妄想小説 白川真由美は魔改造少女である

 夕暮れの校舎に最後のチャイムが響き渡る。

 全生徒が下校する時間に僕、増美太一はすでに閑散とした校舎の階段を上り駆けていた。

 夕暮れも佳境に差し掛かり、照明の消えた校舎内には濃いオレンジが幾多の影を作り出している。黒とオレンジの濃厚なグラデーションの中、僕は日々授業を受ける2年B組の教室に向かっていた。

 放課後の陸上部の練習が終わり、部内で同学年の小泉圭一と共に帰宅する最中のことである。彼との会話で自分が忘れ物をしていることに気が付いたのだ。

「今日数学の森野がだした課題、面倒くさいよな。俺、微分とかイマイチよく分かんねーんだよ。太一はどうよ?」

「え、数学課題あんの?」

「あるし、授業の最後らへん森野言っていたじゃん、今日習ったとこの教科書の問題を解いてこいってさ。」

「うわ、寝てたわ。何ページの問題?」

「んなの、覚えてねーよ」

「やべー、数学の教科書机の中に置いたままだ。」

という経緯があり、今僕は数学の教科書を持って帰る為、1人で2年B組の教室前まで来ていた。急いできたため息がきれたので、少し肩で息をする。スクールバックをかけた左肩は持ち手が食い込んで少し痛んだ。持ち手を右肩にかけ直し、教室の扉を引く。

 風が吹いていた。

 教室の後ろの窓際でゆっくりと揺れるカーテンとレースの前、長い黒髪とスカートをたなびかす白川真由美が夕陽を浴びながら立っていた。僕が入ってきたことに驚く様子もなく、ゆっくりと振り向いて僕に視線を投げかける。

 それに対して僕はどぎまぎした。誰もいないと思っていた教室に一緒のクラスになってから一度も話したことがないクラスメイトがいたからだ。

 もう夏の顔を出し始める6月の終わり頃なのだが、僕は白川真由美と同じクラスになって約三か月の間、一言も会話をかわしたことがなかった。あいさつも含めてだ。それは彼女が僕にとって異質な存在で1クラスメイトして接することが難しいと感じているからだ。

 なぜなら、僕は知っている、彼女が普通の女の子ではないということを。

 そう、彼女は魔改造少女なのだ(本気)。


 あれは、高校二年生に進級する前の春休みのある日の深夜のことだった。

 次の日の部活の練習が休みだったので、僕ははめをはずして夜更かしをしていた。

 夕食後、ゲームを長時間してしまい、切りのいいところで終えて時計を見ると深夜の2時であったので、あわてて電源を切った。立ち上がると体の節々が凝り固まっており、頭も集中していたせいでほてっていた。

 のびをして体をほぐしつつ自室の窓を開けたら気持ちの良い、夜の冷気を含んだ風がほほをなでた。

 今夜はこの季節にしては気温が高く、過ごしやすい。ふと、普段出歩かないこの時間帯の寝静まる夜の町に魅せられた僕は、着の身着のままスニーカーをひっかけて外に出た。

 どこの建物も活動を終えており、辺りは静寂に包まれていた。唯一の音源は僕が歩くたびに応えるアスファルトと石が擦れる音だけである。

 なんだか、今日一日溜めこんだ余分なものを削ぎ落としていくかのような心地に、たまにはこういう散歩も悪くないなと思いつつ、少し寒気を覚えた。

 さすがにこの薄着じゃあ、身体が冷える。そろそろ引き返すかあ、と折り返して帰路に立つ。

 その道すがら巨大蜘蛛に出会った。

 死の匂いをつれて風が吹く。

 巨大蜘蛛は僕より頭一つ大きい全長ニメートルほどで、閑静な住宅地で田中さん家の前の立派な柵と吉田さん家の前の高い塀の間に通る、車が2台すれ違えるほどの広さのアスファルトの上で僕を通せんぼしていた。毛むくじゃらのなかでも一番主張する、街灯に照らされた黒い目に、僕ははっきりと巨大蜘蛛の捕食対象としてうつっていた。

