2019.04.27 愚か者
何もすることのない自由な時間。身体は解放されている。けれど、頭の中は違う。
大人になってから、先行きの見えない状態で仕事もせず、時間だけがあるとする。私以外の人は実際何ができるのだろうか。
私は、時間を奪い思考を窮屈にしてしまうと考える、すなわち、したくもない労働をして生きることに過剰なほど身を引いているので、就職活動をするということは、湯水のように感じる時間のなか選択肢にいれていなかった。先は見通せないままで、時間だけが過ぎてゆく。今は貯金を切り崩しながらアルバイトをして、この最低限の生活をまわしている。時が経てばこんな生活、破綻してしまうのは目に見えているが、それに目を向けなければ、何もしなくてもいい時間が沢山あるように思える。
けれど、こんな私でも時間は有意義に使いたいと思ってしまう。
なので、この機会に自分の生活の指針というか、生き方というものを見直すべく、いっちょ、これからのことを考えようと腕を組み、頭をひねる。この世の中で生きていく方法は、別にサラリーマンになるだけではない。いろんな働き方やお金の稼ぎ方があるはずなのである。それならいけるのではないか。私は、自分にもそれができるような、何か他人より秀でた資質が内にないものかと思考の道を行く。しかし、やっぱりというか考えるまでもないというか、考えても何もなかった。おつむもねえ、努力もしねえ、芸もねえ、人脈もねえ。ほら、何もない。そうなると、私の思考はすぐ終着点に辿り着く。もう、生きてはいけない。死ぬしかない。
こんなことを毎日ずっとしている。
脳裏に幽かな不安がふと宿り、考えまいとしても、それは蠅のように私の頭のなかを飛び回り、さらなる不安の卵を産みつける。それはすぐに孵化して、嫌な考えというものは限度を知らず湧きあがる。そんな状態から一時的に抜けだしたいと思っても、少ない所持金を気にして酒におぼれることもできないし、娯楽も、抑圧することのない怠け者にとっては輝きを失い、ただ垂れ流したとしても無味無感想である。そういう負のスパイラルな思考から解放されるのは、アルバイトをしている時で、働いた後は嫌な事はあれ、甘い疲労に達成感がある。それでは毎日働けば余計な事を考えずに済むのだろうけれど、週に2日休みをもらえたとしても、それはやっぱり嫌なのである。
こんな風に、やらなくてはいけないことをせず、わがままを餌に肥大した理想と現実のギャップにうじうじしているのが今の私の日常なのである。これをはたして自由といえるのか。しなくても良い呼吸をしているだけの徒労感と不安しかないのは、果たして生きているといえるのだろうか。
正面からの、ひんまがった根性が真っ直ぐになるような、熱意と気合が入ったパンチはいらない。そんなものより、背後からナイフで心臓を一刺しして欲しい。それが今の私の望みなのかもしれない。
自由になれる穴だと思い落ちてみれば、息が詰まる狭い穴の途中で身動きができなくなる。なんて、愚かな話なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます