六回表 -Regular catcher-

 今年初めて呼ばれたオールスター、あっちもこっちも球界を代表するスター選手ばかりで、何処か居心地が悪い気持ちを抑えながらあちこちに挨拶して回る。5年目といえば同期の多くが戦力外通告をされて球界を去り、やっと中堅と呼ばれ出す頃だ。

 子どもの頃から憧れだったプロ野球の世界は実際に入ってみるとそんなに甘いものじゃなかった。ただ楽しく野球をできるという時はとっくに過ぎていて、実力がなければ容赦なく叩き出される世界だ。

 

 他人に情けをかける暇などは一切ない。バッターボックスに立って対戦した相手の投手を打てばその選手が職を失うことになる場合だってもちろんある。当然その逆もだ。何処かの漫画では年俸によって選手の勝ちが測られるなんて事が書いてあったけどまさにその通りで、そういう投手だからこそ徹底的にやらなければいけない。

 幸いだったのが、自分がキャッチャーというポジションだったことだ。毎日アザや打ち身が絶えないこのポジションだが、その分見えてくるものも多い。きっかけはテレビでやっていた有名な元監督の”バッターボックスでもキャッチャーになれ”の一言だった。

 思考を変えるだけの簡単なことではなかった。もちろん、相手投手の癖や持ち玉は研究していたが、自分ならどうリードするか、相手キャッチャーの好むリードはどうかまで徹底的に洗い尽くしたその日は、いつの間にか夜が開けていた。

 

 なんとかごまかして少し仮眠を取った後のデーゲームですぐにその機会はやってきた。七回表、ピッチャーへの代打、ツーアウト二三塁の絶好のチャンス。追い込まれてからファウルで粘っての5球目の事、大きく上がった打球は場外に消えた。


「何書いてるんだよ玉城」


「ちょっと、見ないでくださいよ。引退したら自伝で一発当てるんですから」


「へぇーそんな上等なモンかけるのかよ」


「俺は横井さんと違って文学部出身なんで」


「野球推薦で入ったヤツが良く言うよ。で、その自伝はいつ出版されるんだ?」


「なるべく遅くが良いですね」


 自伝を出したプロ野球選手は数多い。全てが偉大な成績を残した選手とは言えないが、俺は記憶に残るのは無理があるから記録を残して引退したい。正捕手の座を勝ち取ったといってもまだ2年、大型新人が入ってくればその座を明け渡すことにもなりかねないし、競争の世界だ。っと、これもメモに書いておこうありふれた文章だけど、こういうお約束も自伝には大切なファクターだし。


 プロ野球選手という職業は移動の連続で、シーズンの半分は遠征だ。シーズンオフでも家でゆっくりできるわけではなく、自主トレやキャンプ、若手だと海外の新人リーグに派遣されたりやることが多い。

 ベテランの大物になればテレビやラジオに呼ばれることもあって、在京球団でもなければその都度遠征をすることだってよくある。


「横井さん、嫁さんもらうってどんな感じですか?」


「急だなおい、人によるだろうけどウチは嫁さんも仕事してるからなぁ……っていうか嫁さんの方が稼いでるから参考にならんぞ」


「あぁ、事業家さんなんでしたっけ」


「そ、家に帰りつかない上に稼ぎの悪い旦那は家では居所が無いよ」


 今年で27ともなればそろそろ身を固めろなんてことを周りから言われることも多い。世間一般では晩婚化が進んでいるけど、この業界の平均結婚年齢は驚くほど早い。20歳で既に子どもが居るなんて選手すらも居る。いよいよ本格的にアラサーと呼ばれる年齢に入ってきて周りからの目も声もキツくなってきた。


「何だ、御歴々の言葉を気にする性格でも無いだろお前」


「そりゃあそうですよ。そもそもこの性格のおかげで相手が居ない」


「言い訳だろ、この仕事言い寄ってくる女なんざいくらでも居るんだから」


 みんなそれをよく言うけど、金やステータスで寄ってくる女なんて御免被る。免疫が無いなんて言われているのは事実で、それが本心なのかカネ目当てなのかわからないから自分から避けている自覚はある。


「いい加減、いい人見つけねぇとホモ疑惑が出るぞ」


「やめてくださいよ、もうとっくに一部では出てますから」


「何処行くんだよ」


「トイレですよ」


 東京駅まではまだしばらくある、妙な話題に区切りをつけたかったということもあるし、丁度喉が乾いて来た頃合いだった事もあって、途中で飲み物を買う。

 帰りのデッキで、一人の女声が困り顔で辺りを見回していた。何かを探している様子だ。そのまま放っておいて後から問題になるのもまずいし、とりあえずは声をかけてみる。


「どうかされましたか?」


「コンタクトレンズを落としてしまって」


 そう言われて、一緒になってコンタクトを探す。たまたま通った車掌さんが二人して地面に張り付いている俺たちに対して同じように何か会ったかと聞いて二人が三人になり、5分ぐらいかかってやっと見つけた。