「っっ!」

 どうやら僕は呼吸を止めていたようだ。体が酸素を求めたと同時に声にならない悲鳴を上げる。酸素を取り込んだ僕の脳はようやっとあらゆる恐慌を引き起こす。足が勝手に震えだし心臓を死神にわしづかみにされる。声を上げて逃げ出したいのに巨大蜘蛛に見据えられた僕は体を何かにがんじがらめにされたようで動けない。

 しかし、巨大蜘蛛はそんな僕が逃げ出すのを待ってはくれなかった。

 巨大蜘蛛の足が動いて一瞬で僕との距離を詰めてくる。死を確信して、余りの恐怖に目を閉じた。もう、何も見たくないし考えたくなかった。けれど、いつまでたっても僕の意識はなくならない。疑問に思いまぶたをそっと開ける。


 目の前にあったのは巨大蜘蛛のアギトではなくリンスが香る女の子のつむじだった。


「逃げなさい。」

 女の子は言った。蜘蛛は後ろに飛びのいてぴぎーぴぎーと変な声で鳴いている。ひとまずの生命の危機を脱したと感じた僕は尻もちをつき、かろうじて声を絞り出した。

「いや、すまない。腰がぬけて力がでない。」

 女の子はものすごく面倒くさそうな顔をしたがここから立ち去る気配はない。どうやら僕を守ってくれるようだ。背中からその意思を感じる。

「あなた、なにか勘違いしているようだから言っとくけども、私は貴方を守るつもりなんて一切ないわよ。今のはオルトが一番無防備になる捕食時を見据えての攻撃だった。けれど失敗した今となっては勝算なんてないからもうおしまいよ、諦めなさい。」

「え、この巨大蜘蛛は倒せないの」

「言っているじゃない。勝算はないと。今私はさっきあなたが掛けられていたオルトの魔眼にとらえられて動けないのよ。」

「魔眼って…」

 たしかにあの時僕は動けなかった。それは人生で一番の恐怖を味わったためではなく、この巨大蜘蛛(オルトっていうのか)の仕業だったらしい。

「この魔眼の弱点は対象が視界から消えると縛れなくなる点と、一度に一つの対象しか縛れないという点よ。だから今のあなたはオルトの魔眼の呪縛からは逃れて動けるというのに腰をぬかすなんて。」

と呆れられてしまった。というか雑談に興じている場合などではない。

 オルトは今だ5メートルほど先で女の子を見据えている。普通魔眼が一つの対象しか一度に縛れないのであれば1対2となったこの戦況はオルトにとって圧倒的に不利なはずだ。

 縛っている対象を攻撃する瞬間、無防備になってもう一体にやられるからだ。さきの女の子が失敗した戦略だ。

 しかし、オルトはどうやら僕を敵として認識していないようだ。撤退せず、女の子に襲いかかろうとしている。今だに動かないのは、先ほどの女の子の奇襲に度肝を抜かれてまわりを警戒しているためだろう。

「ほかに仲間はいないの?」

「私一人だけよ…」

 どうやら絶望的な展開のようだ。オルトも周りに危険がないとわかるや否や襲いかかるだろう。

 それにしても…

「君、こんな状況なのにすごく落ち着いているね。僕たちこれからこいつに食われるんだよ?」

 そんな僕の疑問に女の子は諦めを滲ませた声色で答える。

「私はこの仕事を3年している。親が勝手に作った借金返済のため、変な組織に体を売られた私は、人外の力を得るため身体に魔改造を施された。そして毎日こんな気持ち悪いものと命を懸けて戦わされているものだから、正直もう疲れたの。いつ死のうか悩んでも、自ら死ぬような真似は怖くてできなかった。

