デバイス片手に整理しまとめていく。
5分ほど、デバイスとにらめっこを続け―――
「何してんの?」
「うおあぁっ!?」
突然の声に驚き、それにあわせてデバイスの中央にでかでかと『うおあぁっ!?』と書き込まれる。
いや、そうじゃねーよ。とりあえず漫画のようなでかい文字を消し、一旦入力デバイスを止める。
「今の、画面に『うおあぁっ!?』って。面白いね?」
「驚かさないでくれ、入力中だったんだから」
「やだなぁ。
入力中だから、面白いんじゃないの」
「気持ちは分かるが勘弁してくれ。データが飛んだらどうするんだ」
実際は、一度書き込んだものは消そうと思わない限り消えない。
とは言え、内容によっては見られるくらいなら消す!と感じる場合もあるわけで。その場合、一瞬で全てがまっさらに消えるわけで。
あまり不意打ちはやめていただきたい。
「それはそれでいいんだけど」
「いや、良くないからな?」
苦情と不満と突っ込みを全部受け流し、感心したようにも呆れたようにも聞こえる声で彼女が続ける。
「しばらく後ろから見学してたけど、ほんっと入力早いよねぇ。
早送りみたいにばんばん書き込んでるのに、配置替えとか書き換えとか表の項目変更とか全部同時に動いてて。
やっぱり頭おかしいんじゃない?」
「特大に大きなお世話だな。
電脳システムに順応していると言って欲しいもんだ」
「大丈夫? システム、バグってるんじゃない?」
一見すると、心配そうな顔で。
でもきっと、現実の瞳の奥ではにやにやした笑いを浮かべてるんだろうな。
伸ばした手でぼくの額に触れると、
「脈がない……死んでる!?」
「人はデコで脈を計る生き物じゃないんだが。
ああすまない、デコピカ星人はデコに全ての情報が詰まっているんだったね」
「よしその喧嘩買った、表出ろおらー!」
それまで被っていた可愛らしい少女の化けの皮を内側から吹き飛ばし、制服を着たデコピカ星人は両手を握りしめて吠えた。
うん、相変わらず戦闘体勢の早い奴だ。
彼女の名前は小金井
同級生で、数少ない同じ高校出身者だ。
色素の薄い体質らしく、肌は色白、ショートカットにした髪は金にも見えるクリーム色。ついでに瞳も金にも見える薄い茶色だ。
気象影響によるもので特別珍しいわけでもない、とは言えいじめもあったようで。高校時代、その絡みであれこれあった。
腐れ縁というほど熟成されてないが、気兼ねなく言い合えるくらいには馴染んだ相手である。
有り体に言えば、友達の一人というわけだ。
ちなみに、デコが光ったのは本人曰く色素と無関係とのこと。
見た通りに面白ければなんでも良しってタイプだが、デコの
一応、分類的には、美少女でいいと思う。デコが眩いけど。
「頭がおかしいやつのねばっこい視線が私の猫のように狭い額に突き刺さるのを感じた、謝罪と賠償を要求する!」
「……具体的には?」
「ここの食堂のプリンでいいわ」
「間をとってデータ茶でいいな、取ってきてやろう」
「どことどこの間!?」
どこって……
「生え際と眉毛の間じゃないですかね?」
「宣戦布告!」
テンション高いなー。
まあ、打てば響くのは良きかな。
「で、さっきは何書いてたのよ?」
データ茶を啜りつつ、生え際と眉毛と眉毛の間を取って買ってきてやったクッキーを齧りながら。
表示の消えたデバイスを、指差して聞いてくる小金井。
「んー。計画書、ってとこかな」
「なんの?」
「七夕の」
簡潔な答えに、がたりと音を立てて椅子から立ち上がり目を見開く小金井。
「あんた……まさか、万年もやしゲーマーに、ついに彼女が!」
「百点満点で言うところの、マイナス七億点くらいかな」
「シビア過ぎる!?」
わざとらしくため息を吐いてみせる。
「的外れ過ぎる上に、何の捻りもなく普通過ぎてつまらなかったんだ」
それからデータ茶を口に含み数秒瞑目。憐憫の表情で、斜め下を向きながらぼそりと付け加える。
「本当に、くそつまらなかったんだ……」
「よし分かった、今ここに戦争は第二ラウンドを迎えた!」
「じゃあ種目はデコテニスな」
「完膚なきまでにぶっ殺す!」
うん、いい反応だなぁ。
結局その後は小金井と普通にダベり、これ以上大学で入力する気分にもならなかったので
今日は午後の授業もないし、昼食を食べたらバイトまでブレイブクレスト内で続きをまとめることにしよう。
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