「ありがとうございます。助かりました」


 そのまま席に戻ると横井さんが随分遅かったじゃないか、とニヤつきながら聞いてくる。席を立つ前の会話を思い出して、簡単に顛末を説明しようとしたときだ。


「先程はありがとうございました。今度お礼をさせてください」


 そう言って彼女はグリーン車へと消えていった。俺の手元に電話番号が書かれたメモを残して。



****

 グラウンド整備が終わりまして、日本シリーズ第七戦パイレーツ対コマンドーの頂上決戦は六回の表へと入ります。1対0とパイレーツがリードしておりますが、両チーム合わせてヒットはパイレーツ三筒のわずか一本、非常に緊迫した試合展開となってまいりました。LBCスーパーナイター、実況は横浜港湾放送鹿島紅一、解説には小野柳道さんをお迎えしてお送りしております。ここまでの試合ご覧になっていかがですか? 小野さん。


「両先発の東風も角道も非常に良い投球をしています。バックもファインプレーでもり立てていますし、此処から先一つ一つのプレーが試合を分ける重要なプレーとなりますね。まさに日本一を決める試合にふさわしい試合展開だと思います」


『六回の表コマンドーの攻撃 7番ショート 香田』


 コマンドーは下位打線から始まります。7番の香田、今日二回目のアットバットとなります。マウンド上パイレーツ東風、第1球を投げたっ、見逃してボール。初球は外に逃げるカーブから入ってまいりました。

 今シーズンは28個の盗塁を決めております香田、まずはビハインドのこの場面塁に出たいところ、第2球目となります振りかぶって、投げたっ。これも同じ様な球、ボール球が2球続きます。2ボールナッシングへと変わりました。

 この試合東風ははじめてボール先行の投球となっております。今シーズンの試合はわずか5にとどまっておりますが、四死球が少なくコントロールが持ち味であります東風第3球を投げた。ストレートこれは見送ってストライク。


 ここまでパーフェクトピッチングの東風、やや疲れが見えてきたか、4球目投げたっ、打った。サードへのゴロ、打った香田は足がある。起家、すばやく一塁へ送球!

アウトォ!

 4番三筒に変わってサードに入っている起家、12年目のベテランが守備で魅せてくれました。これには東風も思わず拍手をします。

 そして、これは……代打でしょうか?ネクストバッターズサークルの矢倉が下がります。駒場監督もベンチから出ました。


『コマンドー選手の交代をお知らせいたします。矢倉に変わりまして、美濃……バッターは美濃真也 背番号46』


 ルーキーの矢倉に変わって今シーズンワイバーンズから移籍してきました美濃がここで代打です。この日本シリーズの初戦、ここパイレーツスタジアムでの逆転のホームランがありました。シーズン中はスタメンで、代打でシーズン途中からですが16本のホームランを放っております。レフトスタンドからは割れんばかりの大歓声、今ゆっくりと左バッターボックスへ入りました。

 プレイングマネージャーの南場流ここは何を選択するか第1球を投げた、見逃してストライクッ、外から入ってくるスライダーいわゆるバックドアという球でありましょうか。


 バッターボックスの美濃はプレーオフでも日本シリーズ進出を決めるサヨナラ打を決めているここ一番に強いバッターです。第2球を投げた。打った、打球はレフト方向に大きく上がっている、上空は風があります……切れましたファウルボールです。


『打球の行方には十分ご注意ください』


 スタンドからは美濃に対してホームランコールが湧き上がっておりますパイレーツスタジアム第3球目投げた。空振りっ! 大きく落ちるカーブ! バットが空を切りました。今日10個目の三振を奪いました東風!


『9番 キャッチャー 玉城』


 ネクストバッターズサークルには金田の姿がありましたが、ここは代打を出さずそのまま玉城をバッターボックスへ送ります、駒場監督。この回開始前にも申し上げてはいるのですが、ここまで来ると言っても良いものか悩みどころですね。


「確かに言ってしまうとそこで終わるというのが良くある話ですし今はまだちょっと早いですからね多分ここの玉城を変えなかった駒場監督も意識しているかもしれませんね」


 キャッチャー玉城2度目の打席初球はカーブ、空振りでワンストライクとなっております。玉城ですが、最近婚約が発表されまして婚約者の真紀さんと出会って4ヶ月の記念日だと言っていました。球場に呼ぶのは少し恥ずかしかったけれど勇気を出して誘ってみたと試合前に話してくれていました。

 ここで活躍して良いところを見せたい玉城対するはマウンド上東風、第2球目を投げた。打った、これは……ファウルボール、足に当たりました。少し痛そうにしています。


「今日玉城は三筒との交錯プレーもありました。同じ左足ですから大事がなければ良いんですけれど。あー、丁度レガースのあるところの境目ですね」


 今、バッターボックスに戻ります。どうやら大丈夫なようです。カウントはノーボールツーストライクからの再開となります。3球目投げたっ外はずれてボール!一球遊び玉をはさみますパイレーツバッテリー。


「今のはストライクとコールされてもおかしくない球ですからね、玉城はよく見ましたよ」


 その良く見た玉城、ここは出塁して上位につなげていきたいところであります。4球目投げたっ。打った鋭い打球は一塁線、ファースト萬横っ飛び! 東風がベースカバーに入る。判定は……アウトォ! 間に合いました萬。バックが東風をもり立てます。


 六回の表終了1対0パイレーツリードは変わらずです。

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