だから、今ちょっと安心しているのよ、あーやっと死ねるって。自分じゃどうしようもない死なら受け入れられる。」

 僕は思った、この女の子は職務怠慢だ。多分人類を守る為に戦っているのであろうはずなのに、自分はおろか守るべき僕の命までも諦めている。

 はっきり言って僕は死にたくなかった。まだ十七歳で童貞だ。童貞のまま死にたくなかった。

 冷静な女の子とお話をしていくうち、僕も段々と落ち着いてものが考えられるようになり、死にたくないという気持ちが膨れ上がった。

 そして、それは僕にこの現実と戦うための闘志を与えてくれた。

 足腰に力が入り始める。いまだ、オルトは臨戦態勢のまま沈黙を守っていた。

 しかし、周りに敵の援軍がいないと判断したようだ。

 オルトの体が少し沈む。力を爆発させて捕食対象に一気に襲いかかるつもりだ。

 緊張が張り詰める。

 オルトが沈黙を破った。

 ものすごいスピードで女の子に襲いかかる。それと同時に僕は駆けていた。全力のクランチングスタートをきった。

 よかった、足がちゃんと動いた。

 僕は女の子の前、オルトの前にしゃしゃり出る。あとは運に頼るしかない。こいつのアギトが一撃必殺でないように…。すこしでも生き残れるほどの怪我で済みますようにと…。

 女の子の前でそれは弾けた。

 目の前には腰抜けの少年が立っていた。オルトの巨大なアギトが貫通し、血と内臓を撒き散らす。

「今だ!やれ!」

という腰抜けの少年の叫びに、女の子はなぜ!?と心中で叫びながら、オルトの死角をついて一撃必殺魔法を食らわせた。

 そしてオルトは倒された。


 意識が朦朧としていた。

 掌から砂がこぼれ落ちるように意識が遠のいていく。

 それでも僕はこの戦いの結果を知らなければならない。僕は生をかちとったのかどうかを。視線を体に落としてみると、なんてことだ、腹にデッカイ穴が空いて内臓がそこらへんにとびだしているじゃないか。血も流れ過ぎだろう!おおきな水溜りのように広がっている。これは病院に搬送されてもダメだなと思った。

「なぜこんなむ無茶を?」

と女の子は沈痛な顔でそれ以上は絞りだせないという声量で僕に問う。

「いやさ…、ゴポッ」

 しゃべろうとしたら体内から菅を通って口内に血が溢れた。女の子に放ちたい文句はたくさんあるのだけど一番言ってやりたいことだけをいう。

「腰抜かしたままで女の子を見殺しにしたくなかったんだよ。これは僕のプライドだ。あんたもさ、死にたいなんか言わずにプライド持って生きろよな。あとさ、何でもいい救急車を呼んでくれ。」

 それを最後に僕は力尽きた。意識がフェードアウトするなかで女の子の声が聞こえた。

「あなたを絶対助けてみせる…」


 そして次の日の朝、僕は生きていた。

 うっすらと膜の外で、やさしい光を感じて目を開けると、無傷のまま自室のベットの上でちゃんとパジャマを着て横になっていたのだ。これにはびっくりしてしまい、昨夜に死にかけたのは夢だったのかなと思いもしたが、内臓が飛び出る痛みと大量の血の錆鉄の味を克明に思い出せたのと、ベットのそばに血を吸ったぼろ雑巾(たぶん昨夜僕が着ていた服)が落ちていたので、巨大蜘蛛と対峙して殺されかけた末に無事生還したのが真実であった。

 そして僕はこんな非日常的なことは早く忘れるに限ると思い、昨夜の件に関しては考えないようにした。

 なのに春休み明けのクラス替えであの夜の女の子を見つけてしまい気が滅入った。もうあんなことには巻き込まれたくないという思いで自分からは女の子に関わらないようにした。女の子のほうも僕にはまったく関わろうとしてこなかった。というか女の子はクラスのだれとも関わろうとしていなかった。偶然女の子が目に入る時、いつも女の子は一人で本を読んでいた。いまどきの高校生には共感できない暗いロシア文学をいつも読んでいた。

 たぶん、あの夜の死に際の僕をたすけてくれたのはあの女の子なのだろうけど、そのことに関してもお礼を言うことは出来なかった。

 そして現在、夕方の校舎の中、僕たちはあの日以来はじめて目を合わせたのである。

 うーん、どうしよう?

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